文学のジャンル
文学にはジャンルがある。
◆神話のジャンル
最も古い文学ジャンルは今でいうところの神話だろう。アフリカを起源とする現生人類が最初に共有したものを〈ゴンドワナ型神話群〉という。ここでは、世界が所与のものとして存在しており、祖先の成り立ちや自然の地形、社会規範の確立の過程などが描かれる。これを骨格として、一定の共通性を保ちながら、地域ごとに道具立てを変えて伝播していったものがゴンドワナ型神話群であり、人類の起源であるアフリカを南回りルートで旅立った人々とともに、南アフリカ、古インド、東南アジア、オーストラリア、そして日本で展開された。共通性こそがジャンルであり、地域差こそがジャンル内のバリエーションである。
同様のことは、アフリカを北回りルートで旅立った人々により共有されていた〈ローラシア型神話群〉にもいえる。ローラシア型神話群は叙事詩的性格を持っており、宇宙と世界の起源を語ったり、神々の系譜、世界の秩序化と貴族階級の誕生が描かれる。これは北アフリカ、ヨーロッパ、ペルシア、中国、そして日本で展開もされた(つまり日本ではゴンドワナ型とローラシア型が交差している)。ここでも共通性と地域差がともに見られる。共通性についてはユング『元型論』やジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』を参照するといい。ローラシア型神話群は『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』を通じて現代のエンターテイメントの物語にも雛形を与えている。地域差については聖書と古事記を比べてみるだけでもいい。一神教の厳格な神に対して日本の神々の何と緩いことか。この違いに理由を与えたのが、和辻哲郎『風土』だ。ざっくり言えば、自然が人間にとって過酷だったか、温和だったかの違いということになろうか。
さて、上の例では、ジャンル内のバリエーションは外的要因によってもたらされている。
◆ミステリ、SFのジャンル
これに対して、ジャンル内のバリエーションは純粋に芸術的な要因により、つまり内的要因によりもたらされるという見解もある。もとはロシアのフォルマリスムが提起した議論だったか。ジャンルが形成され、その内容が硬質化(定番化)してくると、これに対する異化作用(マンネリ打破)として異なる角度から表現を模索することが始まる。
由良君美『メタフィクションと脱構築』では、18-19世紀におけるゴシック小説がミステリへと発展していく流れが解明された(つまりゴシック小説はミステリの先祖ということになるが、エドガー・アラン・ポーのゴシック趣味を思えば違和感もない)。ゴシック小説ではもともと〈謎〉を扱っていたが、いつしかこれに〈暴露〉が伴い、ポーにおいては遂にその暴露に〈論理性〉が与えられる。これは感性の優位を強調するゴシックから理性の優位を強調するミステリへの変遷とも捉えられよう。ミステリに詳しい方であれば、その後はドイルによって科学主義に立ったり、チェスタトンによってパラドクス趣味に走ったり、クリスティによってミステリの地盤が掘り返されたり、クィーンによってトリックが探究されたり、アンチ・ミステリが現れたり社会派が現れたりといったことが思い出されるだろう。規範の形成とその改革。これも異化の要請に従ったと考えれば内的要因による変遷ということになる。
SFについても似たようなことがいえる。ルキアノス、ベルジュラック、スウィフト、シェリー、ステープルドンなどの奇想の系譜に、ヴェルヌやウェルズが科学的合理主義を組み合わせたのがSFの起点だが、1920年代には楽天的なスペースオペラと悲観的なディストピア小説が出揃い、双方の問題意識を止揚した結果生まれたのが1940年代の黄金期SFだ。クラークやハインラインはいま読んでも遜色なく楽しめる、現代のエンターテイメントの主流をなした文学の一つといえよう。その後は、ニューウェーブの名のもとに、スペキュレーティヴ・フィクション(思弁的・哲学的小説)が現れた。これは、科学的で冒険的だった主流SFに対して、科学をも相対化して人間の実存に迫ろうとする文学的営為だ。
ところで、異化の要請による内的要因といったところで、異化を求めるのは読者に他ならない。ここで読者の属性の変化を考慮するのであれば、結局のところ、ジャンルの変遷は外的要因と内的要因が相互に連関しているといわざるを得まい。
◆WEB小説のジャンル
というところで、WEB小説のランキングを見てみようじゃないか。(本題)
2022年6月時点で流行りのモチーフと思われる〈悪役令嬢〉〈スローライフ〉などは、前提として〈チート勇者〉の流行がある。チートの反対概念としての悪役(やられ役)であり、勇者の反対概念としてのスローライフだ。共通しているのは、異世界転生、すなわち現世からの離脱であり、その本質は〈報われること〉。この本質自体、「現実世界では報われない」という苦しさの反対概念であるということは、このジャンルの切実さを示唆しているといえるのかもしれない。神話のバリエーションを思い出して欲しい。それは地域差の反映だった。娯楽物語という大きなジャンルの中で、日本のWEB小説がこのような切実な偏りを見せていることは、日本の置かれている苦境とその社会構造の矛盾をダイレクトに示していると考えた方がいい。
一方で、ジャンルの変遷自体にはマンネリ打破というシンプルな性格もあり、このことが創作に取り組むための手掛かりを与えてくれる。悪役令嬢やスローライフがサブジャンルだとすると、〈チート転生〉はこれを包摂する上位ジャンルだ。このジャンルのバリエーションは無限にあり得るが、いくつかの要件を満たさなければならないようだ。
① 入口が同じであること。つまり現世から離脱すること。
② 中間が異なること。何をしてもいい。
③ 出口が同じであること。つまり報われること。
要は、〈チート転生〉のジャンルに属する作品であるためには、転生し、何かをなし、報われるという構成をとる。ちなみに、ミステリも出口が同じでなければならない(原則として論理的解決がなければならない。例外はアンチ・ミステリだ)が、SFは出口の指定がない。この辺りはジャンルによってまちまちである。
〈チート転生〉はテンプレート的だといわれがちだが、それは①がルーティン化されているだけであって、②に無限の広がりがあることは意識しなければならない。これからも様々なバリエーションが生まれるだろう。
③は結末を制約しており、作家にとっては難しい面もある。いわゆるメリーバッドエンドまでは許されるのではないか。
①がルーティン化されているということは、二つの意味で重要だ。まず、速度が求められる。次に、精度が求められる。ルーティンを手早くこなせず要領を得ない作品は信頼を損なう。
②は自由であり、まさにここに創意工夫が期待されている。新しさが求められるようだ。しかし、〈無から有は生まれない〉というのは鉄則として覚えておこう。つまり、新しさとは既知のものの新奇な組み合わせのことである。まだ誰も扱っていない分野や知識を組み合わせるというのが基本的な戦略となる。
③においては読者の期待に応えることが使命だ。これこそ娯楽が娯楽たる所以なのだから。もっとも、①と②を通じて作品固有の期待を醸成し、これに応えるというのが作家としては理想となろうか。
以上。オーソドックスなジャンル論を踏まえて、WEB小説を論じてみたよ。別に新しい知見はないけれど、WEB小説もまた伝統的な議論の延長線上にあること、基本的な約束事は決して多くないことは確認できたんじゃないかな。ちょっとした安心材料にしていただければ幸いだよ。
◇参考文献
後藤明『世界神話学入門』(講談社)
和辻哲郎『風土』(岩波書店)
由良君美『メタフィクションと脱構築』(文遊社)
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