女嫌いと、女と、少年と
「ふあ~あ……」
おれは学校の廊下を歩きながら思わず大口を開けて、あくびをした。
いかんいかん。こんな緩んだところを女どもに見られたら、どんな噂を流されるかわからん。
あくびを噛み殺しつつ、昨日のハードスケジュールを思い出す。
放課後は下級生の女とのボランティア活動に、夜は夜でアキラ少年との出会い。
なんだかとても濃い一日だった。
そう思いつつ、廊下つきあたりを曲がろうとしたところ、ほかの生徒とぶつかりそうになる。
「あ……!」
「わっ、おまえは……」
廊下の角から現れたのは例の下級生の女、石原灯梨だった。ちょうど相手のことを考えていたものだから、なんだか嫌な気分になる。
それにしても昨日の今日で、どうもこいつとはここ数日縁があるようだ。
「あ、あの! わざとじゃないんです!」
「いや、わかってるよ……」
石原はこっちを向いて、おびえるような表情で必死に謝ってくる。癖っ毛をぴょこぴょこ顔の横ではねさせて、頭をぺこぺことさげた。
だが、これは出会いがしらの事故だ。さすがにこちらも悪意がないものを責められない。
「そ、それじゃ私はこれで……!」
石原はおれのわきをすり抜けて、足早に立ち去ろうとする。
「あ、おい。待て」
「ぴゃっ!?」
急いで呼び止めるとびくびくとしながら、こちらをおそるおそる振り返る女。
「あ……あの、また私なにかやっちゃいました……?」
そんな女に、額を指さしながらたずねた。
「昨日の傷は?」
「へ?」
「だから、おでこの傷。痕(あと)になってないか」
自分の額をこすりながら、石原のおでこにいまだに貼られた大きな絆創膏を見た。
「え……心配、して……くれるんですか?」
「おまえな……いや、きみね。そりゃ心配するでしょ」
相手は女とはいえ、昨日目の前で、しかもおれの家の塀でケガしたんだ。
ここは心配した――フリくらいは必要だろう。下級生の女に、おれはあくまで人格的な先輩だと思い込ませるんだ。決しておまえのような年下の女にびびっている臆病な先輩ではない、と。
(おれの魂(ゴースト)がそう囁いているんだ……)
そんなふうに格好つけてみるが、よく考えたらずいぶんと打算的で心配性かつ、小心者の魂だな。おい。
すると石原は口を歪ませて、泣きそうになりながらまた癖っ毛をはねさせ頭を何度も下げてきた。
「すみません! すみません! センパイに心配かけるなんて……もう、この私の額の馬鹿馬鹿!」
すると石原なにを考えているのか、わざわざ絆創膏の貼られた額を手でたたいた。
「お、おい! やめろ、ぽかぽか傷跡を叩くな! 本当に馬鹿になるぞ!?」
おれは慌てて石原を止めようとする。けれど直接女に触れるわけにはいかないので、結局下級生の女の前で、両手を振りあげながら不思議な踊りを踊ることしかできない。
よかった、この場にだれもいなくて。はたから見たらおれが、ケガをした下級生の女からMPを吸いあげていたように見えたことだろう。人格を疑われていたところだ。
「あうぅ、馬鹿なんで……私なんて、センパイに近づいた馬鹿な女なんで……」
「意味わからんこと言いながら、さらにポカポカするな!」
それから必死に石原の奇行をなんとか落ち着かせて、冷静に話をさせる。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって……」
「本当にな……」
あんな取り乱し方はじめて見たぞ。
「それで、本当のところ傷の具合はどうなんだ」
「センパイのおかげで、膿むこともなく、傷跡らしいのは残らなさそうです」
「そうか。よかったな」
「もう絆創膏も必要なさそうですけど……」
「だったら外せばいいんじゃないか。目立つだろう、それ?」
「うう、けど……」
「けど?」
「ううぅ……」
石原はこちらを見て、なにかを目で訴えかけてきた。
「……?」
ただしおれにはなにを訴えかけてきているのか、わからなかった。
「せっかくだから、もう少しだけつけてたいなって……」
「ああ、そう……それはきみの好きにすればいいんじゃないか? きみの身体なんだし……」
べつに絆創膏を外すタイミングなんて、本人の自由にすればいいと思う。おれにはそれが必要ないかなんて判断できないんだから。
「いいんですか!? じゃ、じゃあ使い終わったらちゃんと洗って返しますね!?」
「いや!? いらねえよ!」
おれは思わず大声でつっこんでしまった。
そんなハンカチやタオルじゃねえんだから、使用済みの絆創膏洗って返されても……。
◇ ◇ ◇
「……ってことが昼間あってさ」
「アハハ……」
アキラに昼間あったことを話すと、かれもさすがにあきれたようにフードの中で笑った。
「その……石原さんでしたっけ? 面白い人っすねえ、アハハ……」
「ん? なんかアキラ笑い方がわざとらしくないか」
「え゛っ!? そ、そんなことないっすよ、やだなー。あはは!」
アキラは肩を震わせて、大声でやけくそ気味に笑ったような気がした。
昨日の約束のとおり、今日も夜の公園にやってきていた。
あいかわらず夜の公園は静かなものだ。静寂に包まれている。音らしい音といえば、ベンチに座ったおれたちを照らすかすかな街灯の音くらい。人の気配すらない。
そんな夜のしじまに押し流されそうになりながら、早速年下の男子との話題に困って昼間あった変な話をしたというわけだ。
「ま、まあ、なんていうかその人の気持ちがわからなくはないっていうかー……」
「なに、ほんとか? アキラすごいな!」
「い、いや僕の推測っすよ……!?」
アキラは驚いて顔を近づけるおれを両手で制しながら、謙遜した。
「おれは全然わからなかったから、教えてくれ。あのときあいつはいったい、どういう気持ちだったんだ?」
「あの……」アキラは言いにくそうにたずねてきた。「お兄さん、その女の子のこと気になるんすか?」
「え!? いや……いや! 気になるっていうか! 今後の参考にしようかなってだけで……ほ、ほら心のバイブルで検索してもなに考えてるのかわからなかったし……?」
「心の、バイブル……?」
「それは気にしないでくれ」
「はあ……」
アキラはあいまいに答えながら、想像ですよと断って話してくれた。
「これはあくまでも僕の妄想かもしれませんけど……その女の子お兄さんのことが好きなんじゃないんすか?」
「それはアキラの妄想だな」
「そうっすか……」
おれは即座に否定した。それはない。このことについては多大なる自信がある。
「あいつとは会って数日だぞ?」
「一目ぼれってあるじゃないすか」
「最初なんかドモってて、おれから距離置いてびびってたんだぞ?」
「それってただ緊張してただけかも……」
「やけにあいつの肩持つな?」
「そっ、そんなことないっすよ!?」
「それ以前になんで好き嫌いって話になるんだ?」
「それは……好きな人からもらったものだから長く身に着けていたい……みたいな?」
「ただの絆創膏だぞ。しかも市販の」
「そ、そうっすけど……好きな人からもらったものはなんでも大事にしたいじゃないすか……」
そう言いながらアキラはフードの上から額をゆっくりとなでた。
「お兄さん……さっき会って数日って言いましたけど、本当に覚えがないんですか。その石原さんって女の子のこと……」
「ない」
おれはキッパリ一言、そう言った。
「やっぱり、覚えてないんすね……」
「……? でも、そういやあいつにも初日そんなこと言われたんだよな……」
「なにがです?」
「『石原灯梨って、名前の女の子覚えてますか』って」
「それって……やっぱり昔に会ってるんすよ、たぶん」
「そうなのかなー。うーん……だけど、覚えてないんだよなあ……」
「お兄さん、昔の記憶失っているってことないすか?」
「は? 記憶喪失? ないない、そんなマンガみたいなこと……」
「ひょっとしてその記憶喪失が……女性恐怖症と関係しているとか……?」
「待て! おれは女嫌いなだけだ!? 女なんて、怖くない!」
言ってから、自分の言葉に固まった。
「あれ……? おれ、アキラに女嫌いうんぬんの話したっけ?」
「ば……バレバレっすよ! お兄さんの話聞いてたら、アハハ……うん!」
「そ、そっか。バレバレか?」
おかしいな。中学からこっち、セキカンを除き女はもちろん友だちにもバレたことなかったんだけど。
「まあ、バレたなら仕方ない。けどアキラ、だれにも言うなよ?」
「う、うす……」
一応釘を刺しておく。噂ってのはどこから、どう広まるかわからないからな。
「でも、どうして女が嫌いになったんすか……やっぱり、昔なにかあったとか?」
「…………」
「す、すみません……話したくないすよね。デリカシーなくて……」
「悪いな。あんまり他人に話すようなことでもないし……」
正直あんまり思い出したくない話題だった。それに話したところで、他人にわかってもらえるとも思わなかった。
少なくとも、いまここで気軽に話せることじゃない。
「最後にひとつだけ! これでこの話は終わりにしてもらっていいっすから……」
アキラがずいぶんと真剣に聞いてくるので、おれも思わず身構える。
「ああ、なんだ?」
「その理由って、小学校のときの遠足が理由すか?」
「は?」
なんだって。アキラのやつ小学校のときの遠足って言ったか。
「だから小五のときの遠足で山、行きましたよね……?」
「いいや」
「え!? まさか……」
「小五のときに遠足なんか行った記憶はないぞ?」
「やっぱり記憶が……」
「それに、おれが女を嫌いな理由と遠足はあんまり関係ないと思う……」
「ええ……っ!? 関係ないんすか?」
「……? さっきからアキラがなにを言ってるのかわからないんだが……おれが女が嫌いなのはまったくべつの理由だからな……」
「そ、そうだったんすね…………そう、だったんだ……」
「……?」
そのとき最後にぽつりともらしたアキラの声が、なんだかとても安らいだほっとした声だったように感じたのは、おれの勘違いだったのだろうか。
その後もおれたちは無意味な世間話をして夜を過ごした。
結局アキラは持ってきた本を膝の上に置いて、帰るまで今夜は一度も開かなかった。
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