《7》

 常春とこはるは力なく振り向く。


 周囲の六人も、同じ方向を振り向いていた。


 全員、同じ者を見た。


「遅くなって済まないね。何人か死人が出てしまっているようで、残念だ」


 そう静かに言ったのは、一瞬、目を奪われるほどの美女だった。


 その長い黒髪は、まるでオニキスを糸状にしたような美しい光沢を放っており、稲光を反射して輝く。

 顔立ちは、豊富な経験と知性を兼ね備えたようなミステリアスな美貌。だが取っ付きにくそうではなく、どことなく親しみの湧く雰囲気があった。

 女性にしては長身で、常春より明らかに背が高い。

 ぴっちりとした詰襟の中華服と、足首まで丈のあるスリット入りのロングスカートは、どちらも吸い込まれそうな黒。それらの黒衣が、細い腰や手足、豊満で形の良い胸部と臀部を浮かび上がらせ、扇情的な曲線美を描き出している。


 顔は今初めてみた。


 しかし、彼女が身に纏うその黒衣には、常春も、そして六人も見覚えがあった。


「クソッ、『河北派かほくは』か……!」


 六人のうちの一人が、そう忌々しげに吐き捨てた。


 ——『河北派』。


 そこに所属している白髪の少女に、常春は昨日会っている。


「……君、は」


 その少女——藩随静はんずいせいは、長身の美女の隣で控えていた。


 二人は、多少デザインは違うものの、同じ種類の黒衣を着ていた。


 それが意味するところは一つ。……あれが『河北派』という派閥のユニフォームなのだ。


 随静はその澄んだ漆黒の眼差しに、常春と、真っ二つに分断された葛躙の亡骸を映し出す。一瞬、僅かに瞳を震わせてから、随静はいつも通りの仮面じみた無表情のまま言った。


「……心中、察する」


 それを聞いた瞬間、常春の腹の奥底で、火が灯った。怒りの火だ。


「どうして……そんなことが言えるんだよ。どうして君は……そんな平然としていられるんだ」


 その怒りは、無闇に同情されたことに対してのものではなかった。


 『人の死』という、常春にとってはとてつもなく重い事を、そよ風のごとく扱われたからだった。悲しみの混じった憤りだった。


 対して、小学校高学年くらいにしか見えない白髪の美少女は、抑揚に乏しい銀鈴の声で淡々と言った。


いな。殺人は忌むべき事であるという認識は、わたしもあなたと同様。……けれど、この『求真門』は例外。この連中は悲劇しか生み出さない。欲しい物は努力や精進を重ねることなく略奪で手に入れ、気に入らない人間は蟻を踏み潰すがごとく死なしめる。だから、わたし達は戦っている。わたし達の幸せを、尊厳を、平穏を、これ以上奪われないために。守るために」


 ——その言葉を聞いた瞬間、常春は心中に衝撃を受けた。


 確かに『武林ぶりん』というのは、ヤクザな世界かもしれない。流血が絶えない、修羅の世界かもしれない。


 だが、彼女達の求めていることは、自分と同じなのだ。


 平和な『日常』に生きる——それだけを、彼女達は求めているのだ。


 随静の隣の美女が、ふふんと得意げに鼻を鳴らす。


「そういうことだ。言っておくが、そいつらに連れて行かれたら、生き地獄が待っているぞ。殺してくださいと言いたくなるような凄惨な実験を何度も受けて、結局心が死ぬだろう。バッドエンドが約束されるね。——だが、私達『河北派』の一員になれば、武林における巨大な後ろ盾が得られるだろう。寄せ集め感の否めない派閥だが、個々の戦闘力は高く、日本の『求真門』もまともにぶつかればどちらか一方が全滅しかねないという力を持つ。もし『河北派』に入ったならば、君の家族や親類、ならびに所属する機関の安全が保障される。もちろん、この学校もその『安全保障』の範囲内だ」


 そうズラリと言ってのけてから、その美女は常春へ掌を出し、再度告げた。


「『雷帝』の弟子よ。君は今、分水嶺に立っている。求真門に連れて行かれて死ぬまで奴らのオモチャにされるか。今この場で河北派の一員になり、屈強な仲間と共に奴らと戦う道を選ぶか。——さぁ、選ぶといい!」


 ——そう、ここが、自分の人生のターニングポイント。


 事なかれ主義を決め込み、戦いから逃げ続けるか。


 自分の『日常』を守るため、戦う道を選ぶか。


 いや、それはもはや選択肢ではない。


 もしここでなお戦いを拒んでダチョウの平和に耽溺たんできしても、常春を取り巻く現実は悪化することはあっても、良くなることは絶対にあり得ない。


 それに、常春は知ってしまったのだ。いや、思い出したというべきか。


 日常系アニメのような平和な『日常』は、力の裏付け無しでは実現できないことを。


 『日常』と力は、不可分であることを。


 戦いを拒絶するのではなく、立ち向かうことだけが、『日常』を勝ち取り、守るための王道であるということを。


 常春の答えは決まっていた。


 死んでいた瞳に生気を再燃させ、遠くにある美女の手へ、自分もまた手を伸ばし返し、力強く言った。


「僕は……力が欲しい。僕と、僕の大切な人達の『日常』を勝ち取り、守り抜くための力が欲しい。 だから——僕と一緒に戦ってください!」


 美女は、遠くにある常春の手を握るかのように、突き出していた掌をグッと拳にした。婉然と微笑する。


「しかと聞き届けた。いいだろう。河北派所属門派『龍霄門りゅうしょうもん』が掌門しょうもん、この麗慧れいけいの名において宣言する——今この瞬間をもって、石蕗常春、!」


 新たな足音が、いくつも重なって聞こえてくる。


 新手かと思い目を向けると、その集団は、麗慧や随静と同じ黒衣……『河北派』の衣装に身を包んでいた。つまり、味方。


 黒服の集団は、麗慧を中心にして壁を作るように集まった。その数は、今ここにいる『求真門』の数を遥かに超えていた。


 多勢に対し、求真門六人がたじろぎを見せた。


「……で、どうする? その子はもうすでに、私達『龍霄門』の家族だ。家族に手を出された人間がどれほど修羅になれるのか、見てみたいかい?」


 六人は構えた武器を下げ、引き退る意思を言外に告げた。


「結構」


 ふふんと得意げに微笑み、麗慧は悠然と歩みを進めた。六人は、彼女とぶつかるどころか、近寄られることさえ厭うように横へ遠ざかり、道を開けた。


 膝をついた常春の前まで歩み寄ると、しゃがみ込み、柔和に笑ってその頭を撫でた。


「これからよろしく頼むよ。あと、口を拭きたまえ。ゲロ臭い男は女にモテないぞ」


 そう言って麗慧にハンカチで口を拭われながら、常春は胸中で二つの感情が生まれるのを実感していた。


 後悔と覚悟。


 自分はもう、今までのような陽気なだけのアニオタではいられないだろう。そのことに対して、心残りはなおもあった。


 しかし、『日常』が壊れたのなら、また新たな『日常』を作り直せばいい。


 これからは、その作り直した『日常』のために戦おう。どんな敵が自分の『日常』を侵そうとしても、それを迎え打てるくらいに強くなろう。


 暗雲の隙間から漏れる一筋の陽光に当てられながら、常春はそう強く決心したのだった。

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