30 不思議なやつだね

 放課後、早速俺は生徒会室に直行した。伊集院の行動パターンはなに一つ把握していないが、無茶な量の生徒会の仕事を一人でこなしている、みたいなことを言っていたし、まず間違いないだろう。

 生徒会室の扉の前──俺は少しばかり緊張していた。これから他人の過去、それもかなり闇の深い部分に土足で入り込んで、誤解を解くのだ。怒鳴られて、喧嘩になってもおかしくない。

 ……いや、行くんだ。覚悟はもう、決めただろ。

 己の貞操と、綾小路の笑顔を守るために──行くのだ! 早乙女乙女!

「たのもーう!」

 気合十分の声で、俺は生徒会室のドアを豪快に開けた。

「……道場破りか?」

 案の定、伊集院が部屋の奥、窓際に配置されている生徒会長用らしき席に、一人座っていた。机上には、書類の山──長机やパイプ椅子が会議用の形に形成されている割に、他の役員の姿は見当たらない。

「伊集院! お前に話がある!」

「忙しいから、帰って」

 ……亜矢瀬、本当にこいつ、俺のこと好きだと思うか?

 恋愛フラグが既に立っているかもしれない、という予想が外れるなら大いに結構──俺はズカズカと生徒会室に侵入し、生徒会長の席に鎮座する伊集院のもとまで歩いた。

「なぁ! 誤解だったんだよ!」

「突然やってきて、なんなの」

「お前が鬼塚に裏切られたって話だよ! 綾小路が見てたんだ!」

 冷え切った態度を貫く伊集院だが、この話を聞けば冷静を保ってられまい──そう予感しながら、俺は綾小路から聞いた話を熱弁した。

 しかし、俺の想像は外れて、すべて聞き終わった伊集院は、

「ふーん」

 と、だけ言った。

「え……、それだけ……?」

「それだけって、俺になにを期待していたの。まぁ、父さんがやりそうなことだよ」

「だったら……!」

「でも、やっぱり鬼塚は許せない」

 ピシャリ。

 あぁ、この感じ、鬼塚と一緒だ──伊集院とどうして仲が悪くなったのか、鬼塚に尋ねたときのことを思い出した。

 たとえ誤解だろうと、親友に裏切られた傷は相当深いらしい──何にせよ、鬼塚が葬式に参列しなかったことには変わりないのだから。

 伊集院にとっては、その事実、裏切られた当時のトラウマがよっぽど重いものなんだろう。

 急に「誤解でした!」と弁解されて、すぐに気持ちが追いつき、許して、はい仲直り! ハッピーエンド! と、とんとん拍子に物事は運ばれなかった──そりゃ、そうか。

 綾小路も、亜矢瀬も、俺ならいける、みたいな自信に溢れていたから、根本的な問題をすっかり見落としていた。

 伊集院の今までの気持ちはどうなる。

 鬼塚に裏切られたと信じて三年間──その原因が実は自分の父親だったと発覚したら、すぐ許せるのか、と問われれば、それとこれとはまったくの別問題だ。

「……ごめん」

 俺は小さく謝ることしかできなかった。

 伊集院は怒るでもなく、ただ、ため息をついた。

「……話が終わったなら、出て行ってくれる? 俺はこの仕事を終わらせて、早く塾に行かなきゃいけないんだ」

「お前、塾があるのか……」

「そうだよ、だから……」

「なんでお前一人なんだ? 他の役員は?」

 塾がある、受験生の生徒会長を一人置いて、書類の山──なぜ、こいつは孤独に事務作業しているんだ。

「他の役員は、全員帰らせた」

「帰らせた? なんで?」

「大した仕事じゃないから、俺一人で十分」

「大した仕事じゃないなら、それこそ、会長のお前がやる必要はないだろ」

「…………」

 俺の正論に、伊集院は黙り込んだ。パチン、パチン、と、伊集院が書類を数枚ごとにホッチキス留めしている音だけが、生徒会室をこだまする。付けられたホッチキスは、所々曲がっていた。

 こんなに不器用な奴が、生徒会長をしているだなんて、この学校は大丈夫なのだろうか──何事も一人で抱え込むタイプで、つい先日、一年生の女子に保健室まで運ばれているような男だぞ。

 俺は伊集院から紙の束を半分奪い取った。

「おい、なにを……!」

「手伝ってやるよ。お前、ホチキス留め、下手くそだし」

「うっ……」

 自覚はあったらしい。

「……ホチキスは、そこの棚の上から二段目、右側の引き出しだ」

「ヘイヘーイ」

 支持された場所からホチキスを取り出し、俺は適当な席に座った。プリントを三枚ごとにホチキスで留めるだけの、簡単な作業だ──いかんせん量が膨大すぎる。全校生徒分あるんじゃないのか?

 ……これを一人でやろうとしていたのか。

「……伊集院」

「……なに」

「お前、実は馬鹿だろ」

「黙るか帰るか、どっちかにしろ」

 しばらく、俺と伊集院は、無言でホチキス留めという地味な作業を続けていた。

 チラリと伊集院を盗み見る。整った顔立ち、他者を寄せ付けないオーラ──でもどこからか漂う、疲労感。

 生徒会の雑用も一人で片付けて、生徒会長としての責務も果たし、その上塾にも通って──俺なら気がおかしくなりそうだ。

「生徒会やりながら塾に通うって、大変じゃないのか?」

 生徒会に入ったことがないから、詳しいことはわからないけれど。逆に言えば、それくらい両立できなければ、生徒会長の座につく器じゃないって判断されるのだろうか。

「……俺は、完璧じゃないといけないんだ」

 と、伊集院は言った。

「……完璧?」

「父さんは、成績が良くなければ、俺を見てくれなかった──頑張りすぎて体調を崩した俺に、一切興味を示さなかったよ」

 聞き返すと、伊集院は語り始めた。

「そんな俺を支えてくれたのは、母さんだった。でも、その母さんも、もういない。だから俺は、常に完璧であり続けないと……!」

 誰も俺を見てくれなくなってしまう、と、そう言っている気がした。

「伊集院……」

 だから、熱が出るほど一人で頑張っていたのか──唯一の家族である、お父さんに認めてもらうために。

 俺は立ち上がって、生徒会長席に座る伊集院の顔を覗き込んだ。

「なに……?」

「ひでぇ隈」

「…………っ」

 伊集院は一瞬たじろいだ。

「お前、寝てるのか?」

「…………」

 返事はない。この場合の無言は正解の意で間違っていないだろう。

「なぁ、人の価値って、完璧かそうじゃないかで決まるもんじゃないと思うぜ──お前はお前らしく、生きてていいんだよ」

 伊集院は驚きに目を丸くしてから、穏やかに微笑んだ。

「……お前は、昔の綾小路と同じことを言うんだな」

「え」

 綾小路も……?

 そうだ、伊集院の前好きだった人って──

「い、伊集院の初恋って……」

 口に出ていた。伊集院は特に焦るでもなく、

「あぁ、綾小路だよ。小学生のときは、彼女が好きだった」

 何事もないように、肯定された──多少は教えるのに躊躇する素振りくらい見せてもいいのに。

 それがないってことはやっぱり、

「と言っても、昔の話。今はもう何の感情もないから──親しかった女友達って感じ」

 ……だよなぁ。

 思い出として完全に昇華されているから、他人に恥じらいもなく教えることができる──幼稚園の先生が初恋、みたいな可愛らしいあるあると同レベルなんだろう。

 伊集院に綾小路をもう一度好きになってもらう計画は、当初の予定より難航しそうだ。

「……お前は、不思議なやつだね」

 そんなこと初めて言われた。

 不思議ちゃんである自覚はない──そういうのは、亜矢瀬みたいなやつが似合う形容詞だろう。

「思ったことをそのまま言ってるだけだぞ」

 それで不思議なら、それはもう、ただ中身と見た目のギャップにお前が追いついていないだけだ──なんせ、美少女の面を被った平凡な男子高校生なんだからな。

 最後のプリントをホチキスでまとめ終わり、俺は成果物を伊集院に差し出す。

「ほら、これで半分終わっただろ。じゃあ、塾頑張れよ」

 受験生への激励を最後に、出入り口を目指す。

「待って」

 いつの間に立ち上がったのか、伊集院が背後から俺の手を引いた──そのまま引っ張られ、気づいたときには、伊集院の腕の中に収まっていた。

 ──抱きしめられてる?

「…………」

 伊集院は何も言わない。それがさらに俺の不安を加速させた。

 ……どこで恋愛フラグが立ってやがった!?

 とにかくハグから脱出するために体を捩らせようとすると、ふわりと伊集院の匂いが鼻をかすめた──女の子は総じて良い匂いがすると思っていたけれど、イケメンも良い匂いがするのか。

 いや、伊集院の匂いなんてどうでもいい。どうせ柔軟剤か何かだ。それよりも、どうしたらこの腕を解ける?──自分より体格のいい男に捕らえられ、押しても引いてもびくともしない。

「い、伊集院……? ど、どうした……?」

 黙っていればいい雰囲気になると思うなよ、とばかりに俺は声をかけた。

「…………」

 伊集院の返答待ちの時間が、地獄のように長く感じられた──告白でもされたらどうしよう。どのタイミングで俺を好きになったっていうんだ。

 心は焦るものの、体は動かせない──そんな相反する状況の中、やっと伊集院が発したセリフは、


「髪に、ゴミがついてる」


 だった。

「…………ごみ?」

「うん」

 伊集院の大きな手が、ことも無げに俺の後頭部を滑る。すぐに伊集院は俺から離れた。

 ……な、なんだぁ! ゴミかぁ! びっくりしたぁ!

 いくら少女漫画のヒロインとはいえ、俺のこと好きになってる、なんて自意識過剰もいいところの勘違いをかました自分が恥ずかしい。

「それじゃ──できたらでいいから、鬼塚のこと、お前のお父さんと話し合ってみろよ」

 可能性は低いが、一応念を押しておく。

「……あぁ。手伝ってくれて、ありがとう」

 今度こそ、伊集院に手を振って、俺は生徒会室を後にした。

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