6 その止まり木で羽を休めて
「閉館しました」と札の下げられた扉の中、私と
小さなワゴンに本を積み、ガラガラと引きながら、手分けをして本棚を巡る。管理番号とにらめっこしながら、一冊一冊、本棚に本を戻していった。
溜めこまれていた本を戻すのは骨で、無言で続けるには辛いものがあった。だから自然と、どちらともなく話を始め、図書館の端と端で言葉を飛ばし合う。「図書館では静かに」という張り紙も、私たち二人しかいない今、意味を為さない。
「大御名くんは兄弟とかいるの?」
「一応、いるよ」
「一応って?」
「一つ下に弟が、五つ下に妹がいるんだけど、実の兄弟じゃなくてね……。下の二人は実の兄妹なんだけど、僕だけ違うんだ」
それ以降は、曖昧な笑いで誤魔化されてしまった。どうやら、兄弟の事情についてはあまり話したくないようだ。詳しいことは分からないが、彼の家庭に複雑な事情があるらしいことは、今の話だけで充分に察せられた。
「この前、塾のお迎えで男の人が来てたよね。あれはお兄さんじゃないの?」
「ああ、あれはうちの居候。居ついて長いから、ほとんど身内みたいなものだよ」
「へえ。仲が良さそうだったから、てっきりお兄さんなのかと思った」
「僕のオムツを取っていたこともあったから、家族という意味合いでは間違いじゃないかもね。だけどお兄さんっていう感じじゃあないな。親戚のおじさんっていうのが良いところだろう」
そう言いながら、大御名は愉快そうに首元を掻く。
――この人になら、言っても大丈夫かもしれない。彼なら、私のことを……。
これまでに何度、自分の家族の事情に耐えかねて、気の置けない友人に相談したか分からない。私のことを理解してくれているはずの友人たちに、義母と上手くいっていないことを、打ち明けた。だけどそのレスポンスはいつだって、あからさまな同情と、見当違いのアドバイス。
私はそんなものが欲しいわけではない。それならむしろ、何もいらない。
私が欲しいのは、決して私を否定せず、それでいて、肯定もしない――そんな態度だ。私を受け入れてくれるのならそれが一番嬉しいけれど、高望みであることは分かっている。だから、ただ聞いてくれるだけで良い。否定しないで、受け止めてくれるだけで、良い。
肯定が必ずしも救いに繋がるとは限らない。肯定によって、逃げ道を塞がれることだってあることを、私は知っている。だから、ただ否定もなく肯定もなく、私の気持ちを受け入れてほしい。
答えを出すのは、結局のところ自分自身。いずれ答えを出さなければならないのは、ちゃんと分かっている。だから、どうか、そこに至るまでの一時、羽を休めるための止まり木になってほしい。そうしてくれたら、ちゃんと、自分で決着をつけるから。――自分勝手な要求だと、百も承知だけれども。
「うち、ね、母親が、実の母親じゃないんだけどさ」
手を止めず、努めて「あくまで何てことはない」という態度で話を続ける。あまり深刻に話すのは、これ見よがしで、浅ましいように思われた。
「少し門限に遅れただけでもすごく怒るし、すぐ怒鳴るし、すごくヒステリック。それだけでも苦手だったのに、最近、妹が生まれてから、もっと苦手になったっていうか」
「うん」、と小さな相槌が聞こえてきた。
「なんか家に帰っても、私の家じゃないみたいでさ。だからおばあちゃんの家に行ったり、友達の家に泊まりに行ったり。お小遣いは貰ってるけど、あの人たちから貰ったお金だと思うとどうにも腹が立って、どうでも良いものに使っては、さっさと捨ててる」
「だからバイトしてるんだね」
「……うん、この前はごめん。あの時はちょっと、色々考えてて、気が立ってたの。そんな時に大御名くんが『心配』だなんて……あの人みたいなことを言うから、ついカッとなっちゃって。間が悪かったっていうか」
「気にしてないよ」
手を止めることなく、彼は答える。それでも決して遅れることのない相槌が、私の話をしっかり聞いてくれていることを伝えてくれた。
作業が終わる頃には、どっぷり日が暮れていた。路地の街灯が点々とついており、夜の様相だ。
「送ろうか」
「いいよ。大御名くんだって腕っぷしあんまり強くなさそうだし、気を付けなよね」
「痛いところを突いてくるね」
軽口を飛ばして、私たちは校門の前で別れた。
朗読会の後に公園に立ち寄る予定だったが、流石に、今日は止めておくことにした。時間も時間だし、なにより、体の中が満ち足りていて、空虚な夢に縋る気も起きなかったからだ。
祖母の家までの道中、私の足取りはいつもよりも軽かった。それは、久々に本心を他人に打ち明けることができた爽快感と、別れ際に彼とした約束のためだ。
今度また本を朗読してくれると、彼は言ってくれた。だがその代わりに、私も、彼の前で朗読をしなければならない。
朗読するためには、物語を見つけなければいけない。しかしそれも、大御名が手伝ってくれた。私のために、いくつかの本を見繕ってくれたのだ。
本を数冊詰め込んだ鞄は、いつもよりも重い。しかしその重みが、あの約束が現実であったことを教えてくれる。
祖母の家に着き、私用に宛がわれた部屋に上がった私は、さっそく、借りてきた本を広げた。
大御名がおすすめしてくれたのは、ギリシア神話の漫画本――時折小説が挟まっている、漫画半分文字半分のものだった。
よりによって神話? と困惑する私に、大御名は「ちゃんと僕なりに理由があるんだよ?」と困ったように微笑んだ。
普段から本を読まない人間に、いきなり活字の群れを読ませるのは悪手だと言って、まずは本に親しむためにそれを選んでくれたらしかった。
たまに友人から借りて読む漫画と比べて、絵柄は随分古いし、画風も好みではない。それでも、物語の面白さは充分に伝わってきた。
漫画を読んで「これはどういうことだろう」と思ったら、スマートフォンで調べてみる。一度検索を始めたら、ついつい他の関連事項まで調べてしまって、なかなか漫画に戻れない。ある程度読み進めた所で、ふと我に返って、また漫画本に戻る。そんなことを繰り返しながら、少しずつ漫画と解説書のページをそれぞれ進めていった。
ふと疲れを感じて、時計を見ると、時間は〇時に差し掛かっていた。
「本って、結構面白いな……」
最初は「神話なんて……」と――別に馬鹿にしていたわけではないが、ちょっと軽視していたところもあった……のだが、これがどうして……意外と、案外、面白い。普段使う言葉の語源や、ある習慣の起源が、神話のエピソードだったりする。季節がどうして生まれて、どうして空や地面が生まれたか、妙な納得をもってそれらが教えてくれる。それは生きていく上で、決して必要な知識ではないが、知っていると日々が少しだけ楽しくなる。目に見えるものがより鮮明になる心地がする。
「面白いかも」
だが、慣れないことは疲れる。今日はもう、これ以上読書をするのは無理そうだった。
続きを読みたい気持ちもあったが、急いで読む必要はない。本は逃げないのだから、また明日、読めば良いのだ。私はそう自分に言い聞かせて、栞を挟み、そっと表紙を閉じる。
それから、私はよく図書館に入り浸るようになったのだった。
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