第38話

【九尾】


 あっちは横になった千早ちはやの頬を撫でるでありんす。

 かつては遊郭で花魁道中にまで上り詰めた人間の女。

 瞼を閉じれば当時の華やかさがありありと思い返されるでござりんす。


 けれど現実は残酷でありんすな。魔王という立場上、死はいつだってついて纏うもの。

 だからこそ死神の鎌を首筋に当てられた者はようく見えるでござりんす。

  

 千早の躰はもう——。

 

 どうか千早に安らかな死をお与えになっておくんなんし。


「もう……九尾ちゃん。そんな悲しそうな顔しないでよ。これは私たちにとって勲章のようなものじゃない」


 そう言って千早は全身の皮膚にできた——中でも胸にできた硬いしこりを見せて来なんす。

 

「私はね——後悔なんてしてない。ううん、むしろ感謝しかないの。当然でしょ? 九尾ちゃんやおゆかり様に良くしてもらって……そのおかげで幼かった弟妹だって立派になれて……うっ!」


 いよいよ始まったでありんすか。

 遊女が罹る病。死に至る最後の症状。胸やお腹から出血し、ショック状態になりんす。


 この世界は神官を回復士は遊郭や遊女を穢れの対象として【回復】の発動を禁じられているでござりんす。

 治療しておくんなんし——そのお願いは一度だって叶えられたことはありんせん。


 男にとって遊郭の女はいつだって物。消耗品でありんした。

 神官を束ねる幹部たちはあっちの意見なんて聞きやござりんせん。


おさればれさようなら。お別れの時間ね九尾ちゃん。お願い、始めて!」


 悲痛の表情。

 そのあとに決意のこもった表情。


「安心しておくんなんし。安らかな眠りを約束するでありんすから」


「本当に最後までありがとうね九尾ちゃん。みんなも最後に会いに来てくれて嬉しかった」


 最後の言葉を胸に刻んで幻覚魔法を発動。

 記憶にある楽しい過去を再生するでありんす。この魔法をかけられた遊女たちはみな幸せそうな表情で最期を迎えるんでござりんす。


「【金朱業火】」

 

 精神こそ幻覚で楽しいひとときを過ごせるでありんす。

 でも、それは偽り。謎の病が肉体を蝕み、死に至らせていることこそ現実。

 せめてあっちが一瞬の痛みもなくあの世へお見送りするでござりんす。


「おさればれ……千早」


 ☆


【ネク】


「終わったの〜?」

 供養を終えた九尾ちゃんに話しかける。

 あらら。また一人で泣いたのね〜。充血してるわ。

「教会に話をつけてくるでありんす」

「でもそれは——」

「いいなすんな」

 

 あら。あらあら。さては戦争するつもりね〜。

【回復】を発動できる神官や回復術士を束ねる組織は教会。彼らは遊女を穢れの対象として治療を固く禁じているわ。

 まあ、遊郭の後ろに魔族の頂点である魔王の一人が尾を引いているから彼らが躍起になって禁忌にしているのもわかるんだけど。


 でもわたしは〜、裏に何か陰謀めいたものが渦巻いている気がしてならないんだけど〜。


「あちきは【色欲】の魔王。人間の色と見栄を支配する存在でありんす。でも、彼女たちを見送り続けて情が移りんした」


「九尾ちゃんは優しいものね〜」

「わちきの元で働く遊女だけでござりんす。彼女たち以外の人間はただの虫でありんす」

「これまで散々九尾ちゃんが申し入れしてたじゃない〜。向こうにも対面があるわ。今さら遊女への【回復】を解禁すると思う? 教会が魔王に屈したことになるわ。ありえないんじゃないかしら」


「だからこそわちきが——」

「少しカッとなり過ぎよ〜。九尾ちゃんの悪いところね。この悪環境を打破できる可能性がある人間を一人忘れてないかしら〜」

「人間? 人間ごときがこの悪しき慣習を変えられるわけが——!」


 言いかけてようやく思い当たる男を思い出したようね。

 良かったわ〜。久々の戦争も良いんだけど、聖女と【破壊】の勇者とぶつかるとこちらもそれなりに準備がいるから。

 未だそのときじゃないと私は思うの〜。


「アレン。そういえば間夫、本命の男でありんしたな」

「妙な知識を持っているから、もしかしたらやってくれるかもしれないわよ〜。幻鬼の一件では【再生】を発動せずに乗り切ってみせたしね〜。もし九尾ちゃんの辛苦も緩和されるんじゃないかしら。試してみる価値はあると思うわ」


「たしかに。この問題を解決してくれるんでありんしたら、わちきも胸を張って魔王に推薦——心置きなく肩入れできるでありんすな。そうと決まれば早速にお願いに上がるでござりんす」


「それが良いと思うわ」

 さーて。アレンはこの難題に応えてくれるかしら。期待してるわ〜。


 ☆


【アレン】


 ネグリジェ日替わり同衾からの——、


 ——おっぱい!


「おやすみなさいアレン」


 おやすみなさいシルフィママ! 僕明日も頑張る!

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