第9話 ずっと考えてる

 朝。

 どうも寝つきが悪かったのは昨日加佐見の重い身の丈話を聞かされたせいだろうと、桐生は少しいらだったままリビングに降りる。


「おはよう、桐生君。昨日はぐっすり寝れた?」

「……おはよ」


 先に起きていた加佐見は、ジャージ姿のままエプロンをかけて朝食の準備をしていた。

 あんな話を聞かせておいてその言い草かと、呆れながら挨拶を交わして桐生は冷蔵庫を開ける。


「ていうか、当たり前みたいにキッチンを使うなよ」

「冷蔵庫の中も好きにしろっていったの桐生君だよ。それに、一宿一飯のお礼に朝ごはん、作ってあげてるだけだから」

「別に礼とかいらないから。あと、このあとバイトだしそれまでには帰れよ」

「そのことなんだけど……私、ここに住ませてくれないかな」

「……は?」


 桐生は手に取ったコップを思わず落としそうになりながら、加佐見を見る。


「冗談だろ?」

「私、昨日は素直じゃなかったなって反省してる。ほんとは、寂しいからここにいさせてほしかっただけなのに、桐生君のせいにして桐生君に選ばせて。それはごめんなさい」

「いや、そういう問題じゃなくてだな」

「でも、やっぱり桐生君といたらどこか落ち着くんだ。ダメ、かな?」


 おたまを口元に当てて、少し照れたように話す加佐見は、桐生をその大きな目でじっと見つめる。


「……いや、さすがにダメだろ」

「あはは、そうだよね。好きでもない女の子が家に住み着くとか、ちょっと怖いもんね」

「そんな話じゃなくて、そもそも高校生が同棲なんて不健全だ。それに、俺のメリットがない」


 もちろん、メリットがあればいいと言う話ではなく。

 自分がそういうものの見方しかできないことを桐生は加佐見に知らせたくて敢えてそう言った。


「メリットかあ。たしかにそうだよね。でもメリットならたくさんあると思うけど?」

「どこにだよ。家は狭くなるしうるさいだけだ」

「まず、ご飯を作ってくれる人ができるでしょ。あと、洗濯も。それに話し相手にもなるし、朝は起こしてあげる」

「家政婦じゃないかそれだったら。雇う金なんてないぞ」

「あはは、住ませてもらってお金なんかもらわないよ。私も、ちゃんとバイトしようと思ってるし」

「タダで家政婦が手に入るからいいだろって? 別に自分の身の回りの世話くらい、自分でやるさ」

「……桐生君がいいなら、もっと他のこともしてあげるよ?」


 さっきよりも頬に朱を注ぐ加佐見は、長い髪で顔を半分くらい隠しながら桐生に小さく尋ねる。


 その態度を見れば、何が言いたいかくらいは桐生にもわかる。


「……もっと自分を大切にしろ。俺は安藤たちみたいな卑しい人間じゃない」

「わ、私だって誰にでもこんなこと、言わないもん……」

「そうは言ってない。ただ、よく知りもしない人間にそんなことを言うなって話だ。俺が悪人だったらどうするつもりだ」

「よく知らない私をこうして家にあげてくれる桐生君はどうなのよ?」

「それはお前がしつこいから……いや、それもそうだな。俺も俺だ。ほんと、どうかしてる」

「ふふっ、それなら桐生君がどうかしてくれてよかった。それにね、昨日も言ったけど桐生君がもっと有意義に毎日を過ごせるように、私も手伝いたいの。だからここにいたい、いさせてほしい。それじゃダメかな?」


 その質問に対して桐生は、メリットとやらはどこに行ったんだと言い返そうとしてやめた。


 もう、彼女が言いたいことは十分すぎるほど伝わっている。

 これ以上わからないふりをして意地悪な質問を繰り返すのは大人気ないし不毛だ。


「……とりあえずバイトだから。鍵はまた学校で返してくれたんでいいから、適当なとこで帰れ」

「うん、わかった。じゃあ片付けとか色々しておくから、朝食だけでもちゃんと食べていってね」


 そのあと、加佐見が焼いてくれた食パンとインスタントのスープをいただいてから、桐生は着替えて先に家を出る。


 また、彼女に留守を任せてしまった。 

 それに、一緒に住むなんて、そんな話まで。


「……さすがにそれは、加佐見さんの為にならない、よな」


 言い聞かせるように声が漏れる。

 誰かがそばにいる安心感は、たしかに彼女が来てよくわかった。


 ただ、加佐見千雪という人間にとって桐生蓮と関わることにメリットがない。

 そうしたいからと、彼女は言うが実際思いつきで行動しても後悔が残るだけ。

  

 加佐見に救われた部分があるとわかっているからこそ、桐生はこれ以上自分に深入りさせたくない気持ちがある。


 しかし同時に、手を差し伸べてくれる彼女のような人間をこれからもずっと拒否し続けていくことが、果たしてなりたい自分なのかとも。


 葛藤が強くなる。

 そして答えなど出せないまま、朝のコンビニに到着する。


「おはようございます」

「ああ、桐生君おはよう。昨日はなんか色々気を揉ませてすまなかったね」

  

 店先で掃除をする店長がまず謝ってくる。

 安藤のことについてだろうが、桐生は特に気にも留めず首を振る。


「いえ、全く。世の中色々ありますから」

「大人だね、ほんとに君は。でも、僕みたいな大人にはならないでくれよ」

「そんな。店長は立派ですよ」

「やめてくれよ。ずっと誰かの目を気にしながら、こそこそ生きるだけのせこい人間さ……って、朝から暗い話になっちゃったね。早速、トイレ掃除からいいかい?」

「ええ、わかりました」


 先に店内に入ると、客はいつも通り誰もいない。

 土日の昼間だけは客入りがいいものの、やはりそれ以外の時間帯はさっぱりで。

 おそらく、安藤の父とやらに賃料の値上げでもされればここは明日にでも閉店するくらい逼迫しているのだろう。


 だから安藤に頭が上がらないことも仕方のないことだし。

 それを情けないなんて思わない。

 生きる為にプライドを捨てて人に頭を下げられるような人間の方が安藤みたいな連中よりよっぽど立派だ。


 それに店長は、自分のためだけに働いているわけじゃない。


「あら、おはよう桐生君」

「おはようございます晴恵さん」

「今日も朝からご苦労様。お昼は好きなもの食べていってね」

「ええ、ありがとうございますいつも」


 トイレ掃除に向かう桐生に話しかけてきた店長の妻、晴恵。

 二人の間に子供はいないが、店長も春恵も二人での生活を守るため、毎日汗水垂らして働いて、やりたいことも我慢していると、桐生は知っている。


 家族の為に。

 守りたいもののために。


 そんなもののために多くを捨てられる大人は、やはり尊敬に値する。


「……親父も、そうだったんだよな」


 父も、息子のために全てを投げうった。

 結果として、やったことは最低で、当然の報いを受けてしまったわけだけど。


 そんな父を心の底から憎むなんて、やっぱりできない。

 父のような人間になってはいけないとわかりながらも、どこかで父親のような人でありたいと、桐生はそんなことを考えてしまう。


「……あいつ、もう帰ったかな」


 そして加佐見のことも。

 他人のために何かをしたいと、純粋にそう願い行動できる彼女が少しうらやましいのかもしれない。

 

 ただ、そんなことは本人には言えないな。

 言えばきっと調子に乗る。

 ただでさえ図々しくて迷惑なんだ―――と。


 掃除を終えてレジに立った後も、桐生はずっと加佐見のことばかり考えていた。


 

 

 

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