第84話 なんでよ!
狂ったようなタイヤの悲鳴を聞きながら、オレは素早く舞美に指示を出す。そしてオレは仲間がどこにいるか、大まかに目星を付けた。
浅倉さん、スズさんそしてトイレに行っている栞は安全圏だ。舞美も。ゲンさんの姿が見えない、しかしもっとも危険地帯にいるのはシルさんとジェシ―だ。考えてる時間はない。
「お前は階段の上にいろ!」
「わ、わかった!」
オレは舞美の肩に手を触れ、自分は10数メ―トル先にいるふたりの元へ駆け出した。
僅かな距離のはずだが、林田のクルマのスピ―ドは常識の範囲を遥かに超えていた。派手なクラクションが学校に戻りつつあった平穏の脅かす。
狂ったか……
当たり前のことをオレは考える。逆に言えば『狂った』以外の答えがあるとするなら『狂ってた』だけだ。その事は既に知っている。
そんなことはいい。オレは守りたい者の所へ向かうだけだ。視線の先ではジェシ―が咄嗟にシルさんを突き飛ばし、林田のクルマの軌道の外に追い出していた。
シルさんの表情が恐怖と
バカだろ。オレの脳裏に咄嗟に浮かんだのはこの言葉だ。立派だよ、ホントに。惚れちまうくらいに立派な行動。主に対しての献身であり、まさに自己犠牲。
でもさぁ…嫌なんだよなぁ、こういうのって。もし、これで……ジェシ―の犠牲でシルさんが事なきを得ても、苦しみが、ないわけないよな?
後先考えろよ、残されたもんの気持ちとか! どっちも生き残る方法が最優先だっての……あっ、ヤバい人のこと言えねえか…
間に合わない。
オレじゃなくて誰もが、そう思ったに違いない。クルマの急加速に人の足で間に合うはずもない。いや、むしろ走れば走るほど、巻き込まれに行くようなものだ。
それでもオレは、まぁ…走った。走ることに疑問はなかった。そして間に合うとどこかで信じて。
「お願い、来ないで!!」
ジェシ―の悲鳴。
祈りに似た悲鳴が痺れたオレの耳に届く。すべてが何もかもがゆっくりと、流れてその時の中でオレはジェシ―と目があった。
ジェシ―の顔は恐怖で引きつっていた。それでも目は……遊園地の時の目になっていた。こんな時ジェシ―ならなんて言うだろう――?
『ホント、君ってば、人の言うこと聞かないよね?』
そう言って呆れるだろうか。オレはなんでこんな無茶してんだろ。正義感…じゃないな、たぶん。ジェシ―が好きだから……正直わかんない。
例の『シチュエ―ション・ト―ク』の熱が残ってるのかも知れないし、別のものなのかも知れない。ただ、なんだろ。林田なんかにジェシ―は『取らせたくない』そんな意地がある。
オレは――いや、ジェシ―も確信した。間に合わないと。もう避けられない。オレもジェシ―も完全に林田のクルマの軌道に入り込んでいた。
そしてその刹那――オレはシルさんの位置を見た。ジェシ―の身を張った献身でシルさんは林田のクルマの軌道から外れている。
尻もちをついたシルさんの表情が歪む、大きく首を左右に振るってオレとジェシ―に叫んだ。何か叫んでるがわからない。
言葉にならない声なのか、オレの耳が痺れてしまったのか。ただ、何も聞えなかった。ひとつ言えるのは、戸惑いはなかった。オレはジェシ―目掛けて飛び込んだ。
この事に何か意味があるのかと聞かれれば――何もない。だってそうだろ? 飛び込んでジェシ―を抱きかかえたとしても、林田のクルマの軌道から外れることは困難だ。ふたりとも。
『なんでよ!!』
スロ―モ―ションな世界の中で、ジェシ―が苦情を言ってる気がした。聞こえるかわかんないけど、もし聞こえるならオレは迷わずこう言う。
「地球の裏側より近いだろ?」
でも、ごめん。シルさんにはとてつもなく『重たい荷物』を持たせることになりそうだ……
アスファルトを切り裂くような轟音――とまではいかないか。オレを唯一満足させたのは此の手が、此の腕がジェシ―の体を包み込むことが出来た。
それだけで十分だろ。一瞬だけだが、それでも確実にジェシ―の体温を感じることが出来た。やるときはやる。後は共に…旅立つことになるだけ。
□□□□
舞い上がる砂煙。砂塵が辺りを包む。破壊されたラジエ―タ―からの水蒸気が視界を遮る。何が起きた……わからない。鼓膜が破れたのか、それ程に色んな音が反響している。頭が割れそうだ。オレは上半身をかろうじて起こし、辺りを見渡した。
立ち込めるタイヤの焦げた匂い、漏れた油が熱で鼻につく。聴覚が怪しい代わりに異常に嗅覚が敏感だ。口に入った砂利を吐き出すと、血が混じっていた。口の中を切ったのか、歯が折れたかどちらかだ。
どうなったんだ……確かなことはオレの腕の中にはぐったりとしたジェシ―がいた。大きなケガはない。気を失っただけだ。オレはよくわからないが、背中に激しい痛みがある。
足や腕も同じだ。何度も首を振り、正気に戻ろうとする、嗅覚と口の中の鉄の味だけは鮮明だ。頭が痛む…視界が霞むのは血が目に入ったからだと今更わかった。
そして、今更生きていると気付いた。
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