第四章 ダンジョンへいってみよー

第1話 今日は違いますからね?

 この『迷宮都市ジョンダン』は、ダンジョンありきで人が集まり、ダンジョンありきで宿が出来、ダンジョンありきで店が増え、ダンジョンありきでまた人が集まって大きくなった。ここにあるダンジョンは、一番浅い第一階層であっても、探索者登録を経て、中級にならないと入ることが許されない。


 例外として、上級探索者の引率により、一階層だけ体験する『観光』と呼ばれるツアーがありはする。だが、初級探索者だけで構成されたパーティや、初級探索者が混ざる中級探索者のパーティでは、入ることが許されていない。


 ダンジョン内は基本、自己責任。場合によっては、命を落とすこともあり得る。それ故に、許可できないこともあるのだという。


 PWOあちらで育江は、シルダたちの育成にどっぷりはまっていて、ダンジョンに興味を示すことはなかったからか、ダンジョンの性質ついてはとんと疎い。人づてに聞いていた最低限の知識はあった。ただそれは『インスタンスダンジョン』か、『インスタンスダンジョンではない』か程度。


 インスタンスダンジョンとは、パーティやソロで入場する毎に、隔離されるように他のパーティや他のプレイヤーに出会うことがないダンジョンのこと。魔物やボス、ドロップの取り合いにならないパターン。

 あとは『インスタンスダンジョンではない』場合。全てが譲り合いか、協力の上に成り立つか、競争や取り合いになるダンジョン。

 育江がダンジョンに関して持ちうる知識は、その程度でしかなかった。


 ▼


「あらイクエちゃん、おはよう。今日は掃除の依頼はないのよ?」


 あれから数回、カナリアの『お願い』を聞いて、育江は『ピュリフィ』を使って、浄化をしていた。つい先日は、とんでもない状況で、ついに、シルダがひっくり返って気絶する事態に発展。


 その『お願い』はなんと、このジョンダン全体の、トイレの行き着く先。町が管理する浄化設備の状況改善だった。それは育江自身にも、少なからず影響があるからか、断り切れなかった。


 シルダがひっくり返った分、報酬は塔ゴミ捨て場の数倍。軽く一月ひとつきは、仕事をしなくても生活できるほどの蓄えができるほどだった。


「カナリアさん、あたしは、清掃業者じゃないんですけど……」

「ぐあぁ」


 シルダはまたカナリアの前で、育江の後に隠れるようになってしまった。


「あら嫌だ、私そんなつもりじゃ――」

「と・に・か・く、しばらくはあたし、掃除しませんからね? ほら、シルダを見てください。カナリアさんを怖がっているじゃないですか?」

「ぐあぁ」


 シルダがカナリアを怖がっているかどうかは別として、少なくともカナリアイコール、あの臭いの原因。そう思われていたのは事実だろう。


「あまににも、イクエちゃんが依頼を断らないもんだから、つい調子に乗ってしまったの自覚してるわ。ごめんなさいね」

「ぐあぁ……」


 シルダの方が育江よりも早く、『気をつけてよね』と言ってるかのように声を出す。


「シルダがそう言うなら、気をつけてくださいね?」

「わかったわ。……それで、今日はどうしたの?」

「あ、忘れてました。あたし、ダンジョン見てくるつもりなんです」


 色々な理由もあって、最近、シルダの育成ができていない。ここ最近、治癒魔法の経験値は貯まる一方で、ついにレベル五になっていた。

 使えるようになったのは、『パルズマナ』という、魔力回復補助呪文。とまじゅーや魔力茶などと併用することで、魔力の回復を加速させることが可能になるものだ。


 だからこそ育江が一番最初に思ったのは、『魔力が切れさえしなければ、掃除がもっと早く終わるかも』というもの。カナリアの『お願い』の後遺症がこんなところにも現れていたのだろう。


「そう、……イクエちゃんは中級だから入り口で止められないでしょうし、山熊まで倒しちゃうシルダちゃんが一緒なら、危険性も低くなると思うの。……でもね、とりあえず第一階層を見てから、その先に行くか考えた方がいいわよ」

「何故ですか?」

「あのね、過去には、第二階層で亡くなった探索者もいるから、ダンジョンは基本、自己責任なのよ」

「あ、そういう意味なんですね」

「本当なら、イクエちゃんはパーティを組むべきなんでしょうけど、現状は難しいのよね……」


 カナリアは、身を乗り出して育江の耳元で囁く。


『素性を明かしたくはないんでしょう?』

『それはそうですけど』


 育江はもし、空間魔法と治癒魔法が使えると公表したのなら、パーティを組んでもらうどころか、スカウトまでくるだろうと予想されている。

 育江が登録した当初、カナリアがつい、『空間魔法』について口を滑らせてしまった。今はカナリア自身が現在は防波堤になっていることで、なんとかその噂を押さえ込むことに成功している状態だ。


 育江は色々とカナリアのお世話になっていることもあり、彼女の『お願い』を聞くことはあっても、他の探索者に縛られるつもりはない。そうなってしまえば、シルダの育成もままならなくなってしまうからだ。


「じゃ、ちょっとだけ見てきます」

「ぐあっ」


 シルダは別にカナリアを嫌っているわけではないようだ。ただ、育江が言うように怖がっている可能性は否定できない。


「気をつけるのよ。私が知る限り、灰狼より強い魔物はいないはずだけど、油断は絶対にダメだからね?」

「ありがとうございます」

「ぐあっ」


 育江は踵を返してギルドの外へ向かう。シルダも振り向いて、手を上げて応える。


(よかったわ。シルダちゃんに嫌われちゃったわけじゃないみたいね……)


 カナリアも十分、反省はしているようだった。


 ギルドの出入り口を抜けて、そのまま階段を降りる。降りきったら出口が見えてくるが、そのまま右へ折れて、進んでいく。こちら側には、ダンジョンへ降りる際に必ず通らなければならない門がある。


 五十メートルほど進んでいくと下りの階段があって、地下へ通じているようだ。螺旋らせん階段のように、右回りに階段を降りていく。そこはまるで、PWOあちらの世界にある、空港に設置された搭乗口に似ている。


「ここから先は、許可を得た中級以上の探索者しか通ることができません。おや? もしやと思いましたが、あなたがあのイクエさんですね。いつもお世話になっています」


 初老の男性で、腰に剣を携えている。物腰柔らかで、優しそうな表情をしているが、彼の腕は育江の太股ほどはある。おそらくは、カナリアのように勇退した探索者で、ギルド関係の人なのだろう。


「はい。育江と申します」

「ぐあっ」

「手続き上、カードを拝見できますかね?」


 育江は背負っている小さな鞄を下ろして手を入れる。頭の中で『ぽちっとな』すると、システムメニューからインベントリにある登録カードを取り出した。


「あ、はい。どうぞ」


 育江からカードを受け取ると、中級であることを確認したのだろう。


「ありがとうございます。はい、間違いないようですね。ところでイクエさんは、この先は始めてですよね?」

「はい、そうです」

「もし何かありましたら、この先にいる二人の探索者に頼ってください。『必ずなんとかしてくれる』はずです。では、安全に配慮をお願いしますね」


 育江はカードを受け取る。男性をよく見ると、胸にカナリアと同じ形のネームプレートをつけている。名前を『ベルギル』と書いてあった。


「ありがとうございます。ベルギルさん」

「ぐぎゃ」

「いえ、もったいないです。では、お気をつけて」


 ベルギルはシルダにも手を振ってくれた。おそらくは、何かあったときのためにここを守る人の一人なのだろう。


(ぽちっとな)


 育江はシステムメニューを育成時のように、拡張現実ARと同じような感覚で、眼前に投影しながら見ることができるようにしている。


(鑑定)


 壁が少しずつ変わっているように思えたから、鑑定をしてみた。壁自体はまだ『塔』という結果が出ている。


(まだダンジョンじゃないってわけね)


 始めて通る道だからか、シルダは前に出て行かない。左手を握ったまま、育江のすぐ後をとことこと歩いてついてくる。


 通路は緩い下り坂になっている。塔の真下にダンジョンがあるのかと思ったのが、そうではないようだ。五十メートルほど進んでいくと、空気が若干変わった感じがとれる。

 すると前に、先ほど通った門のようなものがもう一つ出てくる。今は開け放たれているが、緊急時には閉じられることも考えられる造りになっていた。


 育江が横に並んで三人通れるほど幅のある門の右側には、部屋のような感じに凹んでいた。そこに二人が待機しているのが見える。ベルギルよりはかなり若い女性と、女性よりやや年上に見える男性だった。


「おや? そのレッサードラゴンはもしかして?」

「そうね。彼女がイクエちゃんだと思うわ。おはようございます」

「おはようございます、イクエさん」


 男性のネームプレートには『デリック』、女性のネームプレートには『シンディナ』とあった。デリックは槍を持ち、シンディナは杖のようなものを持っている。

 おそらくは、ベルギルが『頼るといい』と言ってくれた二人なのだろう。


「はい、おはようございます」

「ぐぎゃっ」

「お二人の活躍は、聞いてますよ。第一階層は危険なく回れると思います」

「そうだね。ただ、何があるかわからないとも言えるんだ。それは、他の探索者が、何を考えているかがわからないからね」

「そうそう。何が起きるかわからないからこそ、十分に気をつけてね」

「健闘を祈ってるよ」


 意味深な二人の言葉。育江は気を引き締めて進んでいこうと思っただろう。灰狼にやられたあの苦い思い出は、二度と味わいたくはないはずなのだから。


「はい、いってきます」

「ぐあっ」


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