第7話


 平日の昼間に制服姿の2人組が入れる店なんて当然あるはずがない。

 サボったのはいいものの、行く当てのない2人がやってきたのは来海凪の家だった。


 彼女の後ろをついてくる途中、甘い石鹸のような爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 ほんのりと香る匂いは雪美好みで、ずっと嗅いでいたくなるほど良い香りだった。

 

 「先生にはなんて言ったの?」

 「腹痛。上村さんは?」

 「私は頭痛」


 2人で顔を見合わせながら笑い合う。

 一見接点のない2人だから、まさか一緒にサボっているなんて思いもしないだろう。


 仮病を使ったのは初めではないが、その度に感じる罪悪感には慣れそうにない。


 前回とは違って、彼女の部屋ではなくてリビングへ招き入れられていた。

 ソファに腰掛けながら、室内がシンと静まり返っていることに気づく。


 「親は?」

 「パパは会社。私の家シングルファザーだから」

 「じゃあ家事とか来海がやってるの?」


 視線を斜めに下げながら、ゆるゆると首を横に振って見せる。


 「凪は何にもしなくて良いんだよって言ってさせてくれない」

 「家でもお姫様扱いじゃん」


 冗談混じりの言葉に言い返してくると思ったのに、凪はどこか切なそうな顔をしていた。


 お姫様として扱われることは、彼女にとっては喜ばしいことではなかったらしい。


 「お姫様扱いされたくない。天使扱いだって……嬉しくもなんともない。別に綺麗じゃないよ」


 白い指がこちらへ伸びて、トンと雪美の肩を押す。

 あまり力は込められていないというのに、気づけば背中には柔らかいソファの感触が触れていた。


 彼女の長い髪が顔に掛かって、学園の天使に押し倒されている状況。


 「……ねえ、上村さん」


 グッと顔を近づけられて、耳元で吐息混じりに囁かれる。

 美しい天使が望んだのは、綺麗とは正反対の言葉だった。


 「私のこと汚してよ」

 「何言って……」

 「綺麗とか潔白とか…そう言うの全部捨てたい」


 こちらが何も言わずにいれば、肯定と受け取ったのかゆっくりと彼女の顔が近づいてくる。


 少しでも動けば唇が触れ合ってしまいそうなくらいの近さ。


 互いの呼吸が伝わってしまう程の至近距離で、咄嗟に自身の唇を手で覆っていた。


 必然的に凪の唇は雪美の手のひらにあたって、不満そうに彼女が眉間に皺を寄せる。


 「手退けてよ」

 「やだ」

 「なんで」

 「私とのキスが汚いみたいな言い方しないで」


 きっぱりと告げれば、どこか不安げに彼女の瞳が揺れる。

 凪の意図は分からなかったけれど、今の自分の思いをありのままに伝えていた。


 「キスとか、そういうことするのは汚れることじゃないでしょ」

 「だって…」

 「じゃあ言い方変える」


 凪の髪をとって、そっとサラサラの髪に唇を押し付ける。

 シャンプーの甘い香りがして、そんな彼女の女の子らしさに心が踊らされていた。


 「人間らしい欲求を抱かせて、なら協力してあげても良いよ」


 汚い行為と思われるよりはマシだと、別の提案をしたけれど、これが合っているのかどうかもよく分からない。


 しかし凪の胸には響いたようで、嬉しそうに頷いた後再び唇を近づけてきた。

 反射的に顔を背ければ、痺れを切らしたように拗ねた声を漏らしている。


 「なんで背けるの」

 「……いや、自分で言っておいてなんだけど……いから」

 「なに?聞こえない」

 「したことないから……」


 つまらない見栄を張ってしまった手前、正直に打ち明けるのが恥ずかしくて仕方ない。


 彼氏がいたことがあると、キスの経験があると言っていたくせに本当は全て未経験だったなんて、揶揄われると思ったのに。


 茶化すどころか、彼女の瞳は先程に比べて確かに熱を帯びていた。


 「……なんかさらにしたくなった」

 「はあ!?」

 「上村さんのファーストキス奪いたい」

 「……うざ!」


 彼女を押し除けて、転がり落ちるようにソファから降りる。

 熱い瞳で見つめられて、どうしてか胸がドキドキと高鳴っていた。


 「なんでよ、けち!」

 「恋人でもないくせに簡単にファーストキス貰えると思わないでよ」

 「私だってファーストキスだからおあいこだもん」

 「別に来海のファーストキスとかいらないし」

 「……なんで意地悪ばっかり言うの!」


 ぷいっと顔を背けているが、その横顔もやはり可愛らしい。

 どんな状況でも、愛らしさの方が優ってしまうなんて、同性に対する感情としてはおかしいのだろうか。

 

 「キスってどういう時にしたくなるの?」


 その問いにすぐに返事が出来ない。

 雪美だって交際経験はもちろん、キスだって未経験なのだから分かるはずがないのだ。


 考え込んだ末に、愛読書である百合漫画で得た知識を引っ張り出す。


 「百合漫画だと、両思いになった時とか…あと、キュンってしたりドキドキしたときじゃないの」

 「上村さんは私にドキドキしない?」

 「しない」

 「即答?ひどいなあ」


 改めてソファに座り直すが、当然キスをする雰囲気はどこかへ行ってしまった。

 彼女もそれ以上ごねる事もなく、向こうから別の話題を提供してくれる。

 

 「受験生なのに良かったの?サボって」

 「午後の授業は受験科目じゃないし。どうせいつも自習してたから」

 「本当、要領いいね」

 「来海は?勉強いいの?」

 「私これでも学年一位だよ?」


 鼻にかけるわけでもなく、淡々と事実を述べている。

 学年一位なんてもっと誇っても良いだろうに、彼女にとっては特にアピールポイントでもないのだろう。


 「せっかくだから一緒に勉強しようよ」


 断る理由もなかったため、リュックから参考書を取り出して勉強を始める。

 彼女と隣同士で座りながら、応用問題を解いていた。



 

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