20. 夜の散歩

適度な運動というのは健康にいい

身体だけでなく 精神衛生にも大変いいものだ

そんなことをぶつぶつとつぶやきながら 彼は路地を歩く

街灯をひとつ またひとつと

越していく 越えていく ぺろりと平らげていく

ああ夜風が気持ちいい 人気のない夜の街もいいものだ と

聞く者もいないのにぶつぶつと相変わらずつぶやいている

こうして愉快に散歩をしていれば 明日のことをあれこれと思い煩う

   憂鬱な意識もいつの間にかおとなしくなって

将来への期待やら希望やら そんなもので胸がいっぱいになるようじゃないか

彼はずんずんと歩いて行く

半時間ほど歩いたら 満ち足りた表情で家路につこう


アスファルトの上を歩く彼は かつてアスファルトの地面に突っ伏して

   泣きはらした彼だ

彼がついさっき通り過ぎた街灯は かつて不安が高じて息もできなくなった彼を

   無情にも(または憐れみをこめて)見下ろしていた街灯だ

彼が辿る道は かつて陰惨な表情の仮面をつけ 意識を朦朧とさせながら

   ふらふらと歩いていた彼を 幾度となく呑み込んでいた

しかし今では何もかもが視界の外へと飛び去った

勝手に飛んでいったわけじゃない 他ならぬ彼自身が振り払ったのだ

数多の希望が生まれては潰えていったが 彼は理想を高く保ち続けた

酒は飲めば飲むほどかえって精神を責めさいなむものだが

はたしてどれほどの酒が これまで彼の喉を焼いたことだろう

別に事情は何も変わっちゃいないさ

ただ彼はこれまでと同じ彼では決してないんだ

これは歴然としたことだ


真っ昼間に太陽の下を散歩することは おそらく彼にはできないだろう

焼けつくような暑さと ごみごみした群衆 往来

だが彼はこうして夜の街路を 胸を張って歩くことはできる

彼は魔法の言葉のように いつまでもいつまでもつぶやき続ける

「精神衛生、精神衛生、精神衛生・・・・・・」

彼は祝福されている 夜に

いやそれ以上に 自分自身によって祝福されているのだ

見渡す限りの星空も美しいが

彼を包み込み保護する 深々とした拡がりをもった夜そのものが

これ以上ないほど美しい!


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