閑話・私が泳げなくてもいい理由
ルフォンは下唇を噛んで泣くのを堪えた。
みんながこっくーこっくーと自分のことを馬鹿にしてくるのが悔しくて、少しも泳ぐことのできない自分が無性に腹立たしくて。
もう泣かないと決めたので泣きたくなかったけれどそんな決意とは裏腹に堪えても涙が出てきてしまう。
諦めたくて、投げ出したくて、それでも諦められなくて。
涙を隠すようにルフォンは顔を水につけた。
こんなこともっと幼い、水が苦手な子供がやることなのだけれど少しずつ段階を上げていこうという話になった。
水が嫌いなわけじゃなくてただただ浮かないだけ。
浮かないというか本当に石か何かのようにあっという間に沈んでいってしまうのである。
どうしてこんな体質なのか一切理由がわからない。
村では12歳になると川まで行けるようになるので遊ぶことができるのだがちゃんと川遊びするのにもルールがあった。
深いところに入らないとか必ず何人かで行動することとか、安全に遊ぶためのルールである。
その中の大前提のルールとして、最低限泳げることがある。
体力作り、体作りにもなるのである意味で鍛錬の一環も兼ねながら12歳になると大人が泳ぎを教えてくれる。
プール授業みたいなもので危なくないように大人が川の浅いところを簡単に区切ってそこで12歳になった子たちが泳ぎを練習する。
真水の川ではなかなか泳ぐのも楽ではなく最低限泳げないと川で遊ぶのも危険であると考えられていた。
しかしそこは魔人族きっての希少種族の子供たち。
難なく泳ぎをマスターしてスイスイと泳ぐ中で頭角をあらわしたのがルフォンだった。
一切泳げない。
大人が手を引いてあげているとまだ良いのだが離すとそのままゆっくりと川底に沈んでいってしまう。
体の力を抜くとか単純に水に浮くだけのようなこともルフォンには難しかった。
まさしく黒重鉄で体ができているのではないかなんて思えるほどだった。
子供の口にするあだ名は時に残酷だ。
きっと考えたのは他の、もっと上の世代の大人が子供の時に誰かが言い出したものがなぜか伝わっていた。
水に浮かない黒重鉄。
それを言いやすく“こっくー“とカナヅチのことをみな呼んでいた。
こっくーなんて可愛らしく言い出したのは最近の子たちかもしれない。
響きは可愛くても言われた本人はとても嫌だった。
そもそもルフォンは水着も嫌だった。
水着と言うが可愛げのあるものではなく、村での水着はいわゆる競泳水着のようなピチッとしたものを水着としていた。
名前も水着じゃなくて水衣とかそんな呼び方であった。
成長期にあって体の作りが変化しつつあるルフォン、というか女の子たちにとって体のラインが出る水衣はとても不評だった。
なんやかんやでみんなが川遊びが許可されていくのにルフォンだけは一向に泳げる気配すらなかった。
見かねたウォーケックがルフォンに付きっきりで教えていたのだけれど上達しない原因も分からなかった。
いつまで経っても初心者ゾーンから抜け出せないルフォンを誰かが軽い気持ちでこっくーと言い出した。
ルフォンがそれを鼻にかけたことなんて一度もなかったがやはり先祖返りという体質はどうしても奇異の目で見られ、からかいの対象になってしまった。
リュードが止めるが人の口を塞いで回ることもできない。
「ごめんね、リューちゃん……」
初心者ゾーンのある川の横で朝から泳ぐ練習をしていたルフォンとリュードは休憩していた。
ウォーケックも練習に付き合ってくれていたけれどいつも付き合えるわけじゃない。
全くルフォンが泳げない事は皆分かっていたので1人での練習は許可できなかった。
そこでリュードが大人に頼み込んで自分が責任を持って面倒を見ると約束して練習に付き合った。
川遊びは絶対じゃない。
泳げないなら諦めて川に近づかないでもいいのにルフォンが泳ぎを頑張る理由はリュードがいるからである。
やはり川遊びの人気は高く、暑い季節になるとみんな川に行きたがる。
当然リュードも誘われれば行くこともあるのだけど、リュードに引っ付いて回っていたルフォンは泳げないので川に行く事は許されなかった。
リュードの側にいたいという思いや水着姿のリュードをもっと見たいなんて下心があったりなかったりして、ルフォンは泳ぎの練習を頑張っていた。
もちろん1人だけ泳げないのが悔しかったりこっくーと馬鹿にされるのが嫌だっていう思いもあった。
リュードも根気強くルフォンの泳ぎの練習に付き合っているのだけど上手くならない。
何か呪いでもかけられているのではないかと疑えるほどに泳げないのである。
本当ならもっとちゃんとしたところでリュードも遊んでいたはず。
自分が泳げないせいでリュードを付き合わせてしまっている。
申し訳ない気持ちでルフォンはいっぱいになった。
泳げない自分に幻滅しただろうか。
散々付き合わせて上達の気配も見えない自分を嫌いになっただろうか。
何もかもが上手くいかなくてルフォンは自己嫌悪に陥っていた。
「んーにゃ、謝る事じゃないよ」
日がポカポカとして暖かい。
好きでやってることだからそんなに落ち込んだ顔をしないでほしいとリュードは思った。
こっくーこっくーとルフォンのことを馬鹿にするアホどもの顔が頭に浮かんできてムカつく。
それは実際淡い恋心的なものも混じってのことだったのだけど泳げないくらいで人を金属呼ばわりするとは何事だ。
何回か誘われたからリュードも川遊びをしたけどルフォンが近くにいないというのはどうにも落ち着かない。
ジッと窓から悲しそうな顔で見てくるルフォンの顔が頭をチラついてしまって心の底から楽しみきれない感じがあった。
川に行くなら釣りでもしてる方が実はリュードは好きだった。
泳ぎが嫌いなわけじゃないけど誰か流される奴はいないかなんて中身が大人なリュードは気になってしまう。
「俺が好きでやってんだ。
ここはごめんじゃなくてありがとう、だろ?」
「うん……ありがとう」
結果的には一緒に川遊び。
しかも2人きり。
そう考えると泳げなくても悪くないとルフォンは顔が熱くなってくる。
「きゅ、休憩終わり!
また泳ぐ練習するから手伝って!」
バシャバシャと川に入って顔を水につける。
水に慣れることからやっていけばいいなんて軽く誰かが言ったけれど水に慣れてないわけじゃない。
今だって顔の赤みを取るために水に顔をつけている。
「ほら」
「う、うん……」
リュードに手を引いてもらい、ルフォンは体をまっすぐに水に浮かして足を上下にバタつかせる。
人に支えてもらっていると浮いていられる。
そういえば手を握っている。
気づいちゃったルフォンは途端に手が熱く感じられた。
リュードの手が熱いのか、自分の手が熱いのかわからない。
川の水がかかっているはずなのに触れ合っているところが妙に熱く感じられた。
その日は結構長いこと練習したけれどルフォンはリュードが手を離すと沈んでいってしまい、泳げるようにはならなかった。
次の日も練習することになっていたのだけどリュードが用事で遅れることになった。
1人で川に入っちゃいけない。
大人しく待っていたルフォンだったけど欲が出た。
「リューちゃんがくる前に泳げたら……」
きっと驚いて、喜んでくれる。
浅くて流れの緩やかなところなら大丈夫だろう。
そう思ったルフォンは思い切って少しだけ1人で練習することにした。
誰もいない川、泳げないルフォン。
いつもは心地よく感じられる川の冷たさがなんだか怖く感じられる。
「不安になっちゃダメ!」
ふるふると頭を振って不安を追いやってルフォンもう少し深いところで顔を水につけてみようと思った。
「痛っ……ちょ、あっ!」
何か硬くて鋭いものを踏んで足に痛みが走った。
咄嗟に足を上げてしまったルフォンは川の流れと川底の苔に足を取られてひっくり返ってしまった。
流れが緩やかが故に川底が滑りやすくなっていたのだ。
グルリと回転するようにしながら流されるルフォン。
(柵があるから……)
区切ったところは柵がしてあって流されても引っかかるようになっている。
だから安心だと思った。
背中がドンとぶつかり、柵の端までたどり着いたのだと柵に手をかけて顔を水から出した。
「あっ、えっ!」
柵を作ったのはいつで、最後に点検をしたのもいつのことだろうか。
ルフォンの体重がかかった柵はバキリと壊れて、ルフォンは柵の外に投げ出されてしまった。
グルグルと水中で回り、上がどちらかも分からなくなる。
まだろくに息も整えられていなかったのですぐに苦しくなってきて、恐怖心で体が動かなくなる。
(こんなところで死んじゃうのかな……)
流されて死んだなんて知ったらリュードはショックを受けるだろうし、責任を感じてしまうかもしれない。
リュードのせいじゃなくて自分が勝手したせいなのだからどうか責任に思わないでほしいな、なんて考えていた。
「しっ……!」
何かがルフォンの尻尾を掴んだ。
敏感で他の誰にも触らせたことない尻尾を誰かが鷲掴みにしてルフォンを引き上げる。
「プハッ!」
ルフォンの尻尾を鷲掴みにしたのはリュードであった。
リュードはルフォンが柵を伝って顔を出した一瞬を見ていた。
柵が壊れてルフォンが川に投げ出されてリュードは慌てて川に飛び込んだ。
目一杯腕を伸ばして掴んだらそれがたまたま尻尾なのであった。
「ルフォンの馬鹿野郎!」
珍しくリュードがルフォンに怒った。
一歩間違えれば、どころかリュードが来なかったら、あとほんの少しでも遅れていたらルフォンは死んでしまっていた。
「ごめんなさい……」
「あれほど1人で入るなって……」
ボロボロと泣き出すルフォンは震えていた。
そんなに怖くないと思っていた水が少し怖くなってしまった。
リュードが来なかったらと考えると恐ろしく、リュードが説教するまでもなくルフォンは反省していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「分かった……分かったからさ」
泣かれると弱い。
ルフォンだって溺れたくてこんなことをやったのではない。
滑って転び、柵が脆くなっていたという不幸が重なった。
「ほら、泣くなよ……」
そっとリュードの上着をかけてやるとルフォンはそれに顔を押し当てて嗚咽して泣いてしまった。
もう怒るに怒れない。
リュードはそっとルフォンの背中をさすって泣き止むのを待った。
「ごめんね、リューちゃん」
ひとしきり泣いたルフォンは目が真っ赤になっていた。
「もういいって、だけど1人で川に入るなんてこと2度としちゃダメだ。
それだけはわかってくれよ?」
「うん……」
「……いや、もうさ、そんなに練習しなくてもいいんじゃないか?」
「えっ?」
見捨てられた。
ルフォンはそう思った。
止まったと思った涙がまた溢れ出しそうになって視線を下げて堪えようとする。
「ルフォンは……料理もできるし誰よりも優しいし…………可愛いし、なんでも出来るだろ?
1つぐらいできないことがあったって不思議じゃないし、それがまた可愛いっていうとあれだけど、こう完璧でいるよりも隙があった方がいいっていうか。
……言ってて訳わかんなくなってきたな。
その、つまりアレだ。
ルフォンが溺れたら俺がさ、絶対に、何度でも助けるからさ。
あんまり無理はするなよな」
「リュー……ちゃん?」
「多少泳げて損はないけどさ、泳げなくたって俺がいるから」
「リューちゃぁん!」
「なんだよ、もう泣くなって……」
1つぐらい弱点があってもいい。
それをリュードが疎ましく思わず可愛いとまで思ってくれるなら。
もう何回か練習してみたけどルフォンは泳げるようにならなかったから、もう泳ぐ練習をするのはやめた。
出来ないことに時間をかけるよりリュードが喜んでくれるような、例えば料理の腕を上げることなんかに時間を使おうと思ったのである。
「絶対に、何度でも……」
だからルフォンは分かっていた、リュードが助けに来てくれるって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます