僕がマリカにしてやれること

 キヨラ叔父さんが僕に話してくれた過去のマリカは、別人の様だった。

 髪で顔を隠し、小さな声でいた内気な少女が、どうしてあの悪たれになるんだ? 

 知らない少女の話を聞いている気分だった。

 何度か「それはマリカ?」と確認を入れたが、キヨラ叔父さんと門守さんは「そうだよ」と応えた。

 それで僕は、キヨラ叔父さんが話し終えた時、まだ続きがあると思って肩すかしを喰らっていた。

  

「ヤブにオハガシ様をして、身体の弱っていたキヨさんが器になってしまったんだね」


 今思い返せば定めの様に、僕はオハガシ様を知っている。

 弱っている虫や動物に、悪鬼を封じる神様。

 オハガシ様の神社に売られていた、ツボや籠の数々を思い浮かべる。悪鬼を封じた虫や動物を入れる用の、陰気な品々。

 流石にキヨラ叔父さんを、そんなものに閉じ込められるワケもなく。

 先代門守さんは、ヤブが持った「生きたい」という欲望を檻にした。


 キヨラ叔父さんと門守さんが、それぞれ僕に頷いた。


「それで、マリカは自責の念で絶望して命を絶った―――いまわさんをしたのは、誰なの?」

「分からない。その人物が、いまわさん用の石をどうして持っていたかも分からないんだ。ただ、君はその人物を見たかもしれない」


 門守さんの言葉に驚いて、首を捻る。

 マリカが幽霊になった時に、関わった記憶なんてない。

 僕は幼かったから、騒動があっても家に置かれていたはずだ。


「僕? 知らないですよ」

「君が崖下でマリカの遺体を見つけて、『獣が嗅ぎつけ集まっているから早く』と、大人達を呼んでくれたんだよ」

「僕が? あそこでは、よく栗を拾っていたけど」


 神社裏の崖下の林には、山栗の木がたくさん生えている。

 秋になると栗が実り、村の子供達は競い合って栗を拾うのだ。

 しかし、夢中で栗を拾った思い出はあれど、マリカの遺体を見つけた、という記憶はない。


「栗を拾っている際に、マリカに群がる獣たちを見つけた―――急いで大人を呼びに行って―――しかしマリカは、幽霊になって起き上がったら、君が倒れていた、と言っていた。君は頭を固い物で攻撃されていて、そのせいでか記憶がない様子なんだよ」

「……記憶が? そんな事誰も教えてくれなかった」


 もっと記憶に働きかけてくれれば良かったのに。そう思わないでもなかったが、幼かった僕を思いやっての放置だったんだろう。

 誰が僕を攻撃したのだろう。

 記憶をなくすほどの威力で子供に攻撃できるなんて、狂っている。

 僕の知っている中で、最高にクレイジーな人物はマリカだ。

 だから真っ先に疑ったのだが……マリカが小さな子供に乱暴している所など、見た事もなければ聞いた事もなかった。

 とにかく、どうしてヤブがキヨラ叔父さんに取憑いていたのかは、分かった。

 それから、幽霊の役割も……。


「幽霊になったマリカの復讐から逃れる為に、ヤブは都会へ逃げたんだね」


 僕の言葉に、キヨラ叔父さんが苦虫を噛みつぶした顔をした。

 キヨラ叔父さんが言うには、ヤブの記憶が断片的にあるそうなのだ。

 自分の身体でヒモ生活をされていたのだから、もの凄く嫌なのだろう。

 僕だって絶対嫌だ。

 門守さんが、僕の推理に首を横に振った。

 

「いや、幽霊になっても復讐はできなかったんだ。だからヤブもマリカも、まだ現世に留まっている」


 復讐できなかった事に少々驚きつつも、僕は納得して切り替えた。


「……そうか、キヨラ叔父さんの身体だから、害する事ができず―――」

「違う。幽霊は、自分を殺した相手にしか復讐ができなかったんだ」


 門守さんが、苦しい息を吐き出すようにゆっくりと言った。 キヨラ叔父さんも、ぐったりと肩を落としている。

 僕はその言葉に呆気にとられた。

 マリカの事を、聞かされた境遇と合わせて心底気の毒に思った。


「……そんな。では、自殺したマリカはヤブを倒せない?」


 幽霊が自身を殺した者への復讐を行うと言うのなら、マリカは自分に復讐を? 

 それができないから、十年もこの世に留まっているのか?


「いまわさんは、『殺された者』しか成功しないんだ。つまり、マリカは自殺しようとしたタイミングで殺されている」

「殺され……誰に!?」


 もしかしたら考え直していたかもしれないし、崖の高さに怯え、躊躇していたかもしれないじゃないか。それを突き落としたヤツがいるなんて。

 

「幽霊は、自分を殺した者を特定できる。マリカの話だと、強烈に執着するらしい。見つけると、指を差したくなるそうだよ『お前だ』ってね」

「では、犯人は分かっているんですね。マリカはどうして復讐を」


 と、僕は言葉を止めた。

 

――――殺したのが、人間だったら?


 僕の気づきに門守さんは頷いた。


「人間にも復讐は果たされる。元々は、村と村の領地争いや、賊の奇襲に対しての報復として行われていた幽藝ゆうげいらしいから」


 僕は喉の辺りがギュッと苦しくなるのを堪えた。

 村は僻地だ。それも、小さな山を登った先の神社でマリカは命を落とした。村の下の人間がそんな場所にいるとは思えない。

 だから、今、襖の向こうで幽霊誕生の祝杯を挙げている人々。その中にマリカを殺したヤツがいる。


「マリカはその人間を庇っている。誰だって、人殺しになんてなりたくないだろうしね……あまりにも懇願するから、私はその意志を尊重する事にした」


 ――――全然、納得いかないけれどね。と、門守さんは言って、懐から小袋を取り出すと中身を見せてくれた。

 それは木片だった。


「これは伽羅という香木。熱すると香って、その香りが執着を和らげる。マリカはこの香木を持ち歩いて、復讐の執着を紛らわせているんだ」


 この発見は近隣の村でされ、幽霊対策とされた。今でも、神事で焚く神社や寺がある。でも『和らげる』程度で忘れられたりはしない。幽霊に強い復讐の意志があれば、効果も薄い。そもそも高価だから、上流階級でもない限り、寿命が尽きるまで伽羅の香りに包まれている事は不可能だったらしい。


 マリカからいつも良い匂いがしていたのは、常に香木を持ち歩いていたからだったのか。煙草を咥え火を点けるついでに、高価な香木をライターで雑に炙るマリカの姿が容易に思い浮かんだ。


「私個人とては復讐を果たして欲しかったから、犯人を村から出さない様にしていたけど……マリカは耐えた」


 キヨラ叔父さんが切なそうに微笑んで、深く頷く。


「マリカは優しい奴なんだ」


 キヨラ叔父さんの中のマリカと、僕の中のマリカは、やはり別人の様だ。僕の中のマリカだったら、爽快そうに奇声を上げて犯人を即刻血祭りに上げるだろうに。

 

「復讐しなくても、法で裁けばいい。まだ十年目だ。時効もないでしょう」

「そうだねぇ……。うん。でも、復讐以外で死なれると、幽霊は2、300年はこの世に留まらなければいけなくなる。復讐させてやりたかったんだ。―――犯人は、君には凄く言いにくいんだけど」


 門守さんが犯人の名前を言う前に、スパンと襖扉が開いた。

 隣の部屋の明るさと賑やかさを背負って、マリカが立っていた。

 マリカは部屋へ入って来てスパンと襖扉を閉めると、僕達三人をジロッと見渡して言った。

 

「ミヤビは知らなくていいの!」

「な、なんでだよ」

「だって部外者だもん。何にも知らなくっていいんだよ!」

「部外者ぁ!? 僕はキヨラ叔父さんの甥だ!」


 かなり苛立って言い返すと、キヨラ叔父さんも「そうだ」と加勢してくれた。


「俺の大事な甥っ子だ。事情を知る権利がある」


 マリカは「うぐ」と小さく呻いてから、歯切れ悪く言い返した。

 

「そりゃ、キヨラの事を知る権利はあるよ……だけど、私が幽霊になった事もその後どうするかも、ミヤビに関係無いでしょ」

「……そう、かもだけど……」


 僕は関係ないのか。部外者なのか。

 そうだよな。あたりまえだ、と、思う。

 むしろその方がいいじゃないか。マリカとなんて。

 僕は今までずっと、避けていたじゃないか。


 心の一番外側で、必死に自分に言い聞かせた。

 しかし、心の一番内側の僕はといえば、マリカをぐっと見上げて、大きな瞳を真っ直ぐ見つめていた。

 マリカが不可解そうに片眉だけ歪めて首を傾げる。

 さっき泣いていたからか、目尻が赤くて少し腫れていた。

 キヨラ叔父さんと僕の前で、自分が過去になればいいのか現在になればいいのか迷ってるマリカ。なんだか中途半端になって誰でもなくなってしまっているマリカ。

 そんなんでどうするんだよ、なあ?

 僕は引き下がれなかった。


「……だけどさ」

「なによ?」

「僕がマリカにしてやれる事が、あるかもしれないだろ」


 胸のあたりから出る言葉が熱いなんて、初めて知った。

 そうさせる相手がマリカだった事に、違和感がない事が不思議だった。

 若干陶酔すら感じてしまった僕へ、マリカは即答した。

 

「な・い」



 それはないと思うんだが、酷くないか?

 マリカは、僕にだけ悪霊になるクセでもあるんだろうか。

 でもそれならそれで、良い。

 過去にいた知らない少女より、今いる悪霊の方が良い。

 それがマリカなのか誰なのか、見当がつかなくても。

 僕はやる。マリカにしてやれることを。

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幽霊マリカは薔薇を噛む 梨鳥 ふるり @sihohuuka

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