12
いつもの悪夢を見て、私は目を覚ました。
不幸中の幸いと言って良いものか、昨晩見た女性を殺す夢も、また違う誰かを殺す夢も見ることはなかった。
隣を見ると、遊間はすでに目を覚ましており、チョコレートの香りがする電子タバコを吸っていた。
「すみません。私、煙草の煙は苦手なんです。せめて外に出てから吸ってもらえますか?」
私がそう訴えると、彼は、
「これは厳密には煙草ではないから大丈夫だ」
と言い張って吸い続けた。彼曰く、その煙は香料を気化させたもので、ニコチンも入っておらず、体に害のない安全な代物らしい。
私はそれ以上、遊間に何か言うことを諦めて、起き上がることにした。
上体を起こすと、私の肩からひざ掛けのような小さな布が一枚、ぱさりと床に落ちた。
私が眠った後に、彼がかけてくれたのだろうか。案外、気の利くところもあるようだ。
遊間は一服吸い終えると、私に今日見た夢の内容について訊ねた。私がいつも見る夢と何も変わりないと答えると、彼は無表情のまま、そうか、とだけ返事をした。
「今日も図書館へ行って、過去の事件について調べるぞ」
マスターが用意してくれた朝食のエッグマフィンをぼろぼろとこぼしながら、遊間は私に言った。
それを見たマスターが、紙ナプキンで遊間の口を拭う。当の遊間は、マスターのその行動がさも当然の行為かの如く、礼も言わずにマフィンを貪り続けている。
マスターが居なかったら、果たしてこの人はまともに生活していけるのだろうか。
頭の中の遊間が、余計なお世話だ、と悪態をついた。
食後のコーヒーを飲み終えると、私たちはすぐに図書館へと向かった。
一日中、コンピューターの前に張り付いて、無心で記事を流し読みしていく。
新聞を読んでいる間は、遊間も目の前の画面に意識を集中して、一切しゃべらなくなるので、その時間だけはゆっくりと落ち着いて過ごすことができた。
「そろそろ帰るぞ」
気が付くと、遊間が後ろに立っていた。時計の針は午後五時五十分を回っている。
「もうこんな時間……」
私は椅子に座ったまま、思い切り背伸びをした。読んでいた新聞の日付をスマホにメモして、パソコンの電源をシャットダウンする。
結局、その日は何の成果も得られなかった。
「仕方がない。こんな日もある」
遊間は遠くを見つめるように、目を細めて呟いた。
「このように地道な調査も、探偵の仕事のひとつさ」
しかし、その後も進展のない日々が続いた。
長年のブラック企業勤めで、忍耐強さには自信があった私も、さすがに不安と苛立ちを隠せなくなってくる。
何とか現状から脱したいと、普段の私なら絶対に頼らないような悪魔語りのオカルト信奉者に、藁をもつかむ思いで泣きついたのだ。
しかし、彼に相談をしてからも、状況は一向に変わっていない。
それどころか、無理やり手錠をかけられて行動の自由を奪われたり、温かいベッドの代わりに寝心地の悪いソファで寝かされたりと、理不尽な目にばかり遭わされている。
私の精神も、限界に近づいてきていた。
そもそも、過去に神落市周辺で起こった事件について調べることが、本当に私の問題解決につながるのだろうか。
極度の疲労から、今まで考えることを避けていた当然とも言える疑問が頭に浮かんでくる。
あの悪夢が実在の出来事であると証明したところで、私の悪夢が治まる保障はない。
それに、私が前世の記憶だと思っているものが、八木山医師の言う通り単なる脳の不調による産物で、その記憶すら紛い物に過ぎないとすれば?
私たちは一体、何を探しているというのだろうか。
ふと遊間の方に目を向けると、彼の目の下にうっすらと隈ができていることに気付いた。
この彼に、私を悪夢から救う力が本当にあるのだろうか。
彼の憔悴しきった顔を見て、その疑念がしだいに強くなっていく。
そして、私たちが図書館での調査を始めてから四日目の朝、遂に恐れていたことが起こってしまった。
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