12-02 淡雪の夢

 革命⋯⋯それはグレル・ノワールが選び取ることができる権利であり、最後の手段だ。

 そもそもの原因は二百年前である。

 当時の王には二人の息子が居た。

 その兄弟は仲が良く、そして早くから兄が国を継ぐことが決まっていた。

 だから弟はいずれ兄を支えるその日の為に、国の事をよく知る為に諸国を旅していたのだった。

 そして戦争が始まった。

 野望に燃える帝国の脅威が王国にも迫った。

 そんな頃、弟には共に旅をする仲間がいた、それが後に森の魔女と名乗る魔女オズアリアと妻になるエルフの少女サンドラだった。

 そんな最中弟は兄が戦場で負傷した事を知ると、すぐに駆け付けた。

 その頃のエルフィード王国はかなり追い詰められていた、兄が自ら戦場に立たねばならぬほどに。

 そしてその状況を打破したのが弟と各地を共に旅した、この二人の同行者だったのである。

 魔女オズアリアはその力を戦場で遺憾なく発揮し、サンドラは故郷のエルフ族に助けを求めた。

 こうしてエルフィード王国の危機は去ったのである。

 しかしこの時の功績が目覚しすぎたおかげで、怪我の後遺症のある兄ではなく弟が王位を継ぐ事になったのだ。

 しかし弟もいずれ生まれる兄の子が王になるべきだと思い、ひとまず玉座を預かっただけのつもりだった。

 だからこそ弟は自分の子が次の王になるなど考えもせず、強引にサンドラと婚姻を結ぶ。

 そのうち兄の子に玉座を譲ればそれで終わり⋯⋯そう弟も周りの者も思っていた、しかし⋯⋯

 弟の連れて来た協力者サンドラとオズアリアが、あまりにも影響力がある事がしだいにわかってくる。

 そしてどちらも人よりも長命な存在だったことがエルフィード王国の運命を変えていく、やがて国はこの二人を切り離す事が出来ないほど依存していく事になった。

 こうなると弟は兄の息子に王位を渡す事が難しくなってしまった、サンドラとオズアリアは国に対して忠誠を誓っている訳では無いからだ。

 そして結局弟とサンドラとの間に生まれた息子が、次の王になってしまったのだった。

 この時、兄の一族は正式に王家から独立しノワール公爵家と名を変える。

 弟とサンドラの子は寿命が人よりも長かったが、世代を重ねるごとにエルフの血は薄れ寿命は人並へと近づいた、それをより長命なサンドラとオズアリアは見守り続ける事になる、二百年間も⋯⋯

 そして同時に分家となったノワール公爵家も影となって、王家を支え続けたのだった。


 そして現代⋯⋯


 今まで王家を見守ってきたサンドラは森へ還り、オズアリアは天に上った。

 王家は今まで国を支えてきた大きな二つの力を、ようやく失ったのだった。

 そしてこの時こそが、ノワール公爵家の悲願の時でもある。

 すなわち王座奪還の時が来たという事だ。

 しかしそれはあくまでノワール公爵家の先祖が思い描いた野望であり、現当主のグレルにはそんな野心はない。

 あくまでもこの国の平和と安寧が最優先だった、何も血を流してまで行いたい野望では無いのだ。

 だが運命はこの状況を作り出してしまった。

 サンドラとオズアリアを同時に失ったこの時に、アレクとネージュという最高の組み合わせが実現したのだった。

 この二人の婚姻が成されれば極めて平和的に、エルフィード王家とノワール公爵家の融和は成される。

 光と影、二つに分かれた王家の統合は多くの者の悲願であった、しかし⋯⋯

「エルフの娘リオンと森の魔女の後継者アリシア⋯⋯この二人を王家がまた従えれば、歴史は繰り返す」

 グレルには野心は無い、だからこのエルフィード王国の為ならば自分はこのまま影のままでもよかった。


 ――だが、娘の気持ちはどうなる?


 今までアリシアとリオンの出現など完全に想定外だっただからこそ、グレルは〝ネージュ〟を用意したのだ。

 王家に差し出す、最高の妃となる為だけの存在を⋯⋯

 グレルはネージュを厳しく育ててきた、そしてネージュはそれに応えて真っすぐに育ってくれた、後はこのネージュが王家に嫁げさえすればよかったのだ、それなのに⋯⋯

 今、グレルを突き動かす思いは王家への不信感ではない。

 愛する我が子のこれまでの人生を無駄にしてしまった後悔と怒りだった。

 グレルは思う、自分にこんな親らしい感情があったとは思わなかったと⋯⋯

 だが行動は慎重に行わなくてはならない。

 やってから間違いだったでは済まないのだ。

 だからグレルはネージュと話すべく娘の部屋のドアをノックした。


「お父様?」

 夜遅く訊ねてきた父にネージュはやや戸惑う。

「少し話したいが、構わんか?」

「どうぞ」

 グレルは娘の部屋をサッと見渡した、そこには沢山の書類が積まれていた。

「聖魔銀会⋯⋯いや化粧液事業『プリマヴェーラ』だったか? 忙しそうだな」

「ええまあ?」

 ネージュは戸惑いを超えて不審に思い始めた、今の父の様子がおかしいと。

「あのお父様、何かあったのですか?」

「⋯⋯アレク殿下とはどうだ? うまくやっているか?」

「はい、わたくしの事業を色々と気にかけて下さって――」

「違うそうじゃない⋯⋯男女の仲という意味だ」

 この時ネージュは少し勘違いする、すなわち自分が今『プリマヴェーラ』に傾倒しすぎていると、父が非難しに来たのだと。

「申し訳ありません! 『プリマヴェーラ』にかまけて、そちらは疎かにしていて⋯⋯」

「そうじゃない! そうじゃないんだ⋯⋯ネージュ、辛くないか? アレク殿下に嫁ぐ事は」

 この時ネージュは父が何を言っているのかわからなかった。

「どうしたのですかお父様、私がアレク殿下に嫁ぐ事は決まっている事ですが?」

「いや、決まっている事ではない⋯⋯正式に婚約している訳では無いからな」

 そう、アレクとネージュは正式には婚約していない、その理由はもしも何かあった時の婚約破棄があまりにも難しいからだった。

 そして現実的にはアレクの婚姻候補は、家柄や年齢差を考えればネージュしか候補が居ないのも事実である。

 なのでこれまで正式には婚約されていないが、それが実現される事は誰の目にも疑いのない予定であった。

「しかし、わたくし以外の候補は⋯⋯」

「リオンが居る」

 突然父の口から告げられた友人の名に、ネージュは息を呑んだ。

 そして理解していく、ネージュは⋯⋯

 リオン⋯⋯彼女の母はゾアマンのエルフ族族長だ、爵位こそないが自治権を認められた存在であるためもしも爵位を与えられればおそらく侯爵位のハズで、その娘のリオンと公爵令嬢のネージュは家柄という意味なら極めて近いと言える。

 しかも今後のエルフィード王家とゾアマンの民の間を取り持つ、婚姻になり得る。

 今初めてネージュはリオンがライバルだったと認識したのだった。

「アレク殿下は帝国でお前をほったらかしで、あのリオンとばかり一緒だったそうだな」

「それは⋯⋯わたくしが自分の事業にかまけていたから⋯⋯」

「リオンはアレク殿下の寵愛を得ていると儂は考えている、そうなればいずれは婚姻に⋯⋯という事は十分に考えられる」

「⋯⋯」

 ネージュは父のその考えを否定できなかった。

 ネージュが帝国で見てきたアレクとリオンはそういう間柄になりつつあると、今更気付いたからだ。

「わたくしは、アレク殿下とは婚姻出来なくなる?」

 その現実は、ネージュが今まで築き上げてきた自身の存在意義を揺るがすものだった。

「⋯⋯そこまで愚かな決定をするようなら儂にも考えがあるが、おそらくはリオンが側室に、お前が正室になるという形に持っていこうとするだろう」

「え? リオンが側室?」

「ネージュよ、もしもアレク殿下がそのエルフの娘リオンを側室に迎えると言ったら、お前は反対か?」

 ネージュは現状を理解し、未来にはそういった可能性もある事を思い描く、そして――

「もしもわたくしとリオンで、アレク様を支える事になるのなら⋯⋯それは素晴らしいと思いますわ」

「⋯⋯本当か?」

「ええ、リオンはわたくしの⋯⋯大切な友人です」

 少なくともネージュがリオンを嫌っている事は無いとグレルは理解した。

 そもそも娘はこれまで特定の友人を作った事が無い。

 未来の王妃になる為だけの必要な関係に止め、必要以上に踏み込んだ友人は作るべきではないと理解していたのだネージュは、そしてその聡明すぎる娘が不憫に思えていたグレルには。

 だからここ最近のネージュの口からリオンの名がよく出るようになったことは、グレルとってわかりやすい娘の変化だった。

 おそらく娘にとってのリオンは損得勘定のない、初めての本当の友人になりつつあるとグレルは思った。

「もう一度確認する、お前はアレク殿下に不当に扱われている訳では無いのだな?」

「はいお父様、最近の事はわたくしの不徳ゆえの出来事⋯⋯アレク殿下がリオンを側室に迎える判断をしたならそれはわたくしも正しいと思います、この国の行く末を考えればエルフ族から側室を取ることはあまりにも有効な手段ですもの⋯⋯そのエルフがリオンならわたくしも嬉しいですわ」

「⋯⋯そうかわかった、後は父さんに任せろ、決してお前を不幸になどせんぞ」

 こうしてグレルはネージュの部屋から出て行った。

 そして残されたネージュは⋯⋯

「わたくしとリオンが、アレク殿下を支える未来⋯⋯」

 ネージュの人生はこれまでアレクの妃になる事だけが目標だった。

 しかしアリシアと巡り合い自らの力を試せる機会を得た、だがそれは婚姻までの一時の事だとそう思っていた。

 だからこそ悔いのないように精一杯それまでは勤めあげようと考えていた。

 しかし、自分だけでなく信頼するリオンと共にアレクを支えるのであれば自分にも余裕ができるはずだ、今の事業を手放さずに済むかもしれない。

 アレクを⋯⋯仕事を⋯⋯そして親友を⋯⋯

 何一つ手放さず掴み取る人生をネージュは思い描いていく。

 この時ネージュは初めて知った。

「わたくしは、こんなにも強欲だったのですね」

 この日の夜ネージュ・ノワールは初めて人から決められたものでは無い、自分の思い描く将来の夢を抱いたのだ。


 そして父のグレル・ノワールが城へと呼び出されたのは、翌日の事であった。

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