第4話 講義と感想文
ケイティは教壇に立った。いつもは騒がしいというのに、今日は全く私語がない。
それもそのはずだ。ケイティは隣を見上げた。そこにはいつもの騎士服を着たスティーグが立っている。教室の後ろでは校長や教頭、それにカールなど、この時間に授業のない教師が数名立っていた。
「今日は特別講師として、騎士隊長であるスティーグ様をお呼びしたわ。スティーグ様には騎士になるための心構えを教えて頂きます。皆、心して聞くように。それではスティーグ様、お願い致します」
そう言うとスティーグは前に出、逆にケイティは下がった。スティーグが話し始めるとケイティはそのままカールらのいる所まで下がる。
「来たのね、カール」
「ああ、俺も戦争経験者だからな。もしこういう授業が組み込まれるなら、俺も何か出来るんじゃねーかと思ってよ。ま、視察って感じだ」
カールはファレンテイン貴族共和国出身の人間ではない。遠い別の国で戦争に負け、ここに流れ着いたのだそうだ。
「カールはPTSDとは無縁に見えるけどね」
「まぁな。俺は血の気が多過ぎて、逆に止められる側だ。撤退を命じられた時にゃ、何度戦い足りねーと思った事か」
「カールらしいわ」
ケイティはクックと笑うも、カールは真面目な顔でスティーグを見ている。
「だが、俺の部下にもPTSDになった奴はいた。俺は割と、部下の面倒見は良かった方だからな。色んな方面から相談を受けた事がある。あれは、キツイぜ」
「……きつい?」
「生きる意味が分からなくなってる奴が多いんだ。そいつらの話を聞いてると、自分もおかしくなっちまいそうになる。見ろよ、スティーグを。あいつ、結構キてるぜ」
そう言われ、必死に講義しているスティーグを見る。彼は真剣で、しかし目はどこかに飛んでいるようだった。
「……カールがPTSD患者を前にして、平静でいられた理由って何?」
「行かねーようにした」
「え?」
「俺は、騎士復帰は難しいと判断した奴らの所へ行くのは、一切やめた。そいつらの騎士職を剥奪したんだよ。その代わり、医者なり住居なりの環境は整えて、当面の暮らしは出来る見舞金を用意した。俺が出来たのはそんくらいだ。騎士を引退してる今ならケアも出来るだろうが、そうでないならあんまり関わっちゃいけねーよ。戦えなくなっちまう」
血の気が多い、と自分で言うカールすらそう言うのだ。スティーグは大丈夫だろうかとケイティは心配になる。
「ケイティ。今回の戦争で、何人の騎士がPTSDになったか、知ってるか?」
カールに問われ、ケイティは「いいえ」と首を振ってみせた。
「重度の患者は三十二名。イオス隊はゼロ、ロレンツォ隊もゼロ、リゼット隊もゼロ、アクセル隊が三名、ウェルス隊が五名、スティーグ隊が二十四名」
「え!?」
スティーグ隊の患者の多さに思わず声を上げてしまい、向こう側にいる校長達に睨まれてしまった。
「声でけーよ」
「ご、ごめんなさい……でも、何でスティーグの隊だけそんなに多いの?」
「こうなるカラクリはある。俺も一枚噛んじまってっから、言いづれーな」
「何したのよ、言いなさいよ」
「そのうちな。俺が言いたいのは、自分の隊から患者が多く出ているスティーグは、精神的負担が多いってこった。気ぃつけてやれ。スティーグの嫁になんだろ?」
「もちろんよ」
ケイティがそう言うとカールはニヤっと笑って、それ以降は何も口にはせずに、まっすぐスティーグの講義を聞いていた。
スティーグの講義は騎士の心構えから始まり、戦争の凄惨さ、命の重さ、罪責感、PTSD、人としての尊厳、今後のミハエル騎士団の在り方まで、多岐に及んだ。にも関わらず、時間五分前にキッチリとまとめ上げる辺り、スティーグだなぁと思う。イオスはともかく、アクセルはこうはいかないだろう。彼は熱血し過ぎてタイムオーバーするに違いない。
「スティーグ様、ありがとうございました」
生徒達が拍手する中、ケイティは前に出て行ってそう言った。今日の講義の感想文を宿題とし、授業を終わらせる。勿論その感想文は後でスティーグに見せるつもりだ。
「お疲れ、スティーグ。良かったわよ」
スティーグは校長や教頭からようやく解放されて、ほっと一息ついていた。
「どうもオレはこういう講義は性に合わんな」
「なかなかどうして、様になってたわよ?」
「褒めてくれるな。世辞は校長と教頭だけで十分だ」
「素直じゃないわね。喜んでおきなさいよ」
うーむとスティーグが唸っていると、カールが現れてその背中をバシンと叩く。
「よう、スティーグ! 今日、俺ん家寄ってかねーか? 久々にちょっと呑もうぜ」
「そうだな。たまには……いいか」
「おう、ハメ外してけ!」
「カール、私もいい?」
「ああ、来い来い!」
軽く誘われて、スティーグとケイティはカールの家に行く事になった。
スティーグ隊のPTSD患者数が多い理由を聞きたいと思ったが、スティーグがいる前では教えてはくれないかもしれない。折を見てイオスにでも聞こう。イオスならば、全てを理解しているはずだ。
その日の夕方、スティーグとケイティはカールの家にいた。大きな食卓を囲い、カール、カールの妻のアンナ、二人の子供のロイドとアイリス、そしてスティーグとケイティが座っている。
すでにカールとスティーグにはお酒が入っており、二人は上機嫌だ。スティーグは大きな声で哄笑していて、これこそがスティーグだなとうっとりと見上げる。
「ロイド、アイリス、ご飯を食べたら宿題やっちゃいなさい」
アンナが子供達に向かって言う。ロイドは飛び級したため、十五歳で士官学校の三年、アイリスは十四歳の中学ニ年だ。
「もうやったよ」
「私、今日宿題なーい」
「あら、ロイド。もう感想文書いたの?」
ケイティが聞くと、ロイドは首肯していた。今日の講義は、丁度彼がいるクラスだったのだ。
「見せてくれ」
そう言ったのはスティーグである。自分の講義の感想文だ。気にならないわけはないだろう。
ロイドは嫌な顔をしつつも、渋々といった感じで原稿用紙を数枚持って来た。それをスティーグは受け取り、読み進める。ケイティ達はそれを無言で見守った。
やがて全てを読み終えたスティーグは、怪訝そうに眉を寄せながら、カールに視線を向ける。
「カール、お前、死んだ事があったのか……」
その言葉に驚いたのはケイティだけでなく、何故かカール、アンナ、アイリスも同様だった。
「「「「え!?」」」」
「ここに書いてある。父親は戦争で一度心臓が止まった事があるので、ともすると母親はPTSDになりかねなかった、と」
その言葉を聞いた瞬間、アンナは目を釣り上げてカールをキッと睨む。
「カール、子供らにあの時のことを話したのか!」
「いや、話してねーって! ショック受けるといけねーし、俺がやられて死んだなんてカッコ悪ぃ事言えっかよ!」
「では何故、ロイドが知っていると言うのだ!」
「知らねーよ! ってかアンナ、オンモードやめろ!」
オンモードというのは、この家ではアンナがキレて男のような喋りになる事らしい。その迫力にさすがのケイティも少し引いた。
「父さんに聞いたんじゃないよ」
息子の言葉にアンナは視線を向け、眉を寄せている。
「じゃあ、どうして……」
「俺、母さんのお腹の中にいた時の記憶があるんだ。父さん、俺が出来たって分かった時、『でかした』ってすごく喜んでくれたろ?」
「あ、ああ……」
「え? でも、その話は私も聞いた事あるよ? 前にお母さんが話してくれたもん。お腹の中にいた時の記憶なんて嘘くさーい」
アイリスが横槍を入れると、ロイドはむっとしたように次の記憶を言葉にする。
「じゃあこれは?『こんな重い装備つけやがって。子供の事考えろっていつも言ってるだろ』」
ロイドの言葉に、カールとアンナは青ざめている。台詞でしか予測出来ないが、これはカールがアンナにした発言だろう。特にアンナの反応を見るに、子供には知られたくない出来事だったに違いない。
「『私も行くの』『行かせねぇよ。死ぬのは俺達だけでいい』」
「ロイド、やめて……」
「『私はあなたと生きたいのよ』」
アンナの制止も虚しく、ロイドは淡々と続ける。
「『俺だって共に生きたかった。俺の子の顔を見たかった!! アンナと共に喜びを分かち合いたかった!!共に暮らし、共に笑い合って人生を過ごしていきたかった……!』
『なら、カール……!』
『一緒にいてやれなくて……すまねぇ……アンナを連れて行くわけにも、ここから一緒に逃げるわけにもいかねぇんだ』」
カールがガタと立ち上がり、震えるアンナを抱き締める。
「『この子に……名前をプレゼントさせてくれ。何もあげることができないから、せめて名前だけでも……もう、考えてあるんだ。男ならロイド、女ならアイリス』」
アンナが泣き崩れる。当時の事を思い出したのだろうか。カールは鎮痛な面持ちで、首を横に振った。
「分かった、ロイド。もうやめてくれ。お前が生まれる前の記憶を持っているのは分かったから、もう母さんを苦しめるな」
「……ごめん、母さん」
ロイドが謝ると、アンナはカールの腕から離れ、自身の息子を慈しむ様に抱き締めた。
「ごめんね、ロイド……!! あなたの命を、蔑ろにしたいわけじゃなかったの! 私はカールをどうしても失いたくなくて……ごめんなさいっ」
息子を抱き締める母の頭を、ロイドは優しく撫で返す。
「分かってるよ。ずっと母さんのお腹の中にいたんだ。母さんの父さんを守りたかった気持ちは、俺が一番理解してる」
「……ロイド……っ」
そんな風に抱き合う二人を、カールは両腕で優しく包む。それを見てケイティはスティーグの袖をツンツンと引っ張った。
「うん?」
「おいとましましょうか、スティーグ」
「……そうだな」
二人はそっと席を立ち、気付いたアイリスが玄関まで見送ってくれた。
「すみません、何だか恥ずかしい所を見せてしまって」
「いや、俺達の方こそ邪魔をしたな。今日はありがとうと伝えておいてくれ」
ケイティとスティーグは、そっと扉を閉めて外に出た。
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