第72話 自ら望んだ行き止まり。

 常和台ときわだい高――校内。


「今日から復学だってよ、噂の1年」

「あっ、めっちゃかわいい妹の?」

「そうそう! あと弓道部の――」

「三崎って娘な!」

「あの子――って、なんで斎藤ってヤツと一緒に休んでたんだ? サッカ―部の1年と?」


「さぁ? なんか知らんがサッカ―部。箝口令かんこうれい出てんだってよ」

箝口令かんこうれい!? 箝口令って何?」


「はっ!? お前それでよく、常和台ときわだい入れたな? されてんだっよ、なんでも監督に。あと1年のクラスの担任も――って、噂をすればだな、何だよ竹刀なんて持ってよ、偉そうに――」


「林田って、だったか?」


「いや…どっちかって言ったら、感じいい方だったけど――ピリピリだなぁ。か」


 常和台ときわだい高。校門前――

 目の下に『クマ』を蓄えた順一の担任林田は、それなりに追い込まれていた。ある意味彼は同じ事務長派の成宮監督より、数段マズイ立場に立たされていた。立たされていた――いや、自ら立っただけだ。


 サッカ部監督成宮は事務長との関係は単純に『金銭』だった。金が必要で、金のために動いた。動機は単純明快。いや、林田だって動機は単純明快。彼の動機は欲望。


 金と女。彼は事務長が毒牙に掛けた女生徒の中で、事務長が飽きた女生徒を脅し、関係を持っていた。


 その女生徒はまだ、在学中で――林田は女生徒の存在に怯えた。報復を恐れていた。何か言われたら……そう思うと、額に脂汗が滲んだ。身から出た錆――まさに、それだけのことなのだ。そして、追い込まれた彼は完全に思考停止に。


 この期に及んで校門に立ち、女生徒を竹刀で威圧すれば、もしくは……儚い期待に執着した。


 しかし、彼の教師としての人生は、もう残り少ないことを、自分自身が1番知っていた。そんな林田に声を掛けた者がいた。浅倉だ。


「おはようございます、先生。今日はお世話になります」


「あんたか…だ」

「そうでしたか? 実はです。逆撫でってヤツですよ、これだけ報道関係がいる前で、? 壊したら、壊したで、それなりに『いい絵』になりますけど?『噂の淫行いんこう教師』実は暴力教師でもあった、ってね?」


 林田はため息を飲み込んだ。自分がこれまでやってきたことは、逃れようのない事実。残るは『合意のもと』での関係を主張するくらいだが――噂はすでに浅倉の耳まで達していることで、覚悟が出来た。


「ふん、好きにしろ。勝手に校内に入らないように」


「あら、残念。古堂ふるどう校長から報道各社に立ち入り許可出してますよ? なんだぁ…そんなことも共有されないくらい学校内ではボッチなんだ〜〜先生は」


 先日カメラを破壊された恨みとばかりに、浅倉は林田を挑発した。怒鳴り声の1つでも上げさせれば、完全に掴みきれていない『尻尾』に王手が掛けれる。


 女生徒との淫行が事件として証明出来なくても、全国ネットのテレビの前で悪態をつく教師として、PTAやOB会から激しい突き上げが、常和台ときわだい高に残る道を塞ぐかも知れない。


 順一の担任林田は、押し寄せる嫌な予感に天を仰いだ。引き返せない場所に立っている自覚はあった。そして、彼自身彼の教師生命は完全に終わりを告げようとしていることも、わかっていた。


 彼は思った。終わりの始まりではない。もう、教師生命の終わりの終盤に差し掛かっていると。


 □□□□

「ひと駅前で降りるんだな」


 オレにそう指示した栞の顔を覗き込む。オレはいつものバス停よりひとつまえで下車した。


「はい。安全の為です。変態教師どもが待ち伏せしてても、このル―トまでは想定外です。家を出るところは見られてると考えていいでしょうから」


「意外。栞さん……頭を使えるんだ」


「あの…マイたんさん。まさかそれ言うため出てきたのですか?」


「違うわ。ごめんなさい。私―伝え方が下手で。どうしたらいいかなぁ…兄さん。私割とちゃんと栞さんに伝えてるんだけど、わかってもらえなくって……兄さんからもことあるごとに伝えてほしいの『うちのマイたん、栞にまったく興味ない』って……」

「こんな朝から儚い視線でディスらないでください!」


「あっ、栞ちゃん『あの子』戻ったわ」

「えっ? そんなことだけ言いに出てきたの!?」

「あ……そうみたい」

「マイちゃん、最近…普通に入れ替わってないか。その寝てる時とかじゃなくて。今だって全然意識飛んでないし…」

「順兄ぃ。そうなの! 最近『あの子』自分でもで言ってるけど、安定してて。それがどうも栞ちゃんに思う存分毒吐けるからみたい」

「あ……マイたん安定させてんのオレじゃないんだ…」

「あの、斉藤君。お気持ちはわかりますが、毒吐けるからって安定されてる私の立場もですね、考えてください。ここは兄として、私と腕を組んでお詫びするくらいの配慮が必要ですが?」


「順兄ぃ。どうしょ?『あの子』鼻で笑ってる…本格的に栞ちゃん小馬鹿にしてるけど?」


「舞美ちゃん、ごめん。その情報私に入れないで。普通に凹むから…」


 何ということはない。こんな会話も風景も。普通なら日常に溢れ出て、きっとオレはその事に気づかなかったと思う。だから感謝なんてすることもないし、きっと舞美だってオレと並んで歩くのも嫌なくらいの思春期を送っていたろう。


 そう、例えばこんな風に手を差し出しても眉間にしわ寄せられる人生だったはず。舞美は差し出したオレの手を疑問もなく握り返し、それを栞は大袈裟に抗議して反対の手を握った。


 こんな平穏な時間を当たり前にするために、オレたちは常和台ときわだい高の校門を目指した。





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