第18話 幸せの青いカエル


「あら、ジュリアン……」

言いかけてわたしは言葉を途切らせた。


「なあに、コルデリア」

つややかに輝く、黒い大きな瞳で、ジュリアンがわたしを見上げる。

「どうしたの?」


「あなた、色が……」


ジュリアンは、水盤の土の上にいた。黒い土の上で、黄緑色だった彼が、なんだか薄青く光って見える。


「色素かな?」

ジュリアンも気がついていたようだ。

「生まれつき青いやつもいるんだよ!」


「生まれつき?」

でも、ジュリアンは、もともと黄緑色だったはずだけど。


ぴょん、とジュリアンは飛び上がった。

「両生類はね、黒と黄、虹色の色素細胞をもってるんだ。カエルの中には、そのうちの黄色の色素が、生まれつき欠けてるやつもいるのさ! そうすると、青いカエルになる」

色素? 細胞?

「ジュリアン、あなた、難しいことを知っているのね」

わたしが感心していると、ジュリアンは大きく後ろにそり返った。白いふにゃふにゃした喉が覗けて、さ、触りたい……。


「友達が教えてくれた!」

そっくり返り過ぎて、思わず後ろに倒れてから、素早くジュリアンは起き上がった。背中に、水盤に敷かれていた黒い土がついている。

彼の口調は、いつもと違って、なんというか、庶民的だった。

「レメニー河を下っている時に、友達がたくさんできたんだ! そいつらが教えてくれた。ほら! 修道院で、僕と一緒になって大合唱してたろ? あいつらさ!」

「ああ、あの野良ガエルたち……」

託宣を出した神様がうるさがるほど、大きな声で鳴いていたカエル達だ。



人間の頃から、ジュリアンは、人の心を掴むのがうまかった。心の隙間にするりと入ってしまう。でもそれは、彼が人たらしなのではなく、大らかさによるものだ。人を全く疑わないから、ついつい相手も、受け容れてしまう。

この性格は、必ずしも、育ちの良さからくるものではないらしい。どうやら、持って生まれた特性のようだ。

それで、学園にいた頃、彼はよく、教師達から、「良く調べもせずに他人の懐に飛び込んでいくなんて、王族として好ましくない」、とお説教を喰らっていたっけ。



わたしはしげしげとジュリアンを眺めた。見間違えでない。ペリドットのような色だったジュリアンは、今は、アクアマリンのようにしっとりとした水色になっている。


「ねえ、ジュリアン。初めて会った時、あなたは茶色だったわ。でもそれは泥の色で、水で流したら、緑色になったわ! だからあなたの生まれつきは、緑色のはずよ!」

我ながら素晴らしい推理だと、わたしは思った。

「コルデリア。僕の生まれつきは、人間だよ」

「あっ、確かに」

いやだわ、わたしったら。こんな初歩的なミスを犯してしまうなんて。



「生まれつきの他にもね。生活する場所によって色が変わる者もいるんだって」

ジュリアンが教えてくれた。やっぱり、レメニー河で知り合ったカエル達から得た知識だという。

「土の上では茶色、森の中では緑色。保護色ってやつだね」

「なるほど」


にわかに、ジュリアンが頬を赤らめた。あらやだ。ジュリアンったら、お熱があるのかしら?

「僕のこの青は、幸せの色だ」

「幸せの?」

なじみのない言葉に、わたしは驚き、思わず繰り返してしまった。

「うん。コルデリア、君はよく、青色のスカートを履いているだろう?」

「ええ」

でもそれは、幸せの色なんかじゃなくて、汚れの目立たない、無難な色だからだ。


くるり。ジュリアンが小さな水かきのついた右手で顔を撫でた。ほっぺの熱を冷まそうとしているらしい。


「そして僕は、一日の大半を、君のスカートの上で暮らしている」


「あっ、そっか!」

青いわたしのスカートの上にいて、外敵から身を護るには、自分も青くなるに限る。

「自然の知恵ってすばらしいわ!」


「自然の知恵? いいや。幸せの象徴なんだよ、青いカエルは」


ジュリアンが言い張った。彼は凄く元気そうだ。

ちょっとわたしはほっとした。頬もすっかり元の色に戻っている。どうやらジュリアンは、病気ではないらしい。


「よく考えたら、そうね。わたしの膝の上にいて、外敵が襲って来るなんて、普通は考えられないものね! 自然って、案外、融通が利かないのね!」


きっと、モランシーの神様の同類だろうと、わたしは思った。







相変わらずジュリアンは、わたしの手からしか、食事を摂らない。野菜や果物、頓宮を出たので、肉や魚も食べることができるから、それらをみんな、ペーストにする。どろりとした食べ物をスプーンに乗せて、ジュリアンの鼻先で振る。すると彼は、嬉々として、飛びついてくる。まさに全力で。


ガチャ目(左右の視力に差があること)のカエルは、視点が定まらない。何もないところに盛大に飛びついていくのは、相変わらずだった。的を外して、スプーンの軸や、わたしの手にまで喰い付いてしまうジュリアンは、なんだかちょっとセクシー。


うまく食べられると、彼は、にまあっと笑う。ほんとに笑うの! 口をぽっかり空けて、ピンクの舌が覗けて見えるわ。あんまり幸せそうに笑うものだから、ある日、舌を摘まんでみたのよ。ジュリアン、死ぬほどびっくりしてたけど! 


「カエルの舌を摘まめるなんて、君は天才だ!」

少ししてから、彼、そう言って、褒めてくれたわ!






沐浴も、わたしがしてあげる。職人に、先の凄く細い、専用のじょうごを作らせて、万が一にも、大量の水を被ることのないように、すごく気を使っている。


ある日、わたしがじょうごを片付けて戻ってくると、四つん這いになったジュリアンが、背中を丸めていた。まるで、怒った猫みたいなポーズだ。こっそり近づき顔を覗くと、目をぱちぱちさせ、時折、口をひねったりしている。やがて、後ろ足を交互に上げて、足踏みを始めた。


「あっ、コルデリア!」

わたしの姿を認めると、ジュリアンは慌てた。

「あっち行ってて。お願いだから」


「え? 何で?」

「お願い。済んだらベルを鳴らすから」


いったい、何を済ませるというのだろう。顔をしかめたり笑った顔になったり、百面相のジュリアンって、可愛いのに。

不満だったが、仕方がない。ジュリアンの剣幕に押し出されるように、わたしは、部屋の外へ出た。



少しすると、ベルの音が聞こえた。ジュリアンが紐にぶら下がって鳴らしているのだ。


「ごめんね、コルデリア」

戻ってきたわたしを見ると、ジュリアンが謝った。なんだか、さっぱりとした顔をしている。

つるんとして、余分な物が落ちたような?


「ジュリアン、あなた、とてもきれいよ」

わたしは、思わず賞賛の声を上げてしまった。


「わかる?」

嬉しそうにジュリアンが飛び跳ねる。

「脱皮したんだ」


「脱皮!」

カエルって、脱皮するんだ……。すると、さっき百面相をしていたのは……?


「顔の筋肉を動かして、頭の皮を引っ張っていたんだ」

ジュリアンが説明してくれた。

わたしは不満だった。

「なぜ、わたしを追い出したの? 見ていたかったのに」


「だって、恥ずかしかったんだもん!」


小声でジュリアンが叫んだ。小さく丸まって、本当に恥ずかしそうだ。カエルの脱皮というのは、人間でいえば、お着替えのようなものなのだろうか。

だったら、そうね。お着替えを覗かれたら、ちょっと恥ずかしいかもしれないわ。


「さっきはじろじろ見て、ごめんね。でも、ジュリアンのいろんな表情が見れて、楽しかったの」


わたしが言うと、ジュリアンは、びっくりしたような顔になった。それから、すごく照れくさそうに、俯いてしまった。



「それで、脱いだ皮はどこ?」

「食べちゃった」

「え?」


「下の方を、足で、こう、こういう風に掻いてね」

水掻きのついた後ろ足で、わき腹の辺りをこすって見せる。

「こうやってこうやって、だんだんに顔に寄せて……」

猫が顔を洗うように、両手でもしゃもしゃやってみせる。

「端を口まで持って行って……」

ぱくっと口を開けた。

「……食べちゃうんだ」


「おいしいの?」


恐る恐る尋ねた。皮って、自分の一部よね。さっきまで自分だったモノを食べるのって、どうなのかしら……。


「あんまり。君が食べさせてくれる食べ物のほうが、よっぽどおいしいよ」


「じゃ、なぜ、食べちゃうのよ」

わたしは大いに不満だった。ジュリアンの脱いだ皮……。大事に取っておきたかったのに!


「本能? 敵に見つからないように?」

しきりと首を捻っている。ジュリアン本人にもわからないらしい。


「ねえ、今度は取っておいてよ。ジュリアンの形を、保存したいの」


「ええっ! 破れないように脱ぐのは、難しいんだよ……」

困った顔をしている。


「じゃ、代わりに脱皮してるとこ、見せてよ」

「いやだ!」

即座に断られる。そりゃ、そうよね。お着替えですもんね。

「わたしが覗き見したって、誰にも言わないから」

「君だからだよ!」

「ええーー。なんで?」

「だって、恥ずかしいんだもん!」


あんまり恥ずかしがるので、無理強いするのも、気の毒に思えた。とても残念なんだけど。

改めてわたしは、脱皮したてのジュリアンを見た。つややかな薄青色の彼を。

「ジュリアン、本当に、あなた、きれいね」

脱皮したばかりのジュリアンは、宝石そのもののように輝いて見えた。







小川の城には、庭だけでなく、城内のあちこちに、水場が設けられていた。建物の中を澄んだ水が流れていたり、大きな水盤が置かれていたりする。


使用人たちも、カエルの主人のことはよく把握していた。うっかりジュリアンを踏んでしまうことがないよう、彼らには、注意深く歩く習性がついていた。修道院の尼僧達みたいに、カエルを見て気絶するメイドもいない。


昼間、ジュリアンは、水槽の外で暮らしていた。もっとも、カエルは夜行性なので、たいていは、涼しい水場や、わたしの膝の上で、うとうとしているのだけれど。

それなのに彼は、夜になると水槽に入れてくれとせがむ。


「もし万が一、君の寝床に忍んで行ったら困るだろ」

含み笑いをしながら、ジュリアンが言う。

「朝になったら、僕は、人間になっちまうッケロ!」


それは大変だから、硝子の水槽に蓋をして、彼は、その中で過ごす。

水槽は、かなり大きなものを特注した。循環する水の他に、コケや水草、土もふんだんに入れて、彼が運動できるようにしてある。

大きなものだし、日中は使わないので、水槽は、わたしの部屋に備え付けになった。






小川の流れる音を聞きながら、わたしは、幸せだった。

この幸せが、いつまでも続くと思っていた……。









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