第5話 縁談

 外はすでに星が煌めいている。しかしスティーグはそれを見上げる事はしなかった。


「カール達は壮絶な経験をしていたんだな」

「……そうね、戦争には負けたらしいし……どうやって息を吹き返したのか知らないけど、死んでいたなんてショックだわ」


 ただの同僚の死でさえ、ショックを受けた。いまは生きているのにも関わらず、だ。

 これが愛する者だったらどうだろう。もしもスティーグが目の前で殺されでもしたら、ケイティは自分もPTSDを罹ってしまうと断言出来る。


「ロイドの話……どう思った?」

「うん? 生まれる前の記憶の事か?」

「ええ、そう」


 うーん、とスティーグは頭を擦り上げる。


「にわかには信じられんが、あれだけ言い当てたんだ。事実と思うより仕方あるまい」

「じゃあ、私にも生まれる前の記憶があるって言ったら、信じてくれる?」

「お前はすぐ便乗するなぁ」

「便乗じゃないわよ。本当に記憶があるんだから!」

「分かった分かった、言ってみろ」


 あまり信用してくれてないのが分かって、ケイティはもうっと頬を膨らますも、話し始める。


「お母様のお腹に宿る前の話よ。空の上で、私とスティーグはずっと二人で遊んでたの。すごく仲良くて、でも先にスティーグが行かなきゃならなくなって。その時に約束したのよ。向こうで会ったら……つまり、この現世の事だけど、会ったら結婚しようねって。スティーグはもちろんだって答えてくれたわ」

「…………」


 スティーグは何も言わず、白い目を向けてきた。全く信じてくれていないというのが、ありありと分かる。


「……本当よ」

「はぁ。一瞬でよくそんな話が考え付くもんだ」

「本当だったら! 私、いつも言ってたでしょう?! スティーグとは生まれる前からの婚約者だって!」

「ケイティ、それは都合の良い夢だ。もう忘れろ」

「……っ、何でスティーグは忘れちゃってるのよっバカっ」

「もしその話が事実で、俺が覚えていたとしても、生まれる前の契約なんぞ無効だ。さっさと誰かと結婚しろ」

 

 そう言われた苛立ちと切なさで、ケイティはスティーグの手を恋人がするように握ってやった。手を繋がれたスティーグは、眉を寄せながら見下ろしてくる。


「……おい」

「いいじゃない、手を繋ぐくらい。今は彼女もいないんだし」

「そういう問題じゃない」

「私スティーグの事、好きなのよ」

「知っている。何万回と聞いたからな」

「だったらいいじゃない」

「だから駄目なんだ」


 そう言いつつも、スティーグはその手を無理矢理解く事はしなかった。まったく、と呟きながらも許してくれている。こういう所がスティーグらしくて好きなのだ。

 二人は手を繋いだまま帰路を歩いて行く。


「スティーグ……」

「何だ? 結婚ならせんぞ」

「もうっ、違うわよ!」


 スティーグの体が……主に精神が心配だ。将来嫁になる立場として、気晴らしでもさせて上げたい。おそらく、今日カールが誘ってくれたのは気晴らしの意味もあったはずだ。

 残念ながらきが晴れるどころか曇ってしまったようなので、それに替わる事をしたかった。


「今度の日曜、私とデートしなさいよ」

「大して変わらんじゃないか」

「じゃあ結婚する?」

「どうしてそうなる……」

「いいでしょ。今度の日曜はスティーグの誕生日じゃない。祝ってあげるわ!」

「もう人に祝われる年じゃないぞ」

「私は祝って欲しいわ!」

「分かった分かった。ただ月曜は仕事だから、日曜にお前の誕生日の前祝いも兼ねてってことでいいか?」


 ケイティは大きく頷いた。してやったりだ。一日違いの誕生日の強みである。


「約束よ! 誕生日に何か欲しいものはある?」

「うーん、特に思い浮かばんなぁ。ああ、杏仁豆腐かチョコレートパフェを食いに行きたいから、付き合ってくれるか?」

「もちろんよ! 良い店をリサーチしておくわ!」

「一応聞くが、ケイティは欲しい物あるか?」


 ケイティは待ってましたとばかりに答える。


「スティーグのキスがいいわ!」

「言うと思った……」


 半ば呆れ気味に答えられケイティは口を尖らせる。


「いいじゃない、そろそろ。付き合いも長いんだし」

「そういう付き合いはしてないだろうが」

「考えるだけでいいの! 考えといてね!」

「分かった、考えるだけな。ほら、家に着いたぞ」


 目の前には見慣れた扉がある。いつの間にかケイティの家の前に到着していた。


「上がってく?」

「いらん」


 スティーグは無下に断り、斜め向いの自分の家へと帰って行った。

 日曜にデートの約束を取り付けたケイティは、上機嫌で家の中に入って行く。すると広間に人が集まっていた。

 父と母、兄二人に、嫁に行った姉まで何故か集まっている。どうしたのだろうと足を踏み込もうとすると、皆の声が聞こえてきた。


「結婚式は早い方がいいな」

「でもギル兄様、少しはケイティの言い分も聞いてあげたら……」

「甘いよ、グレイス。折角キンダーク家の坊ちゃんがケイティを気に入って下さってるんだ。来週には三十八になるケイティをだよ?このチャンスを逃せば、嫁にも行けず、一生クーオール家に残ることになる。無理矢理にでも結婚させてやった方が、ケイティのためさ」

「アル兄様まで……」


 これは、陰謀だ。ケイティを無理矢理結婚させるための。キンダークと言うと、クーオールよりかは劣るが、由緒ある貴族だ。そこの坊ちゃんというと、アクセルと同級生だったカミル・キンダークの事だろう。ケイティより十二も年下で、しかも教え子だ。

 ケイティの事を『先生』と呼んでくれた数少ない教え子で、真面目に授業を受けてくれていた一人である。


「ちょっと、皆揃って何の相談かしら!!」


 ケイティが踏み込むと、皆は明らかにビクついていた。長兄のギルバートを除いて。


「ケイティ、結婚してもらうぞ。相手はカミル・キンダークだ。知っているだろう? 三ヶ月後には式を挙げるからな」

「なによそれ! 私、スティーグ以外の男とは結婚しないって言ってるじゃない!」

「いつまでもそんな言い訳が通ると思うなよ。貴族の女の仕事は結婚だ。教職なんぞに就いて、いっぱしに仕事を持つから変なプライドばかり高くなるんだ」

「はああ? 結婚が貴族の女の仕事ぉおお? バッカじゃないの! 何百年前のじじいよ、ギル兄様は! 五百年前にでも遡って暮らした方がお似合いよっ!」

「こんのバカ妹ッ!! その口の悪さは何とかならんのかッ!!」

「うわぁああ、ギル兄、ストップストップっ」

「止めてくれるな、アルバート!!この妹は痛い目見にゃ分からんのだっ」

「手を上げるのはマズイって!」


 興奮するギルバートを次兄のアルバートが止めている間に、姉のグレイスが近寄ってきた。


「グレイス姉様……」

「ケイティ……」


 グレイスはケイティの手を取り、見つめてくる。


「あなたがスティーグちゃんの事を好きなのは皆知ってるわ。そりゃ、スティーグちゃんと結婚出来れば一番良いと思うわよ? でも、現実を見て欲しいの。あなた、もう三十八になるのよ。これ以上年齢を重ねれば、子供を望むのも大変な年になってくる。そうなるとスティーグちゃんは元より、他の貴族との縁談もなくなるのよ?」

「……別に、貴族と結婚したいわけじゃないわ。スティーグだから、スティーグと結婚したいのよ」


 ケイティの言葉に、姉はコクリと首肯してくれる。


「分かってる。でもね、実際にあなたは貴族で、クーオール家としては貴族の家に嫁いで貰いたいのよ。キンダーク家にしても御子息は一人だけだから、きっと世継ぎを望んでると思うの。それでもあなたを貰いたいって言ってきたんだから、カミルはケイティに惚れてるんだと思うわ。ちゃんと考えてあげて。大事な教え子でしょう?」


 確かに、二十六の貴族が三十八にもなろうかという女を嫁に貰うと言えば、キンダーク家では一悶着あったはずだ。それでもこの話がクーオール家まで届いたということは、親の説得に成功したという事だろう。

 なのに無下に断ってしまえば、カミルも立つ瀬ないはずだ。

 いつもなら『スティーグ以外の男はクソだ』と言い切ってしまうケイティだったが、この時ばかりは言えなかった。自分を慕ってくれる、数少ない教え子だったのだから。


「……でも、姉様……やっぱり結婚となると、私……」

「そうよね。スティーグちゃんをすぐには諦められないわよね……分かるわ」


 グレイスはケイティをギュッと抱き締める。包み込む様な、慈愛に満ちた抱擁………


「でも、この縁談は先には延ばせないわよ。分かるでしょ? あなたが四十歳になったら、あちらから逃げていくわよ。だから、三ヶ月後に結婚しなさい」


 やはりこの姉も食えない。慈愛の抱擁どころか、悪魔の拘束だ。


「イヤーーーッ!! 私はスティーグと結婚するのッ!! お父様、お母様、何とか言ってよぉぉおお」


 先ほどから傍観者になっている父と母に助けを求める。ジタバタと姉の拘束を抜け出し、両親の前に駆け寄った。


「スティーグスティーグとは言うが、実際どうなんだ? 脈はないんだろう。クーオールとしては、今後もクラインベックと良好な関係を続けて行きたいからなぁ。無理矢理結婚させる訳にもいかん」

「お父様、私をキンダークの家に無理矢理嫁がせるのはいいの!?」

「マイナスにはならんな。プラスしかないからいいんじゃないか?」

「もう、お父様ってば家の事ばっかり! お母様はどうなの!?」

「そうねぇ……ケイティが少し可哀想かしら」


 母親はそうは言いつつ、あまり興味なさそうだ。皆、薄情者である。


「酷い……良いわよね、皆は好きな人と結婚出来たんだから……誰も私の気持ちなんて、分かってくれないのよ……」


 ホロホロと涙を流して見せる。この親兄弟は、涙に弱い。ついでにスティーグも。


「……分かった。じゃあ、結婚式までにスティーグを落としてみろ。そしたらこの縁談は無かったことにしてやる」

「ギル兄、良いのか?そんな約束して……」

「出来っこないさ。まぁ先方にもその旨は伝えておく。カミルも、ケイティがスティーグの事を好きなのは分かっているしな。納得してくれるだろう」

「落とすって……具体的にはどういう状態になればいいわけ?」

「うーん、そうだな」


 ギルバートは顎に手をやり、しばらく考えた後で口を開いた。


「スティーグの口から、ケイティと結婚する、もしくは付き合う、責任を取る等の、結婚を示唆する言葉を聞ければ落とした事にしよう。それ以外は認めん」

「分かったわ。付き合う、でもいいのね?」

「ああ、スティーグの事だから、お前と付き合うという事がどういう事なのかを、理解しているだろうからな。ただし期限内にスティーグを落とせなかった場合、カミルと結婚してもらう。それと、カミルにも結婚までに何度か会ってもらうぞ。いいな」

「……分かったわ」


 互いにその条件で了承し合う。しかし、ケイティの分が悪すぎる。何か策を立てなければならないだろう。


 策と言うと、あの人よね。


 次の日、ケイティは騎士団本署へ向かった。

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