第三章 月影の修道院

第三章 月影の修道院 1

 カナンは、街を縦断する川によって東西二つの地区に分けられていた。

 西地区にはカナニア連邦政府本部、東地区にはリベル教会カナン支部が置かれ、魔力回収機構の本部は教会に寄り添うように建てられている。

 政府本部や教会の大部分が旧世界時代の廃墟を利用したものである一方で、機構本部は基礎部分からすべて新しく建築されたものだった。建物全体が高い塀に覆われているから、教会関係者以外の街の人間がその実態を知ることはない。

 門番の職員は、イザヤの名刺を見た後でその目を覗き込んだ。星屑の斑点を確認するのだ。

 無事に門を通過すると、異様な形の建物が姿を表す。漆喰の白壁を持つそれは放射状に広がる五つの棟から成っており、うち三つが独房、一つは管理事務棟、残る一つは手術室や医務室を備えた研究施設となっていた。

 イザヤのいた独房は、東棟。懲罰房は、北に延びる棟の一番端に位置していたはずだ。中央部には監視室があり、職員がすべての棟の廊下を見渡せるようになっていた。

 イザヤがこの構造を知ったのは、左目の交換手術を受けたときだった。懲罰房など他の場所への移動の際は、常に目隠しをされるのだ。

 上も下も側面も、すべてが白い漆喰で塗られている。魔石を通して見る美術品の美しさに強く惹かれたのは、この寒々しさが理由のひとつに違いなかった。ブーツのかかとが立てる硬質な音が、船酔いの治まっていないイザヤの頭に響く。

『こんなに早く戻ることになるとは思ってなかったんじゃないか?』

 周囲を気にするいつもの癖で、すぐに言葉を返すことができない。イザヤはちらりと目を上げただけの監視室の職員を横目に見ながら、「そうですね」と言った。

「新人の私を呼び戻すなんて、よほど人手不足なのでしょうか」

『タイミングと場所だろうな。任務を終えたばかりで、カナンに戻るのに二日かからない。そんな回収人が、おれたちの他にいなかったんだろうよ』

 モリス・リシャールの依頼をこなした後、イザヤは最寄りのリベル教会で二日を過ごした。疲れたから休みたいというエレミヤの願いを聞く形になったのだ。

 回収した魔石はすぐにハルピュイアに運ばせたが、エレミヤによる本部への報告は一日遅れることとなった。このことがなければ、リリアンのことを知らずに町を去ることになっていたかもしれない。

 ――エレミヤさんには、予感があったんだろうか。

 モリス付きの司祭経由で彼女の訃報を知らされたとき、イザヤの動揺とは裏腹に左目はじっとしたまま動くことはなかった。あまりに驚いたために反応できなかったのだろうか、とそのときは思ったが、その後のエレミヤの様子や言葉を知るにつけ、あらかじめ予測していたのではないかという考えは募るばかりだった。

 司祭はご丁寧にも、リリアンの遺体を前にしたモリスの言葉までイザヤに伝えた。

 ――悪魔だ。魔力はやはり、悪魔の力だ――

 ぎり、と奥歯を噛みしめたそのとき、目的の部屋の前に着いたことを知った。通り過ぎようとしたのを、エレミヤが止めたのだ。

『「会議室3」。忘れたのか?』

 答える代わりに、イザヤは扉をノックした。

「どうぞ」

 聞き覚えのある声に扉を開けると、独房四つ分ほどの空間が広がっていた。白い長椅子と長机の他には何も置かれておらず、採光用の窓が高い位置にあるのみの殺風景な部屋だ。

『こいつだったか。また会ったな』

 中で待っていたのは、イザヤが思った通りの人物だった。左目の交換手術をした、エレミヤ曰く「陰気な」職員。

「名乗っていなかったな。私はエリアス。主任研究員の一人だ」

「イザヤです。お久しぶりです」

 言ってから、ひと月という期間が久しいと言えるのかどうかを考える。エリアスは細面の顎を上げると、自身の向かい側の長椅子を指で示した。

「もう既に魔石を二個回収したそうだな。平均よりやや早いペースと言える。どうだ、回収人の仕事は」

 丸眼鏡の奥の灰色の瞳が、イザヤを捉えた。思いがけない質問に、視線がふらりと泳ぐ。

「そうですね。やりがいは、あります。ただ……」

「流れで聞いただけだ、真面目に考えなくていい」

 エリアスは投げやりな様子で手を振った。

「急いで戻ってもらって悪かった。二日以内でカナンに来られて、かつ体が空いている回収人がおまえくらいしかいなくてな」

 言いながら、机の上の資料を広げた。一枚は、カナン市の地図だ。

「これは会議が終わり次第破棄するから、よく覚えてくれよ」

「あの。一体、カナンで何が起こっているんですか? 港からここまで歩いた感じでは、ごく平和な様子に見えましたが」

「平和ねえ」エリアスが唇の片方を持ち上げる。「まあ、あわてるな。もう一人が来たら説明する」

『もう一人?』

 エレミヤが言ったのと同時に、扉が開いた。

「ちょうど来たな。座ってくれ」

 エリアスの言葉に笑顔を見せたのは、イザヤと同じように黒いマントに身を包んだ青年だった。栗色の髪を長い三つ編みにして後ろに垂らしている。

 両目には、当然のように星屑の斑点があった。右は、深い緑。左目は、目の覚めるような赤色だった。イザヤは初めて見る赤い瞳に思わず見入る。

「エリアスさん、お久しぶりです。こちらが例の?」

 イザヤの隣に腰かけながら、青年が尋ねる。

「ああ。イザヤ、これはザカリア。おまえの先輩だ」

「と言っても、まだ二年目だけど。よろしく、イザヤ」

 そう言って差し出された手を、イザヤはぎこちなく握り返した。

「フロレンティアの件、聞いたよ。ちょっと残念な最後だったね。まあ、割りによくあることだけど」

「よくある?」

 思わず繰り返したイザヤに、ザカリアは少し目を丸くした。

「そうだよ。人が魔力に取り憑かれて傀儡魔と化すと、普段のその人では考えられないような行動を起こすわけだろう? 道徳的な人間であればあるほど、自分のしたことに耐えきれず命を絶とうとしても不思議じゃない。それに、善人ほど傀儡魔になりやすいことは、君も知ってるだろう?」

「善人、ですか?」

 思いがけない言葉に眉を寄せる。すると、エリアスが咳払いをした。

「仕事の話をしたいんだが」

 ザカリアが申し訳なさそうに頭をかく。

「すみません。進めてください」

「われわれが事件のことを知ったのは、三日前のことだ」

 エリアスは机の上の地図を二人のほうへと向けた。地図上には、赤い×印が十箇所ほど記されていた。

「この×印が今回の――おそらく被害者、の家だ」

「被害者?」

 ザカリアが顔を上げると、エリアスは嘆息した。

「目覚めないんだ。ずっと眠り続けている。一番長い者で、もうすぐ二週間になる」

「眠っているんですか? 死んでいるのではなく?」

「生きている。食事も排泄もせず、痩せることもなく、ずっと姿を保ったまま眠っているとのことだ。被害者の共通点は、若い男であること。まずは実際に行って確認してみてくれ。話は通してある」

 なるほど、とイザヤは地図を見つめた。明らかに魔力が原因だ。

 眠り続ける若い男――と言えば、思いつく主題はひとつしかない。が、イザヤはそれを口にはせず、地図を指差した。

「×印があるのは、東地区だけなんですね」

「そうだ。傀儡魔も東地区にいるものだと考えられる。アトリビュートを特定して、早急に魔力を回収してくれ」

「しかし、なぜ二人なんです?」

 ザカリアが首をかしげる。

「主題はもうわかっているようなものです。被害者は全員、若く美しい男なのでしょう?」

「美しいとは言っていない。私は実際に見たわけではないからな」

 エリアスは表情を変えずに続ける。

「今回の任務を君たち二人にやってもらう理由は、被害者の多さから傀儡魔が一人ではない可能性が考えられるからだ。それ以上に、早急な解決が望まれる。東地区の住民が、被害の拡大と発覚を恐れている」

「もう発覚しているじゃないですか」

「被害者の周辺以外でこの件を把握しているのは、教会とわれわれだけだ」

 エリアスがザカリアに答えて言った。

「東地区の富裕層、特に豪商らは、取引に影響が出ることを恐れている。何より、カナンで傀儡魔が大規模な事件を引き起こしたとなれば、機構の体面にも関わる」

「お膝元ですからねえ」

 ザカリアがうなずく。エリアスはイザヤを見て言った。

「いい機会だ、ザカリアからいろいろ学ぶといい。二年目ながら、彼はとても優秀な回収人だ」

「はい。よろしくお願いします、ザカリアさん」

 頭を下げると同時に、エレミヤの舌打ちが響く。何を不貞腐れているのだろう。

「いやあ、はっきり言われると照れますね」

 そう言って目を細めたザカリアの顔は、イザヤの気負いを心地よくほぐした。

 しっかりと目を合わせてくれるという点においてはモリスやジョットも同じだったが、その態度や言葉遣いの中には、目の前の稀人に対して境界線を引くようなよそよそしさも含まれていた。だがザカリアにはそれがない。同族意識、と言うのだろうか。あくまでも管理、研究の対象としてイザヤを見るエリアス――普通の人間――とはまったく違う、何の色味もない純粋な視線。

 被害者の名前と家の場所を覚えた後、二人は部屋を出た。白い廊下を歩き出すと、ザカリアが親しげな調子で言った。

「君の目、いいね。猫みたいだ」

「猫?」

「そう。顔もどことなく、猫っぽいし」

「猫、ですか。初めて言われました」

「そうだろう。稀人を好んで観察する人間はいないからね」

 あくまで笑顔で言うザカリアに、イザヤは妙な頼もしさを感じた。

「ザカリアさんの左目――赤い目、というのは珍しいですね」

「美しいだろう? 右目の色との取り合わせが気に入っているんだ」

 言いながら、二つの目を改めてイザヤに向ける。そうして、突然「ふふ」と笑った。

「彼も褒められてご満悦のようだよ」

 自分にエレミヤという「目」がいるように、ザカリアにも赤い瞳の「目」がついている。「彼」が何を言ったのかわからないが、ザカリアと似た気質の人物なのではないかとイザヤは思った。

「ところで、君の魔石の主題は何なの?」

 中央の監視室に近づいたところでそう問われ、イザヤは口ごもった。中にいる職員の視線以上に、ザカリアにどう思われるかということが気になったのだ。

「ユダ、です」

 ためらいがちに答える。すると、それまで淀みのなかったザカリアの言葉に一瞬の乱れが生じた。

「――へえ!」

 遠慮のない声を出した後、ザカリアは声を抑えるようにして笑い出した。

「それは、面白いな。すごく、面白い」

「どういう意味ですか」

「ああ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。気に障ったなら、謝るよ」

 思わずむっとしたイザヤを前に、ザカリアは尚もおかしそうに体を波打たせた。

「だって、僕の魔石は……ああ、これはお楽しみのほうがいいかな。時が来ればわかるだろうしね」

 そう言うと、ザカリアはにっこりと微笑んだ。

「イスカリオテのユダ。実に頼もしいよ。二人で力を合わせて、無事に任務を完了させよう」

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