第44話

【シオン】


「アレン、おいアレン」

 もう間も無く九桜くんより遊郭に到着する案内を受けた私は彼の肩を揺する——が、起床する気配がない。

「……むにゃ、むにゃ。おっぱい!」

 ふむ。眠りが深い。それにずいぶん楽しそうな夢だ。起こすのが忍びなってきたな。 

 もしかしたら【再生】を乱発させてしまったことに対する反動だろうか。

 だとしたら申し訳ない。

 さて、どうするか。

 幸い講義と質疑応答は終えている。

 患者の症状と私が得た知識が一致していれば、彼が言っていたことの照合も取れる。


〈九桜くん〉


 私は影の中から彼女に話しかける。


〈どうした〉

〈軟禁して講義をさせ続けた反動だろう。アレンが起きない。さすがの私も思うところがある。このまま彼を寝かせてあげたい〉


〈しかし……〉


 声音に困惑。九桜くんの言いたいことはよくわかる。

 【色欲】の魔王自ら足を運んでいる案件だ。謎の病を引き受けておきながら、寝て呆けていると知られるわけにはいかない。

 この状況で女の胸部を連呼しながら寝続けられる度胸も異次元ではあるがな。

 だが、バカ正直に伝える必要もあるまい。

 ここは彼の奴隷である私が機転を利かせるべき場面だ。


〈影の中でもシルフィくんの【風の知らせ】は発動可能かな? できれば九桜くんにも彼女との会話を聞いてもらった上で辻褄が合うよう臨機応変に対応をお願いしたい〉


〈ああ。心得た。まずは隠密性を一段階引き下げた。シルフィに話しかけてみてくれ〉


〈シルフィくん。聞こえるか〉


【風の知らせ】はシルフィくんが奴隷間のコミュニケーションツールとして開発した風魔法だ。言語情報を風と同調。

 あらかじめ指定していた術者限定で言葉に頼らない意思疎通が可能。

 風操作において右に出るものがいないエルフだからこそできる超絶技巧であり、私も含め、ドワーフや鬼たちが発動する場合の負担と処理は全てエルフ持ちになっているそうだ。


〈ええ、聞こえるわ。さすが幻鬼の九桜ね。影の中からでも【風の知らせ】が有効なんて〉


〈取り乱すことなく情報を処理して欲しい——アレンくんが起きない〉


〈……続けてもらえるかしら〉


 ふむ。さすがアレンが最も信頼を寄せているという噂のシルフィくん。九尾と移動を共にしておきながら一切の動揺を見せない。

 流石だ。希少種エンシェント・エルフは伊達ではないな。


〈息はある。現在はぐっすり夢の中だ。寝言も確認できている。おそらくだが、私が彼の知識を預かるために一週間ぶっ続けで講義をさせてしまった反動かもしれない〉


〈……寝食を忘れて貴女に講義をしていたのね。彼の奴隷に甘い性格も考えものね。自制するよう私からも注意しなければいけないかしら〉


 すまないアレン。私の好奇心によりシルフィくんの規制が入るかもしれない。

 この場は私が対処するから、そこはどうか赦して欲しい。


〈私と九桜だけにこの状況を話したということは今後の方針があるのでしょう? 聞かせてもらえるかしら〉


 うむ。素晴らしい。状況判断に柔軟性がケタ違いだ。話が早くて助かる。


〈出発前の彼の発言を聞いていたキミなら想像がつくだろうが、アレンはすでに遊郭で遭遇する病について目星がついていた〉


〈ええ。本当ならその時点で色々問い詰めたくなる先見性だけれど……いい加減慣れてきたわ。大丈夫かしら私〉


〈心情は察しよう。実は九桜くんの影で彼の知識は全て確認し終えている。自慢するつもりではないが、。だからこそ【再生】を除くならば彼のやるべきことは既に終わっているとも言える〉


〈彼を寝かせたまま診察をするつもり?〉


〈ああ。シルフィくんは教会が治癒魔法を発動する対象をより好みしている事実は存じ上げているか〉


〈ええ。遊女や娼婦は穢れの対象で治癒を禁忌にしている意味のわからないアレでしょう?〉


〈アレンはその現況を嘆いていてな。だったら「治癒魔法に頼らない方法で解決してやんよ」と言っていた。そしてそれはもう私の頭に移譲されている。正直に告白すれば研究したいという欲求が強い。だからこそ彼が眠っているこの状況は望ましいとも思っている〉


〈——なんとなく話は見えて来たわ。アレンをリカバリー要因として温存。本当に対処しきれない事態の切り札にするつもりね? それまでは貴女が責任を持って対処する、と〉


〈流石だ。その通り。全力を尽くそう。幸いこれからことにあたるのは軽症——初期症状が見られる遊女たちと聞く。余裕があるわけではないが、私が研究する時間はあるだろう。なにせアレンの言う通りであるなら、後は。方法や課題になりそうなところもあらかじめ分かっている状態だ〉


〈アレンが貴女に叡智を授けたという事実が全てを物語っているわけね。いいわ。それじゃ彼は影の中にいてもらいましょう。九桜、貴女はそれで大丈夫かしら〉


〈問題ない。口裏も二人の考えたシナリオで合わせよう〉


〈わかったわ。それじゃ【色欲】の魔王にはアレンがこの一件を最も適任者であるシオンに一任。文字通り陰ながら応援していることにしましょう。想定外の事態に姿を現すつもりだと。シオンの成長も含めた上で九尾の救援に応えるつもりであると。どうかしら?〉


〈悪くないね。寝坊のことをわざわざ表に出す必要もあるまい〉

〈シルフィとシオンのシナリオは心得た〉 


【色欲】の魔王に気取られることなく、口裏合わせが完了する。

 いくら責任の一端が私にあるとはいえ、改めて考えると色んな意味で面白い状況だ。


 特にこの状況で安眠できるとは。なかなかに肝が据わっている。それだけ私たちのことを信頼しているのか。

 それともアレンからすれば『この程度なら任せても問題ない』という遠い領域による英断か。こればかりは彼しか知るよしもないことだ。神のみぞ知る世界だな。


 女神「(ツッコミたい! おねんねしているだけだってツッコミたいです!)」


 というわけで遊郭に到着。

 九桜の影から私だけが姿を出す。それにしてもこの白衣は素晴らしいな。実に落ち着く。

 

 さて、問題はアレンから得た情報と現実の照合だが——、


「こっちでありんす」


 ——感染部位の潰瘍かんよう。それから発疹。範囲が広いな。

 それからこちらの少女は……なるほど。排尿時に痛み、と。淋病の可能性が高いな。


 ……ふむ。


 シルフィくんも九桜くんも素晴らしいな。全く動揺や不審な挙動が感じられない。

 主不在で魔王が絡む案件だ。客観的に考えればもう少し取り乱したり、私の診察の結果を気にしそうなものだが——これもアレンに対する信頼感が成せる偉業、いや、異常かな。


 とはいえ、さすがの私も目を見開いてしまう。驚きを隠せない。

 彼から聞いていた情報と現実の照合率が私感だと99%以上だ。

 ここまでくるとむしろ怖くなってくる。

 ここで成果を出せば、これからも私は奴隷という立場でありながら好き放題研究ができる環境が保障されるかもしれない。


 これは二重の意味で腕の見せどころだな。方法や課題、性質などは全て情報として教わっている。

 いわば私に託された使命はそれをなぞり、再現することだ。

 本来ではあれが概念そのものがない中で何百万回という失敗を繰り返しながら新たな何かを発見するのが研究の本質。

 これだけのことを与えてもらいながら、至ることができなければ、私はこの分野でアレンの期待には応えられないドワーフということになる。

 

 それはちょっと——、いや、かなり嫌だな。

 あまり想像もしなくない。

  

「とりあえず、ここまでは全て彼の想像通り、とだけ言っておこうか。九桜くん、すまないがすぐに修道院——私の研究室に戻りたい。頼めるかな。シルフィくんは蜜柑の【発成実】とパンを作ってもらいたい、それから鬼たちの手も借りたいね。【腐敗】とはまた別の闇魔法を試させて欲しい。それから【無限樹】を描出されたエルフには——」


 脳内に目まぐるしく情報が飛び交う。比喩として火花が散りそうだ。

 だが、楽しいなこれは。胸が躍るとはことのことだよ。いつかはアレンの知らない発見をしてみたいものだ。


 単離(ペニシリンのみ分離)は……ここは難しいな。いくつか魔法を試してみるしかあるまい。

 培地(生育環境の提供)はまずは米や芋の煮汁の液体培養で——。

 液体に油を入れて攪拌、水分を残し木炭に吸着させて水と酢で洗う。日本酒があったな。

 炭を漬ける弱アルカリ水は重曹を使おうか。海水を電気分解すればいい。

 錬金術スキルで問題ないだろう。Lv10に到達しているノエルくんがバックフォローを得られるというのも心強い。

 やはり持つべきものはエルダー・ドワーフの天才上司だな。


 ふむ。ひとまず抽出方法は

 患者の体液をサンプルで持ち帰って効果を確認しよう。ペニシリンを垂らして菌が死ねば抽出に成功したと判断しても大丈夫だろう。酸と加熱には厳重注意。

 それから注射器の設計開発を——ここはノエルくんにお願いして……。


 結論から言うとペニシリンの抽出、生産に成功。エルダー・ドワーフ、ドワーフスミス、そしてドワーフたちの高い連携により難なくことを得た。


 やはり答えがわかっているものだったのが大きいな。

 再現も十分やりがいはあるが、やはりいずれは私も未知なるものを発見したいね。


「私もうダメなんだって……あとは死ぬだけなんだって……うっ、ひくっ。先生ありがどう、ございまず、ありがどうございまず」


 目の前には梅毒の初期症状が現れ、精神的に疲弊していた紫くんの不安から解き放たれた安堵の涙。

 研究者、科学者冥利に尽きる光景が広がっていた。

 これで軟禁の償いとさせてもらおうか。寝坊の借りも返したぞアレン。

 

【アレン】


 ——パチンッ(鼻から風船が破裂)

 ハッ! いかん! 寝坊した⁉︎

 いま、どこだ⁉︎ どういう状況? 遊郭に到着したら起こしてくれるって言ったんじゃん! 

 あれ、シオンがいない⁉︎ どこいったあんにゃろう! なんで影に俺一人なんだよ⁉︎

 

【色欲】の魔王が直接足を運んでおきながら、依頼を引き受けた本人が寝坊とか洒落になんねえぞ! いやマジで! 失礼すぎんだろ! 

 まさかシオンの野郎、仮眠を進めたり、起こしてやるなんて心遣いありがてーと思っていた俺を出し抜こうってか!


 そうはさせるか! 俺から活躍の場を取り上げようたってそうはいかねえからな。

 当たり前じゃねえからなこの状況! 俺が無能系主人公なのは当たり前じゃねえからな⁉︎

 おのれシオン! 許さねえ。もう絶対許さねえ。


 かませ犬の分際で! ええい! どれくらい寝坊したかはわからねえが、いくら天才でも俺の活躍が一切ないなんてことは——、

 

「私もうダメなんだって……あとは死ぬだけなんだって……うっ、ひくっ。先生ありがどう、ございまず、ありがどうございまず」


 ——なんじゃこりゃああああああああ!!


 俺だけ遅れた時間軸に取り残されてんじゃねえか! 何が! 何があったの!


 吾輩、寝るしてない!

 影の中で頭を抱えながら転げ回る俺。

 影がキンキンに冷えてやがる! 冷てえ!


 女神「もう終盤だね。アレン矮小に見える。(中略)バイバイ。バイバイ。バイバイ。(中略)仕事したのはたしかにシオンだけ。間違いなくシオンだけー♪」


 マジでもう終わりじゃねえか!

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