第二部 第一章 このままじゃ駄目かもね
第1話 イクエちゃんこっち来てくれる?
こちらの世界に
そんなとき、育江自身の油断により、再度窮地に追い込まれてしまう。彼女を窮地から救ったのがかつての
元々は、見た目は愛玩獣魔、中身はお化けなシルダだったが、彼女もなんと、初期状態に戻ってしまっていた。育江も弱くなってしまっていたから、共に元の状態に戻るべく、シルダの育成を再開する。
途中、スランプや育成相手の枯渇に悩まされながらも、時空魔法という打開策に気づき、地味で退屈なスキル上げを経て、育江はなんとか中距離転移に成功した。
ここしばらくの退屈になりかけていた日常も、少しだけ刺激が増えた形になっただろう。
宿屋『トマリ』で朝を迎え、朝食を終えるとギルドへ向かう。カナリアのご用聞きが済むと、何もなければ宿の部屋へ戻り、中距離転移で『門』を開いてマトトマト村へ転移する。
マトトマト村の
本当ならば、王都に行きたいところだが、『中距離転移』では届かないようだ。今も王都からの転移を生業としているものがいるとするなら、ひたすら反復してスキル上げをしたに違いない、育江はそう思っただろう。
▼
迷宮都市ジョンダン。ダンジョンを管理する塔の二階にある、探索者ギルドの受付カウンター。受付業務全般を管理、実務までこなしている馴染みの女性、カナリアに呼び止められた。
「イクエちゃん、いいところに来たわ。あのね」
「はい、なんですか?」
「ぐあ?」
育江が返事をすると、シルダも一緒に『なんでしょ?』みたいに声を出す。
「マトトマト村のね、村長代理のギルマさんからまた、感謝状が届いてるんだけど、おかしいのよね。イクエちゃんは昨日もこっちにいたはずだし、誰が行ったのかしら?」
「あーそのですね――」
「ちょっと待って、イクエちゃんこっち来てくれる?」
カナリアは嫌な予感がしたのだろう。カウンターをくぐり、育江の背中を押して、困ったときの医務室へ。シルダも、わけがわからないだろうが、育江の後をついていく。
「それで? 今度は何をどうしちゃったの?」
カナリアは、マトトマト村へ育江が行ったという前提で質問してくる。
「ごめんなさい、昨日も午後から行ってきたんです」
「午後からって、どうやって? 馬車でも行って来て二日かかるし、イクエちゃん、
(あー、飛鷲って、一人乗りの飛空挺だっけ? 何年か前に年始の課金ガチャで一度だけ出た『あれ』かー。こっちでも実装されてたのね)
確かに、
「ぐあ?」
シルダは背中をみせて、小さな羽をぴくぴくと動かして見せた。
「あのねシルダ。あんたは飛べないでしょう?」
「ぐあぁ……」
「はいはい、落ち込まないの」
「それで、イクエちゃん」
「あ、すみません。カナリアさん、ここだけの秘密ですよ?」
「わかってるわ。それにもし何かあって、イクエちゃんがここを去ってしまったら、私の歩合がどかんと減ってしまうのよ? 守るに決まってるじゃないの」
「カナリアさんらしいというかんなんというか……」
育江は一度、『パルズマナ』をかけて、『
「こ、これって?」
「はい。時空魔法です」
『門』は、五分ほど放置すると消えることが、育江の検証作業でわかっている。
「確かに、王都にも使い手がいるって聞いたことがあるけど、まさかイクエちゃんが……あら? 持ってたら、あのとき馬車で行ってないわよね?」
「はい。頑張りました」
「ぐあっ」
「頑張りましたって、あのねぇ……」
PWOでは、持っている人の方が多かった。『空を飛ぶこと』と『瞬間移動』は、現実では不可能な、追体験の一つだったからだろう。カナリアの話から察するに、こちらの王都にも数人、時空魔法の使い手がいるようだ。
ふらふらと吸い寄せられるように、カナリアはあちら側に映る、マトトマト村に向かって歩いて行く。
「あ、カナリアさ――」
何かに弾かれるように、カナリアは真後ろにひっくり返る。
「入れないかもって言おうとしたのに」
「それ、先に言ってくれないと……」
「ごめんなさい。あ、それでですね。こちらからあちらを見ることはできるんですが、あちらからはこちらは見えません。五分ほど放置で、消えるみたいですね。あと、王都には『まだ』行けませんでした」
「……まだ、というといずれ?」
「はい。おそらくですけどね」
「……もしかしてこれ、潜入に使えるんじゃない?」
「潜入、ですか?」
「えぇ。あちらからこっちが見えないなら、『こっそり何かを探ったりできる』のかな? って」
「あぁ、これ。一度行ったことがある場所だけです。そうでないと百パー失敗しますね」
「なるほどね。奥が深いわ……」
カナリアも案外、育江のように検証好きなのかもしれない。
▼
時空魔法のカミングアウトを終えた翌日、育江は朝からギルドに来ていた。先日、掃除の方はあらかた終わらせてしまったので、今のところ急な依頼は入っていないとのこと。
「カナリアさん、質問があるんですけど」
「どうしたの? あ、あまり大きな声で言えないこと?」
「できたらお願いします」
「ぐあっ」
最近シルダは、カナリアのことを怖がらなくなった。育江が掃除などの『お願い』を聞く際は、シルダを匂いから
ドアの表に『治療中』の札を出しておけば、人が入っていくることが少なく、最悪入ってくるとしてもしっかりとノックされる。そのため、大声で言えない話をする際は、この医務室を使うようになった。
育江に座るように促すカナリア。シルダはベッドに寝っ転がって、お腹を上に向けている。
「それで、どんな話かしらね?」
「はい。ダンジョンなんですけど」
「……よかったわ。心折れちゃったりしてたら、相手を探して吊し上げようとも思っていたのよ」
カナリアの性格とその腕力ならば、『物理的に吊しかねない』と育江は思ってしまった。
「なんて物騒な、……ってそうじゃなくてですね。ダンジョンってほら、潜るじゃないですか?」
「潜る、確かにそうね」
「帰りは、どうするんです? 歩いて戻ってくるとか? もし疲弊していても?」
「あぁ、そのこと。もちろん、歩いて帰ってくるわ。私はほら、『
「はい、『
「もちろん、そうでないパーティもいるわ。飲食などの補給をしっかりと用意して、回復役のいるパーティでなければ、深い階層へ入ることもできない。せいぜい、第四階層がいいところでしょうね」
「カナリアさんたちは、どこまで潜ったんですか?」
「そうねぇ、……第二十九階層だったかしら?」
「二十九、ですか?」
「そうよ。それでね、第三十階層にいる
カナリアは、踝丈のパンツの裾を、膝までまくってみせる。受付とは思えないほどに、引き締まった足。だがそこには、治りきっていないような、深い古傷が残っていた。
「えっと、ちょっと触りますよ?」
「え? 別に、女の子同士だから構わないけど、触っても面白いものじゃないわよ?」
育江は膝にある傷の隣あたりに手を添える。
「んー、『
育江が唱えた呪文は、毒素中和の『デトキシ』。普通に考えたら、ここまで傷が完治しないのは、『何か、理由があるのでは?』と思ったからだ。そこで、あくまでも『一応』だがかけてみたということ。
「あとは、『
思った通りだった。魔法があるこの世界で、ここまで酷い傷が残るのは、毒か何かが影響してるのだと。
エルシラ姉妹のジェミルは司祭だったとのこと。育江が知る限り、司祭の主要スキルは『祈り』。祈りのスキルには、治癒魔法のように回復を促すものがあったのを覚えている。だが、どちらかというと『魔法や戦闘の補助』をするスキルだった。
だから、毒の中和などは専門外だったのだろうと、育江は考えた。
「え? うそっ、なにこれ。ずっと続いてた痛みが……、ってこれ、もしかして?」
目に見えて、傷がゆっくりだが塞がっていく。いつも、じくじくした嫌な痛みがつきまとっていたから、夜はお酒を飲まないと眠れないほどだった。
それがまさか、この場で解消されるとは思っていなかっただろう。
「カナリアさんもね、『言ってくれたらよかった』んですよ」
そう言って、笑う育江。同時に思っただろう『第三十階層のボスは、毒攻撃を使うんだ。気をつけないとねー』と。
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