第189話〈2巻発売記念SS〉ノアさんのひとりごと 2
新しい家での、初めての夏。
カナタと二人で暮らしていた都会の家ではずっと「エアコン」が付いていたので、快適に過ごすことができた。
緑豊かな新しい家ではあまり「エアコン」が使われることはなかったが、ノアはそれほど気にならなかった。
だって、ここはとても広いのだ。
家がふたつ、「スライム」や「うさぎ」がたくさんいる小さな家とドアのない家もあった。
白くて大きな鳥が住む小屋に、人が住んでいない透明な小屋もある。
「家と庭の敷地内なら、遊びに行ってもいいわ。外には出たらダメよ?」
カナタにそう言われたので、賢い
テリトリーの外が気にならないかと言われたら、多少は気になるが、以前にカナタと暮らしていた家と比べたら、ここはネコの天国だ。
暑くても風の通り道を探せばいいし、虫や小動物がたくさんいて暇つぶしにはもってこいの場所だった。
(この家のニンゲンは皆、狩りがヘタだもの。わたしが獲ってやらなくちゃ)
尻尾が切れる小さいのと遊ぶのも楽しいが、ノアが積極的に狩ったのはニンゲンが嫌う黒い虫だ。
クスリを飲んで元気になったノアにとって、素早く逃げる虫は敵ではない。ぺしっと前脚で叩くと、あっさりとひっくり返った。
それを咥えてニンゲンに見せに行くと、大抵悲鳴を上げて叱ってくるので、最近は狩るだけ狩って、後始末はシアンにお願いしている。
あとは食料を置いてある部屋に、夜になると現れるネズミもよく狩った。
虫よりも楽しい獲物なので、せっせと狩っているうちに、最近は見かけなくなってしまい、残念だ。
ちなみに彼女はグルメなので、カナタが用意してくれるカリカリや缶詰、オヤツしか口にしない。
ネズミの死骸もシアンが片付けてくれた。
黒い虫やネズミは見かけなくなったが、その代わりに新しい獲物が現れた。
庭の木に棲む、うるさい虫だ。
カナタもその虫にはうんざりしているようで、眉を寄せながら、ぼやいていた。
「さすが、田舎。セミの鳴き声が激しいわ」
「そのうち聞き慣れると思いますよ。カエルの声と同じです」
「……そういえば、梅雨時にあれだけうるさく感じていたカエルの声が気にならなくなっていたかも」
「田舎暮らしに慣れると、もう脳が騒音だと認識しなくなるんですよねー」
カナタとミサの会話にこっそり耳を傾けて、ノアはカエルとセミが騒音の原因だと理解する。
カエルはピョンと飛び跳ねるので、楽しい獲物なのだが、我が家の庭にはあまりいない。
なので、狙うのはセミ一択。うるさく鳴いているため、セミは見つけるのが簡単だ。
木登りが得意なノアにとって、セミは良い獲物だ。ぺしっと叩き落としてご機嫌で咥える。
ニンゲンに見せると嫌がられてしまうので、これは白い鳥に持っていく。
ニワトリ、と呼ばれる鳥たちはこのセミをノアが与えてやると大喜びで啄む。
セミを食べるニワトリを目撃したアキラが青ざめていたが、ノアは気にしない。
彼女は食べないけれど、セミはネコにとってご馳走なのだ。近所に住むノラネコが美味しいのだと教えてくれた。
ニワトリたちも気に入ったようで、嬉しそうに食べている。
(わたしの手下だもんね。美味しい虫は獲ってあげなきゃ)
彼女は愛情深いボスなので、懐に入れた手下には優しいのだ。
そんな風にして、夏を楽しんでいた彼女に試練が訪れた。
いつもは大人ばかりで落ち着いた風情の家に、なんと騒がしい子供たちがやって来たのだ。
大多数のネコがそうであるように、ノアも子供が苦手だった。甲高い声で叫んだり、尻尾をつかもうと追い掛けてくる。
子猫時代に近所の子供たちにもみくちゃにされてから、すっかりトラウマになっていた。
「ネコ?」
「すげぇ、でっかいネコだ!」
同じ顔をした子供たちはカイの弟らしい。
わぁっと歓声を上げて寄ってきたので、ノアはさっさと逃げ出した。本気を出したネコの逃亡にニンゲンは追い付けない。
スライムのいる場所に繋がっている建物に逃げ込んで、しばらくは隠れておくことにした。
「ごめんなぁ、ノアさん。弟たちが騒がしくって」
やがて、こっそりとカイが現れて、水とフードを持ってきてくれた。
心配したカナタやアキラ、ミサも時折様子を見にきてオヤツをくれたので、ノアはどうにか怒りを抑えることができたのだった。
息を潜めて隠れていると、子供たちはノアには気付かない。
遊ぶことに夢中で、すっかり忘れているようだ。
そうなると、ノアの好奇心がくすぐられた。
(こっそり隠れてついていってあげるわ。ここはわたしのテリトリーだもの。ちゃんと見張っていないとね)
見つかって追いかけられたって、逃げればいいのだ。そう腹を括ってしまえば、何てことはなかった。
手下のニワトリたちが、あの小さいニンゲンを突かないよう、小屋の塀に登って見張ってみる。
目を光らせていたおかげで、ニワトリたちは特に何もしなかった。
通りがかりにミサに「ノアさん、子供たちを見守ってくれていたのね。ありがとう」と撫でられてしまう。
(べつに、見守ってなんかいないわよ!)
つん、と顔を背けて「ちがう」と訴えたのに、微笑ましそうにされたのは納得がいかない。ご褒美のジャーキーはしっかり貰ってあげたけど。
小さな子供たちはノアのことを「でっけー!」「ライオンだー!」などと失礼なことを言ってくるので気に入らないが、少しだけ大きな方の子供は見どころがあると思っている。
だって、彼女のことを「綺麗なネコさん」だと褒めてくれたのだ。
カナタほどではないが、撫でるのもうまい。
小さいのと違って、うるさくないし、無理やり触ってこようともしない。
ちゃんとカナタとノアに「触ってもいいですか?」と確認してからでしか、手を伸ばそうとしないので、気に入っている。
これもカイの弟で、リクと呼ばれていた。
(いい子ね。ただ、優しすぎるのが心配だわ。ニンゲンの世界では弱いといじめられるのよね?)
彼女のなかでは、この見どころのある少年は既に子分とみなしていたので、頼りなげなリクを鍛えなければ、と考えた。
そうして、スライムのいるあの場所へ連れて行くことにしたのだ。
ニンゲンを誘導するのは簡単だ。
見つかりやすいように、わざと足音を立てながら、のんびりと歩いていく。
少年がちゃんと付いてきているかを振り返って確認しつつ、ノアは白い建物の中へと滑り込んだ。
アキラとカイが彼女のために作ってくれた小さな専用ドアをくぐる。
目論見通り、リク少年は後を追ってきた。
ふさふさの尻尾を上機嫌で揺らしながら、ノアはしゃなりと歩く。
背後を一瞥すると、リクは心配そうな表情をして「ノアさん」と呼び掛けてきた。
聞こえないフリをして、彼女はスライムのいる場所へ繋がるドアを開けた。
◇◆◇
優しいけれど、弱っちい「お気に入り」を鍛える作戦は成功した。
最初はおそるおそる、そのうち楽しくなってきたのか。積極的にスライムを倒していったリク。
ちゃんと魔法も覚えたようで、彼女の土魔法には敵わないまでも使えそうだわ、と我が事のように嬉しくなった。
久しぶりのスライム潰しは楽しくて、熱中してしまった彼女はつい周囲の確認を疎かにしてしまい──
「リク⁉︎」
ダンジョンの下層から戻ってきた四人に見つかり、カナタから叱られてしまった。
「……ノアさん? どうして,あんな危険なことをしたの」
「なぁぁぁん?」
「分からないフリは通用しないわよ? あなた、実は言葉も分かっているでしょう」
「ぬぅぅ」
両脇の下を掴まれて、じっと見下ろされるとお尻のあたりがもぞもぞする。
そっと視線を逸らそうにもカナタは許してくれない。
「リクくんが怪我をしたらどうするの」
「にょおん」
ちゃんと見張っていたから大丈夫よ。
そう訴えても「……ノア?」と睨まれてしまう。大丈夫なのに。ニャゴニャゴと不本意そうに鳴く。
怪我をしたら、あのクスリを飲ませれば平気でしょ?
『賢いノアさん』はポーションをちゃんと理解しているのだ。
「ポーションで怪我が治っても、子供に痛い思いをさせるのがダメなのよ」
こんこんとお説教されて、ノアはようやく反省した。カイと同じくらいの大きさだから、大人に近いと思っていたけれど、まだ庇護の必要な子供だったのかと。
ごめんなさい。肩を落として鳴くと、分かればいいのよ、と撫でてもらえた。
反省を示したところで、ようやく解放される。
すぐ隣で同じように兄のカイから叱られていたリクも同時にお説教は終了したようだ。
じっと見上げていると、気付いたリクが顔を寄せてきて、小さな声で囁き掛けてきた。
「ノアさん、ありがとう。怒られちゃったけど、楽しかった。魔法も使えるようになったしね?」
悪戯っぽく笑う表情は、カイにそっくりだ。
大人しそうに見えたが、わりと良い性格をしているのかもしれない。
面白いわね、あなた。瞳を細めて小さく笑う様はネコっぽい。さすが、我が弟子。
「また遊びにくるね」
ほっそりした指先で顎の下を撫でられる。
夏の数日間を共にしたお気に入りの少年を見上げて、ノアも「またね」と見送ってやった。
◆◆◆
いよいよ明日発売される2巻刊行記念のSSです。
ノアさん視点。
2巻は書き下ろしもあるので、ぜひお手に取っていただけると嬉しいです!(宣伝)
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