【No. 153】下手くそロボット

 がらんどうになった私の部屋を見て、私を支えていた糸が切れた音がした。

 幼い頃からずっと大好きだったロボットアニメ。プラモデルや、おもちゃ、フィギュアやソフビ、登場人物やロボット、武器や敵など様々な物を模した思い出の品々をこれでもかと詰め込んだ宝の部屋の中身が、跡形もなくなっていた。


 部屋の前で呆然としていると、嫁がやってきて何かを言っていた。声がしているのは分かるのだが、何を言っているのかは分からなかった。目の前に広がる世界から、一切の色が失われたみたいだった。


 ここは私の実家で、両親が亡くなってからは私と妻と息子で暮らしていた。四十を越えてからの結婚だったために、息子は大学受験を控える高校生。定年退職を目前にした私の経済力が、嫁に不安を抱かせていたのだろうか。


 そんなことをぼんやりと考えながら、私は会社から帰宅したままの格好で家を出た。もう夜も遅く、切れかけの電灯がちらちらと揺れていた。

 どこに行くともなく歩いていた私は、しばらくして見つけた公園のベンチに座った。ズボンのポケットに財布が入っていたので自動販売機でコーヒーを買い、すぐに飲み干した。


 公園に設置された大きなゴミ箱に空き缶を捨て、あの部屋にあったたくさんの物も同じように捨てられたのかもしれないと思うと涙が溢れてきた。捨てられてはいないはずだ、売ったはずで、買い取った業者はしっかり売りに出してくれるはずだ。そう思おうとしてもダメだった。

 あの部屋には、初めて一人で組み立て、初めて一人で塗装したプラモデルもあったのだ。趣味といえど、何体も完成させ続けてきた私が見ても、下手くそだなと思う出来のプラモデル。私にとって何にも代え難いそれは、私以外の人間にとっては無価値に違いない。


 思い出がゴミに埋もれていく姿を、想像したくもなかった。けれど脳内は勝手に映像を流してくる。ベンチに座って耳を塞ぎ、目を強く瞑っても無意味で。私は年甲斐もなく、嗚咽を溢しながら、ただただ泣いた。


 気付くと朝になっていた。金曜の夜で良かったと思う。まるで仕事などできそうになかった。昨晩、ここで気を失うように眠ったまま、二度と目覚めなければ良かったのにとも思う。どうしていいか分からなかった。けれど、あの家には帰りたくなかった。


 私は近所に住む友人を頼ることにした。自分の会社を立ち上げて自由気ままにやっている友人は、私にとって自分一人では得られない刺激を与えてくれる大事な相手だった。

 突然、連絡もなしにインターホンを押した私を受け入れてくれるか心配だったが、玄関から顔を覗かせた友人は肩を抱いて家の中に連れて行ってくれた。


「何があった」


 彼の奥さんが出してくれたお茶を一口で飲み干した私は、昨日の出来事を打ち明けた。彼は憤り、何かと世話になっているという弁護士を呼んでくれた。妻の有責で離婚を成立させることができると弁護士は言った。親権も取れるだろうと。そう言われても、私にはどうしていいか分からなかった。とにかく、虚無感だけが私の中にあった。たくさんあったはずの心の拠り所が、一晩の嵐で何もかも吹き飛ばされてしまったみたいだった。


「息子さんきたぞ」


 友人がそう言って、応接間に息子が入ってきた。目を赤く腫らした息子の手には、一体のプラモデルが握られていた。それは、私が初めて組み立てたプラモデルだった。


「それ……」

「母さん、止められなくて、全部持っていかれそうになって、何個か隠したんだけど見つかっちゃって、でも、これだけ大丈夫だったの。ごめん、ごめんね、父さん」

「さとる……」


 わんわんと泣く息子を、ぎゅうと抱きしめた。私も泣いた。息子の手に握られたプラモデルが、泣くだけ泣いたら前に進めと言っている気がした。ところどころハゲた塗装。赤、青、白、黒、世界に色が戻ってきた気がした。


「ありがとうな……ありがとう……」


 それから息子も交えて話をして、私と妻は離婚をすることとなった。弁護士と共に離婚届を渡しに行くと、妻は金切り声を上げて私を詰ったが、それは妻の立場を更に悪くしただけだった。


 結局、買い戻せたものは元々の半数にも満たなかった。組み立てて塗装したものはほとんど失われてしまって、飾っていた棚も寂しいものだ。しかし、今は息子の作品が並ぶようになっていた。妻に怒られるからと今まで言わなかったけれど、本当は自分もやってみたかったのだと息子は笑った。


 下手くそな私のロボットと、下手くそな息子のロボットが、棚の最上段に誇らしげに立っていた。

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