11-16 誕生祭二日目 その二 魔女の取引

 ナロンは語った、自分が何故落ち込んでいたのか、その理由を――

「チケットの予約をしていなかった?」

「はい⋯⋯当日朝一で並べば買えるとばかり思っていて⋯⋯」

 要するにナロンは事前にチケットの購入をしていなかったので、今日の公演は見られないから落ち込んでいるというのが理由だった。

 そしてこのナロンとの会話にアリシアは衝撃を受けたのだった、すなわちそれは――

 ――私、チケット買っていない⋯⋯

 アリシアは自分がチケットを買っていないので、ナロンのように劇場へ入れないと思っている訳では無い。

 むしろ入れてしまう事に強い衝撃を受けたのだった。

 アリシアをこの劇場に招待したのは帝国である。

 もしかしたらチケット代は王国が出してくれているのかもしれない。

 いずれにしてもアリシアにとって当然だと思っていたこの演劇鑑賞は、多くの人達の配慮によって実現しているのだ。

 無論そこには自分への打算がある事などは承知の上だがだからと言ってアリシアがこの配慮を何も考えず⋯⋯いや何も気付かずに受けている事は問題だと思った。

 自分の為に誰かが何かをしてくれるのは当然と、思う事すらないのはいけない事だとアリシアは自分を諫めた。

 そして、もう一つ問題を抱えてしまった事にも気付く。

 すなわちナロンの事だ。

 ここで見捨てていく事にアリシアは強い躊躇いがあった。

 見捨てたまま、この後の演劇鑑賞を楽しめるのか? それに今、大事な事を気付けたお礼をしてもいいのではないか?

 今からナロンを連れて行ってもきっと誰も何も文句は言わず、アリシアの言うがままナロンの為に席を用意してくれるだろう。

 アリシアは相手が絶対断らないと思える状況で、頼みごとをするのは気が引けた。

 結局それは相手の善意や弱みに付け込む事だと、アリシアは思う。

 だからナロンはアリシアに、アリシアは王達に、それぞれ対価を支払う事が健全だと考える。

「ねえナロンは今から劇を見たい?」

「そりゃ見たいです、せっかくのアトラの晴れ舞台⋯⋯これを見ないなんて友達失格ですよ」

 友達失格という言葉もアリシアに突き刺さる。

 ――私は友人たちに貰ってばかりで、何を返せているのだろうか⋯⋯

「取引をする気はあるナロン」

「取引⋯⋯魔女様と魔女の取引ですか?」

 アリシアは無言で頷く。

 これでもナロンは作家だ、だから魔女の取引くらいは知っている。

 だから即座に答えた。

「どういう条件ですか?」

「私はナロンが今から劇を見れるように手配してあげる、その代わりナロンは私の為に本を一冊書く⋯⋯これでどう?」

「本を書くって、魔女様の活躍をあたしが本に?」

「私の事なんて書く事あるかな?」

「⋯⋯じゃあ何を書けと?」

 ナロンは目の前の魔女の無自覚さに呆れる。

 ナロンは思った、目の前の魔女の日々を書けば誰の書いた本であろうと売れるに決まっているだろうと。

「私の友人たちの事かな、候補は⋯⋯いつかきっとみんなは凄い事を成し遂げる、それを私は特等席で眺めるの」

「それをあたしに書けと?」

「一応候補は⋯⋯もしかしたら別の何かになるかもしれないけど、何も今すぐ書けって訳じゃない十年後までくらいかな? 契約期間はそれを過ぎたら失効でいいよ」

 この契約をすればナロンは今演劇を見れて、しかも魔女の仲間たちの話まで書けるのだという。

「わかりました、その契約謹んでお受けします」

 即答である、断る理由がなかった。

「では契約を履行する、ナロンあなたを劇場へ連れて行ってあげる」

 こうしてアリシアはナロンを連れてみんなの所へと戻ったのだった。


 民衆の前を抜けて劇場入りしたフィリス達はその時、ちょっとした騒動になっていた。

 何せここまで一緒だったアリシアが「ちょっと行ってくる」と理由も言わず幻影の身代わりだけ残して消えてしまったのだから。

 そしてそのアリシアが、正体不明の人物と共に帰って来た。

 王達を守る護衛の騎士たちはアリシアはともかくナロンに警戒態勢を取った。

「ご迷惑かけて申し訳ありません」

 まずアリシアは謝罪した。

「アリシアどこ行ってたの!? それにナロンじゃない? 何があったの?」

 そしてアリシアは王達に言った。

「ナロンに演劇を見せたいけど、構いませんか?」

 それにアレクが質問で返す。

「誰なんだ彼女は?」

「彼女はナロン、私の街の鍛冶師であり、この帝国の名工ガロンの娘で⋯⋯アトラの親友」

 そのアリシアの説明にアナスタシアは驚いた。

「そなたがナロンか、家出したと聞いていたが?」

 ナロンは自分の家出がまさか皇帝にまで知れ渡っているなど想像すらしていなかった、父は一体どれだけ自分の事を心配して周りの人の手を借りたというのだろうか。

「確か実家に帰ってくるって言ってたよね? お父様とは会えたの?」

 そのルミナスの質問にナロンは答える、どうやら皇帝には話しかけられないがルミナスになら話す事の心理的抵抗が薄いらしい。

「はい皇女殿下、一昨日まで里帰りしてました、今は正式に魔の森で働く事を両親に認められてます」

 その答えにアリシアもホッとする。

「アレク様ナロンの為の席を用意して欲しい、対価は私が出す」

「何故アリシア殿がそこまでするのだ?」

「そういう契約をナロンとしたから」

 アレクは素早く考える、理由はどうであれナロン一人の席を確保する事は容易だ、そしてそれだけでアリシアに貸しを一つ作れる⋯⋯

「支配人、席は空いてないか?」

 傍に控えていた劇場の支配人リゲントは答える。

「一般席に空きはありません、その皆様の特別席に入場を許可すること自体は出来ますが⋯⋯」

 そのもっともな答えにアレクは考える。

「では我々と共に見る事になるが、構わないかナロン嬢」

 アレクに話しかけられてナロンは委縮する、無理も無い王族と一緒に演劇鑑賞など想定していなかったのだから。

 そんなナロンの様子を理解したフィリスはちょっとかわいそうだと思った。

「いえ⋯⋯その⋯⋯王族の皆さまとご一緒など、恐れ多くてとても⋯⋯」

 そうナロンが断ろうとした時だった。

「では私達と一緒に見ませんか?」

 その声を上げた人物はオリバーの隣に立つ女性だった。

 その後、一歩前に出て礼をする。

「お話し中割り込んだ事、謝罪します」

「許す」

 そう短くアレクは言った。

 本来なら王族の話に割り込むなど無礼な振舞なのだが、今はもうそういう次元の状況を超えている、だから柔軟に対応する。

 アレクに許可を貰ったその女性はナロンに話しかける。

「ナロンさんとおっしゃいましたね、どうですか私達と一緒に演劇鑑賞しませんか? こちらは王族ではありませんし」

 断れる雰囲気では無いためナロンはその女性について行くことにした、アリシアと一緒つまり王達と一緒よりはマシとの判断だった。

 こうしてこの場を混乱させたことをアリシアが最後に謝罪した事で一応決着はついた。

 この時ナロンはしみじみ思った、魔女と取引なんて気軽にするものでは無かったと⋯⋯

 そしてこうなった以上は何か一つでもネタにしてやると密かに決意する。

 ナロンは理解していない、今の自分が世の作家の誰もが経験しえない世界を見ている事を。

「でもナロンさん、その服装はちょっと目立ちますね⋯⋯支配人、彼女を着替えさせたいんですけど」

 その女性の手配でナロンは普通の服からドレスへと着替える事になった。


 女性とナロンがスタッフに連れられて居なくなった後、特別席へ移動中のアリシアは気付く。

 今オリバーの周りに居る女性の数が十五人だという事に。

「あれ? 今オリバーさんの周りの人が奥さんの全部だよね、じゃあさっきの人は?」

 その質問の答えはアリシアの傍に居たミルファがした。

「先ほどの方はマリー様といってあそこに居られる誰かのご息女です⋯⋯そのオリバー様に結婚を申し込まれた方だと思います」

 ミルファは度々オリバーの屋敷でさっきの女性⋯⋯マリーとは会っていたので顔見知りだったのだ。

「そっか、あの人が⋯⋯」

 そう言いながらアリシアは改めてオリバーとその十五人の妻を見る。

 オリバーと同じくらいの歳の者が大半だったが一人初老といってもよい夫人が居た、彼女は足が不自由なのか車椅子に座っていてそれをオリバー自身が押しているのが、やけにアリシアの印象に残った。

「アリシアさま、前にも言ったけど紳士なのよオリバーおじさんは」

 今のルミナスと同じようにフィリスやアレクもオリバーの事を時々おじさんと呼ぶ、それはまだオリバーが大統領では無かった王室出入り商人だった頃からの付き合いがあるからだ。

 そしてその頃には既に今の十五人の妻達が居たという。

 これから離婚するというのにオリバーと妻達は幸せそうだった。

「不思議な家族だね」

 幸福の形が様々であることをアリシアはまた一つ知った。

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