9

「突然よみがえった前世の記憶に、正夢になった殺人の悪夢ね……」

 遊間はそう呟くなり立ち上がり、何も告げずに部屋の奥へすっと消えてしまった。

 無断で立ち去るわけにもいかず、仕方なくその場でしばらく待っていると、遊間の消えた方向からぶつぶつと独り言を呟くような声が聞こえてきた。

 その独り言は数分ほど続き、やがてそれが止んだかと思うと、今度は何か硬く重たいものが床に滑り落ちたかのような大きな衝撃音が部屋中に響き渡った。

 さすがに心配になり、様子を見に行くべきか迷っているうちに、金属同士がこすれ合うような騒がしい音を立てながら、遊間が部屋の奥から戻ってきた。

 彼は、目の前まで歩いてくると、私に右手を差し出すよう促した。

 私は不審に思いながらも、恐る恐る彼に右手を差し出した。

 ――ガチャリ。

「じゃ、しばらく僕と一緒に生活してもらうから」

「え?」

 一瞬の出来事に、理解が追いつかない。

 恐る恐る自分の右手に視線を向けると、なんと手首に手錠がかけられている。

 しかも、その手錠の反対側は、遊間の左手首へとつながっていた。

「ちょっと、いきなり何をしているんですか」

 遊間の突然の凶行に、私は思わず叫び声を上げた。

「何って、きみ、夢の中で殺した人間が現実でも同じように死んでいたんだろう? その殺人がきみの仕業じゃないか、僕が見張ってあげるんだよ」

 遊間は悪びれることなく言った。

「あ、あなたは、本当に私がやったかもしれないと思っているんですか」

 突然の容疑者宣告に、頭がぐらぐらとふらつく。

「いや、僕の見立てだと、その可能性は低い。が、念には念を入れてだな」

 動揺する私とは対象的に、彼は極めて落ち着いた様子で答えた。

「……トイレとかお風呂とかに入るときは外してくれるんですよね」

 私は、彼の辞書に常識という言葉が存在するのか、念のため確かめることにした。

「ん? 外さないが?」

 私は頭を抱えた。

「あの……手錠をしたままだとトイレの扉を閉められないですし、お風呂に入るときも、お互い服を脱ぐわけですし……」

 私は自分で説明しながら、その光景を想像し、赤面してしまった。

 それを聞いた遊間は、なおも平然とした態度で答えた。

「何を恥ずかしがる必要がある。私に見られたところで、きみのそのだらしなく脂肪のついた身体に大した価値はなかろう」

 その言葉に、私は驚きも怒りも通り越して、ただただ呆れ果ててしまった。

「第一、手錠をしたまま服は脱げないだろう。しばらく入浴は不可能だ。濡れタオルで我慢してくれ」

 そこまで言ってから、遊間は何か重要なことに気付いたかのように、突然真顔になって続けた。

「それともあれかな? 僕としたことが、こんな簡単なことにも気付けないなんて」

「あれ?」

 私には、何のことかさっぱり見当もつかず、そっくりそのまま聞き返した。

「きみは、僕の美しい肉体に興味があったのだろう?」

 遊間は私の自尊心に止めの一撃を刺した。

 これではまるで、私が遊間との入浴を期待していた変態女ではないか。

 だいたい、背が高いだけの痩せっぽちの貧相な身体のどこが美しい肉体だ。

「分かりました。もういいです」

 私はすべてを諦め、力なくそう答えた。

「よろしい。従順な人間は嫌いじゃないぞ」

「はぁ、そうですか」

 彼の軽口に一々反応していても疲れるだけだ。

 今後、彼の軽口には一切反応しないことに決めた。

「それで、ひとつだけきみに聞きたいことがあるのだが」

「ひとつだけですか?」

「そう、ひとつだ。天才はひとつの問いかけから無限の答えを導き出す」

 彼はそういうと、私の手を無理やり引いて、再び「お気に入りの椅子」に腰かけた。

 私は仕方なく床に座る。

「きみがこの神落市に越してきたのは、いつのことだ?」

「就職とともに引っ越してきたので、五年前のことになりますけど……って、あれ? 私、神落市の出身でないことをあなたに話ましたっけ?」

「いや、話してはいないとも。だが、なに、これくらいのことならば本人の口から聞かずとも、僕にはすべてお見通しさ」

 彼は得意げに言った。

「まさか、超能力を使って私の心を読み取った、とか言わないですよね」

 遊間はそれを聞いて大声で笑い出した。

「この僕が読心術者テレパスだって? まさか。オカルト事件専門の探偵を謳っているが、僕自身にそういった超能力は備わっていない。ごく普通の身体を持った、ごく普通の人間。ただの天才さ」

「それなら私が市外出身だってことが、どうしてあなたには分かったんですか?」

「なに簡単な推理から導出されたひとつの推論さ。だが、その推理については、今はまだ明かすべきときではないな」

「明かすべきときではない、ですか」

「そうだ。いずれ語るべきときが来れば、そのとき、すべてを明かそう」

 彼はもったいぶった様子でそう答えた。

「では、まずきみが言う前世の記憶とやらが、本当に実在した出来事の記憶なのか、そこから調べ始めるとしよう」

 彼はそういうと、コート掛けにかかっていた黒い鹿撃ち帽子を手に取り、それを片手で乱暴に頭の上に被せた。

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