第4話 Ready Player 14
涙がポツリポツリと落ちて、吐き散らした体液に混ざっていく。
床に接触している箇所からじわりじわりと、あたし〝は〟まだ生きているという現実が侵食してきた。
「あたしは」
逃げ出したのだ。
老害どもが宇宙船で新たな棲家を目指したように、あたしは時空転移装置を使って『人類の平和』を諦めた。
やっていることは変わんないや。
他の人たちを見捨てて、自分の命が惜しくてあの場から離れた。
あたしがもっと、強引に引き寄せていたら、あの場で説得できれば、参宮だってこっちに来られただろ!
「うっ……!」
たらればと同時に最期の映像を思い出してしまった。
胃にはもう何も残されていないから、口の中には酸っぱい液体が押しあがってくる。
「まぎれもなくきみ自身は『人類の平和のために生まれた』者だけど、命を賭してでもあの世界を平和にする価値はあったのかね?」
価値。
「ないわけがない」
あたしは壁に手をついて、なんとか立ち上がった。
これ以上服は汚したくない。
「と、答えるのがきみにとっての正解だね」
替えの白衣を持ってきてくれる人は、――もういない。
「ああいう終末世界の住人は愚かで、上の立場の人間によって操作された〝見せかけの平和〟を盲信するしかない。そうでないとみんなパニックに陥って、社会が成り立たなくなるからね」
あたしは研究施設の中にいて、中で育ち、アンゴルモアの襲撃事件によって外へ出てきた。
だから、昨年よりも前の世の中がどうだったかは参宮からの伝聞でしか知り得ない。
曰く、政府によって情報統制が始まり、インターネットやメールのやりとりが禁止になったのは五年前の話。
ジャパンに住む人々は、政府の息が吹きかかったテレビ番組やラジオもしくは紙媒体の新聞か雑誌からでしか情報を得られなくなった。
「怪物が街中に現れるのに市井の人が自由に街中を歩き回っていたのは、ありもしない『人類の平和』を政府が喧伝していたからだよね?」
一日一回、正午に送られてくるメッセージは、日によって文面は違えど大意として『人類の平和』を標榜する。
アンゴルモアは宇宙船地球号から撤退し、現れる怪物たちは残党だ。
開発された新型兵器によって駆逐されるのだ、と。
新型兵器は人間に害がなく、怪物だけを殲滅して、環境にも優しい。
人間同士の戦争の教訓をいかした。
人間は失敗から学ぶものである。
大地を汚染する懸念もない。
怪物が殲滅された暁に『人類の平和』は恒久のものとなる。
「きみたちは侵略者のアンゴルモアがどんな姿をしているかも知らないのにね」
「……創はなんでも知ってんのな」
あたしは大天才だけど、創はもっと賢い。
知識量で完敗だ。
「ぼくとゲームをしよう。きみが負けてばっかりだと〝大天才〟の立つ瀬がないしね」
「ゲーム?」
「知恵比べ、とでも言おうかね」
ほう。
だったら最初からそう言ってくれりゃあいい。
あたしは施設の中でも大天才だったから、知能テストは満点だった。
運動以外なら得意。
運動以外なら。
「ぼくと拾肆ちゃんが立っているこの世界で設定されている〝メインクエスト〟の完遂を目指してほしい。あちこちに出向いて、各地の試験を突破して、ラスボス――最終試験を撃破したら、きみの勝利だね」
創はジャージのポケットから携帯端末を取り出し、あたしに差し出してくる。
あたしが持っていた(壊れた)携帯端末よりも大きい。
「このスマホの画面を押せば、どこで何をすればいいか表示してくれるからね」
あたしは〝スマホ〟なる携帯端末を受け取り、まじまじと眺めた。
恐る恐る画面を押すと電源が入ったようで、画面いっぱいに地図が表示される。
地図の中に赤いピンが立っているのが、その〝メインクエスト〟とやらの目的地かな。
「最終試験を撃破できたら、拾肆ちゃんが〝転移〟してくる前のあの世界の怪物とアンゴルモアを【抹消】してあげるね」
は?
なんだそれ。
「できんの?」
できるんならやってほしい。
アンゴルモアと怪物がいなくなったなら『人類の平和』は達成されるのだから。
「見た目で判断しないでほしいよね。君自身もわかっていることだろうけど、人は人の技量を見た目で判断しがちだよね」
あたしは創の容姿について言ったつもりはない。
そう聞こえたなら、気にしすぎだと思う。
あたしのほうが小さい。
小さいから、小さいことをバカにされていた。
あの子たちが大天才のあたしに勝てていたのは運動種目と背丈。
バカにしてこなかったのは参宮ぐらいなもんだ。
う……。
またフラッシュバックしそうになる……。
「ぼくは世界を救う――あの世界においてのアンゴルモアと怪物を【抹消】するのが必ずしも正しいとは思わないからね。拾肆ちゃんがこの世界に辿り着いたのは、幸運にも研究施設の外で拾肆ちゃんよりも先に生まれて健康に育った誰かさんが拾肆ちゃんへ押し付けた〝使命〟なんかじゃなく、拾肆ちゃんが『時空転移装置を使用する』という選択肢を選んだ結果だしね。仮に最終試験まで行けなかったとしてもあの世界の人々が拾肆ちゃんを責めることはないから、時間はいくらかけてもいい」
映像を雑念で押し殺している間に、べらべらと創が喋っていた。
正しいか正しくないかではない。
あたしは『人類の平和のために生まれた』大天才。
答えはひとつ。
「ぼくは〝メインクエスト〟を進めていく中で、拾肆ちゃんのその意志が揺らぐことを期待しておくね。きみにはきみの人生があるんだから、きみの人生を
「手始めに、この赤いピンのところに行けばいいんか?」
あたしのこの質問で、創はあたしが『知恵比べにのった』ことを理解してくれたようだ。
小脇に抱えていた本を開いて、挟んでいたボールペンを右手で握ると「最初は
また聞きなれない言葉が出てくるじゃん。
「プレイヤー名?」
「あだ名みたいなものだね」
ほーん?
それなら。
これしかない。
「ピースメーカー」
生き残りであるあたしなら、誰も文句は言えまい。
あたしが平和を作るのだ。
名実ともに。
創はホルスターに収納されているS・A・Aを見つめながら「拾肆ちゃんらしい、いい名前だね」と返した。
【恒常的洗脳】
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