11-20 誕生祭二日目 その六 海洋の歌姫《マレディーヴァ》の再演

 アトラの歌が終わり、拍手が雨のように降り注ぐ舞台に幕が下りた。

 アリシア自身大きな感動があった。

 物語の内容自体は本で読んで知ってはいたが、こうやって演劇として見る事、感じる事は完全に別物だった。

 以前自分がやった人形劇などこれに比べれば子供だましのお遊びだったと思ったが、そんな事も気にすることなく拍手を贈る、それほどアリシアはこの演劇というものに魅せられていたのだろう。

 なんとなくアリシアは他のみんなの感想や反応が気になって見てしまう。

 そこに居たフィリスを始めとする王国王室の面々も、隣の帝国や共和国の指導者の面々も、何故か微妙な表情で拍手を贈っていた。

 その中でただ一人涙を流しながらひときわ大きな拍手を贈っているルミナスの姿は、この時やけに滑稽に見えたのだった。

「⋯⋯ねえ、フィリス達はこの話嫌いなの?」

「⋯⋯民を導く立場としては、あんまり見本になって欲しくないかな」

「無茶苦茶ですよね⋯⋯その後の偉業だけ見れば凄いお方なんですが⋯⋯」

 アリシアの問いにフィリスもミルファもなかなか辛辣な感想だった。

「我が偉大なる先祖を称えよ!」

 そう叫び観客たちを盛り上げるルミナスは、やっぱりどこかおかしいのかもしれない⋯⋯


 幕が下り舞台袖に下がったアイリスは差し出された水を素直に飲む。

 美味しい⋯⋯こんな美味しい水初めてだった。

「やるじゃないガキンチョ!」

 そう言って水を差し出したアトラは全く疲労した様子もない。

「アンタ⋯⋯タフね⋯⋯」

「このアトラちゃんを人間と同じように思って欲しくはないね」

 そんな憎まれ口をたたくアトラに思わずアイリスは抱き着いた。

「アンタってば本当にサイテーよ! でも⋯⋯最高よアトラの歌は」

「アンタも人間にしてはやるじゃない⋯⋯アイリス」

 そんな二人の姿を見る者は誰も居ない⋯⋯

 もうこの時すでに次の演目が始まり、関係者はそっちに気を取られていたからだった。


 それから二つの演目が終わり、そしてグランドフィナーレになる。

 オープニングの時のように今回もアトラの姿も声も無かった。

 それに観客が次第に不満を感じ始めた。

 それに応えて劇場側は前代未聞のカーテンコール後のアンコールを始める。

 もちろん歌うのはアトラだった。

「思いっきり歌ってこい!」

 そう舞台袖からアイリスに背中を押されてアトラは、今度こそ一人で舞台に立つ。

「⋯⋯行っちゃえ、アトラ」

 アイリスにはこの後どうなるのか、予感があったのだろう⋯⋯

 静かな楽器の演奏にアトラの独唱ソロが乗る。

 楽器の音が聞こえているのに聞こえていない、そんな不思議な感覚だった。

 劇場にはただアトラの歌だけが響く⋯⋯

 それを聞き、涙を流す者も居た。

 彼女もその一人だった。

 歌が終わり静まりかえる劇場で、誰かがこう言った。


 ――海洋の歌姫マレディーヴァだと⋯⋯


 静かな拍手と海洋の歌姫マレディーヴァを称えるコールだけが余韻として残る。

 そしてこの日、帝国劇場にまた一つ伝説が生まれた。


 こうして公演初日の演目は全て終了し拍手が鳴り響く舞台に、今度こそ幕が下りた。

 今日の感動を胸に観客たちは帰っていく。

 そしてそれを見送る一座のスターたち。

 見送られる観客たちのトリを飾るのは各国の王族たちだった。

 朝の入場の時のように民たちの大きな歓声に包まれて見送られる。

 そしてその時、皇帝アナスタシアの足が止まり一座を見据える。

「子孫としてはあまり手放しでは称えられん先祖だが多くの偉業を残した、そしてお前たちもまたその系譜である事を忘れるな⋯⋯今日は楽しませてもらった」

 アナスタシアの言葉を受けるのは以前フィリスの役をやっていた一座の花形だった。

「劇団を代表しありがとうございます皇帝陛下、今後もその言葉を励みにしていきます」

 次はルミナスだった。

「アトラ!」

 そう叫んだルミナスはアトラの所へと詰め寄ると、思いっきり抱きしめた。

「⋯⋯ありがとう」

 いつも自信たっぷりで偉そうなアトラが困惑し慌てる姿は、劇団員には面白く見えたのだった。

 それを見つめるアイリスはアトラが注目を集めるのは仕方ないと思う⋯⋯自分はまだまだなのだと。

 そんなアイリスに近づく者が居た。

「今日の君の演技は素晴らしかったよ」

「ミハエル殿下!?」

 そしてミハエルは花束を差し出し、アイリスはそれを放心しながら受け取った。

「今度は君の歌も聞いてみたい、次も楽しみにしているよ」

 この時のミハエルはアイリスが音痴だとは夢にも思っていなかった。

 しかし言われたアイリスにとっては勅命である。

「お望みとあらば⋯⋯励ませて頂きます⋯⋯」

 この日からアイリスの命懸けの特訓が始まるのだった。


 今日この日の公演を見に来た人は貴族も居たし平民も居た。

 そして帝国の民も王国や共和国からの旅行者なども居た。

 それらは皆、今日の感動を伝えるだろう⋯⋯

 そして噂は広まる、今の時代の海洋の歌姫マレディーヴァは、海ではなく陸に居たのだと。

 海洋の歌姫マレディーヴァそれは百年に一度現れるという人魚族の至高の歌い手。

 その歌は聞く者全てを魅了し、人々からの称賛を集めるという――

 そんな伝説である。


「不思議な体験だった」

「何がアリシア?」

 帰り道アリシアがポツリと話し始める。

「疲れている訳じゃないんだけど凄く疲れた気がする、何もやる気にならないのに何でもできる様な気がする」

「ああ、なんかわかります、それ」

 ルミナスも同じ感じらしい。

「演劇ってすごいんですね」

 ミルファもそんな感想を述べる、先月の彼女はは今日ほど純粋には楽しめなかったのでこんな余韻は無かったのだ。

「こういう事を始めたのがルミナスの先祖なのよね⋯⋯戦わない侵略しないって言ってた本人が一番この世界を変えちゃったのかもね」

「そうよフィリス、それが私の誇る偉大な先祖クロエ・ウィンザードなのよ」

「今の私が争いのない時代に生まれてこられたのも、その人のおかげなんだね」

「ちょっと違いますアリシアさま、先祖はあくまで道を示しただけ⋯⋯多くの人達が賛同しなければこの時代は来なかった、結局個人では駄目なんです、みんなで力を合わせないと」

「私達⋯⋯みたいに?」

「そうねアリシア」


 少し離れた所でミハエルとアレクが並んで歩いていた。

「いよいよ明日ですねアレクさん」

「そうだなミハエル」

 今から一月前にミハエルの方からアレクに勝負を挑んだ。

 明日のレースでだ。

「明日は悔いのないように全力でやろう、ミハエル」

「はいもちろんです、アレクさん」

 そしてお互い見つめ合い、笑いあった。

「「明日勝つのは――

 ――僕だ!」

 ――俺だ!」

 二人から少し下がった位置からリオンがアレクを見つめていた。

 ――明日のレース、アレク様が勝てますように。


「ど⋯⋯どうしよう⋯⋯」

 今ナロンは困っていた。

 ドレス姿のまま劇場を出てしまい、このままの姿では宿に戻れない⋯⋯

 それ以前にこの王達の行進からどう抜け出せばいいのか、わからなかった。

 結局ナロンが解放されたのは共和国関係者の為のゲストハウスに連れ込まれてからだった。


「どうしたのよ?」

 アイリスは花束を大切に抱えながら隣のアトラに問う。

 今アトラは気になっていた、ナロンが今日見に来なかったのを。

「うーん? チケット買えなかったのかしら?」

 最後までアトラは、目の前にいたナロンに気付くことはなかったのだ。

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