第329話

 「フィリップ君はさ、ちょっと怖がりさんだよね」


 旅程通り、昼前に村を出たフィリップたち。

 王都に向かう乗合馬車に揺られていると、エレナがふとそんなことを口にした。


 恐怖すべき場所で恐怖できない自覚はあっても、まさか恐怖に駆られやすいとは自認していないフィリップは、怪訝そうに正面に座ったエレナを見返す。


 キャラバン型の馬車にはフィリップたち三人の他に、王都に作物を卸しにいく農家の人が二人いたが、山盛りの荷物で一行とは隔てられていた。荷物の壁の向こうからかすかに話し声が聞こえるが、内容までは分からない。

 ということは、こちらの話し声も向こうには明瞭ではないはずだ。


 「……そうかな? 初めて言われたけど」


 或いはルキアやステラにもそう思われているのかもしれないけれど、少なくとも面と向かって言われたのは初めてだった。


 「だって、ただの野菜泥棒だって分かったのに、あんなにしつこく疑うんだもん。……そりゃ、経験的に怖くなっちゃうのは分かるけど、怖がりすぎだと思うな」


 フィリップは第二の意見を求めて、自分を膝に抱いているミナを見上げる。

 しかし彼女は二人の会話には興味がないようで、馬車の外を流れていく景色を見ている。話を聞いていた様子も全くない。


 「……いや、まあ、確かに、怖がりなのかもね」


 怖がりすぎ、というか、フィリップの抱く恐怖の全ては不必要な恐怖心だとは分かっている。

 誰が死のうが何が損なわれようが、本質的には無意味だと知っているから。


 フィリップの答えは、同意とは呼べない。意が同じではないのだから。だからその頷きはただの相槌だったが、エレナはお化けを怖がる子供を宥めるように、自信たっぷりに言う。


 「僕もそこそこ……あなたが生きてきたより長い時間、冒険してきたけれど……あんなのに出遭ったのは、あの一回きり。あんなの、この世界にはいちゃいけない、いるはずがないヤツなんだから。きっと、もう二度と遭うことはないよ」

 「……ははっ」


 フィリップは軽く、軽口でも聞いたように笑った。

 なんて楽観的で──視座の低い考え方なんだ、と。


 何かがこの世界に居てはいけないモノかどうかなんて、誰にも決められない。三次元世界を自由自在に操れる外神だって、本質的には泡に同じなのだから。フィリップもエレナも、旧支配者も外神も、その存在を担保しているものは何もない。強いて言うなら、幸運、だろうか。


 この世界は、ただの幸運ゆえに存続している。


 ただそれでも、存在の格差、単純な強さなんかを考えて。関係性が一方的であるかどうかを勘案して。存在の是非を決定する権利があるのは、どう考えてもエレナなんかではない。

 ついでに言うと、どちらかと言えば、いるはずがないのはエレナの方だ。広大な宇宙の片隅で──異種異形の犇めく星々の中で、地球という小さな星が木端微塵になっていないだけラッキーなのだから。


 「そういう意味で言ったのなら、間違えてるのはエレナの方だよ。僕は確かに、エルフにしてみれば赤ちゃんみたいな年齢かもしれないけれど、既に──」


 フィリップは指折り、人類領域外の存在と遭遇した例を数える。

 まず王都に来たあの日に幾千万……個体数じゃなく、回数で数えるべきか。クトゥグアとヤマンソとハスターも、まぁ自分から呼んだみたいなものなのでノーカウントだとして。


 王都地下のカルト共のせいで一回、田舎の森に棲み着いていた劣等種で二回、地下ダンジョンで遭遇したアイホートの雛で三回……ナイアーラトテップの試験空間にいた奴らとか、ディアボリカが連れていた土星の猫は省くべきか? じゃあショゴスやサイメイギも……サイメイギは体液入りワインだけだったが、これも省くとして。あとはエルフの集落の地下にいたアトラク=ナクアの娘で四回。先日の猟犬で五回か。それに追われていたらしい次元をさまようものを、同時同列にカウントするのは微妙なところだけれど。


 「五回? 意外と少ないな?」


 体感的には、もう十回以上は神話生物に遭遇したような感覚なのだけれど──まぁ、無理もない。未だ出会ったことのない邪神やその眷属の情報も、全て頭の中に入っているのだし。記念すべき一回目の、最大にして最悪の遭遇の時点で、詰め込まれているのだし。


 「い、いや、多いと思うよ? その全部であんなのが出て、襲われたんだとしたら、いま生きてるのも奇跡なんじゃない?」


 フィリップが生きているのは、残念ながら奇跡ではない。勿論、フィリップが存在していることは、前述のとおり奇跡的、幸運によるものなのだけれど──その生存に関しては、ほぼ確約されている。と思う。ヨグ=ソトースのスタンスは今一つ判然としないものの。


 死にたいと思っても、死が救済であっても、死は許されない──生存が確定している。


 そんなことを考えたフィリップは、皮肉そうに口元を歪めた。


 「んー……まぁ、直接対決したのは蜘蛛くらいだから」


 ミナの助力があったことを見逃してもいいのなら、猟犬もそうか。それでも五回中二回だ。


 思えば、どのケースでも賢く立ち回ってきたような気がする。過去回想に自画自賛が混じるのはよくあることだし、辛口に採点してみても、やっぱり我ながら凄いという感想しか出てこない。


 「……いや、でもさ、そんなに遭ったんなら、流石にもう遭わないんじゃない?」


 どうだろう、とフィリップは首を傾げる。


 1パーセントの不運を引いてしまうバッドラックなら、次の1パーセントも引いてしまうような気がする。そして0.01パーセントを引くほどの不運なら、その不運ゆえに、次の1パーセント、0.0001パーセントでさえ引くのではないだろうか。


 「大丈夫だよ! ほら、フィリップ君、運いいし!」

 「カードゲームの話だよね。何なんだろうねアレ。確率の揺り戻しとかホントに存在するの? 殿下は有り得ないって言ってたけど」


 というか、ステラはフィリップの「1パーセントの連続理論」は前提が間違っていると言っていたけれど。しかし詳しいところまでは覚えていなかった。


 信頼感の弊害だ。「それは違うぞ」と言われたとき、「どうして?」と疑問を持つのではなく「そうなんだ」とすんなり納得してしまうから、その後の説明の扱いがぞんざいになる。


 「ミナ、分かる?」

 「? 何が?」


 やっぱり聞いてなかった、とエレナとフィリップは苦笑を交わし、もう一度説明する。

 ほぼダメ元で聞いたフィリップだったが、ミナは意外にも「当然、意思決定点……観測時点によって事象の発生確率は見かけ上、変化するでしょう?」と、不思議そうに──どうしてそんな単純なことを訊くのだろうと言いたげに、端的に答えた。


 どういうこと? と明記された顔の二人に呆れ笑いを零し、ミナは空中に魔力の軌跡を残す指文字を描いて説明する。何気なくやっているが、そこそこ難しい技術だ。フィリップは真似しようとしても10回に1,2回しか成功しないし、不明瞭ですぐに消える。


 しかしミナの描いた樹形図は、馬車の中の虚空に淡い光を投げるほど明瞭だった。


 「賽子を三回、順番に振るとして……振る前に一の目が三回連続で出る可能性を考えたら、確率は幾つ?」

 「216分の1……あ、そうだ、思い出した! 殿下にも同じこと言われた!」


 六面ダイスのダイスロールを三回試行する、3D6で3が出る確率は、約0.46パーセント。

 ダイスロールをする前に考えた場合、その計算は正しい。


 しかし、既に二回の試行を終えて二回ともで一の目を出した後、最終一回のダイスロールでも一の目が出る確率は、つまり、ダイスロール一回で一の目が出る確率そのものだ。即ち、約17パーセント。


 すでに起こった事象は、現在時点における何かの事象が生じる確率を、直接変動せしめるものではない。


 1パーセントの不運が重なる確率は、何度状況を重ねても、その時点に於いては1パーセントでしかない。二度目の不運を引く確率が0.01パーセントにはならない。

 つまり──1パーセントを引いてしまうだけの不運があれば、不運は何度でも重なり得るということだ。


 そしてフィリップの不運が如何ほどかなんて、今更論じるまでもない。王都に来たその日にカルトに拉致されて、外神たちの前に引きずり出される以上の不運があれば教えて欲しいものだ。


 それはともかく。

 特大の不運を経験していようと、不運が重なっていようと、次の機会に不運に見舞われる確率は、全く変わらないということだ。


 「……でも、まぁ、エレナの言ってることも分かるよ。確かに、そうホイホイ連中に遭うはずもないよね」


 神話生物、フィリップが言うところの人類領域外の存在は、文字通り、に棲むモノたちだ。

 地下深く、密林の奥、火山地帯、氷河、果ては宇宙空間までも。およそ人類の手が届かず、足の伸びないところに棲んでいるからこそ、人類はこの星の覇者のような顔をしていられる。


 しかし、人類史が始まって幾千年、人類の大半は未だに奴らを知らず、無知の闇の中で幸せに生きている。……ということはつまり、奴らとの遭遇は相当なレアケースだということ。


 まぁフィリップのように奴らの存在を知る人間が極めて少ないから、案外気付かれていないだけかもしれないけれど。

 でもそれは、気付かない程度の接触しかなかったということだ。

 

 ……確率の話に則るのなら、これまで不運だったからといって、1パーセントを引く確率が上がることはない。0.001パーセントを引くほど不運だったとしても、次の1パーセントを引く可能性は、やっぱり1パーセントしかないのだ。


 「これからボクたちで沢山冒険するんだから、あんまり悲観的にならないでよね! それに、ボクも姉さまもいるんだから、何が出てきても大丈夫! あの蜘蛛だって、もっと簡単にやっつけちゃえるよ!」


 拳を握って頼もしいことを言うエレナ。彼女の言葉には自分自身の強さと、それ以上の強さを持つミナへの信頼がある。


 フィリップとしても、ティンダロスの猟犬に対して優勢だったミナがいるのなら、じゃあ何に負けるんだとは思える。尤も、発狂リスクや、戦闘技術ではどうにもならないレベルの邪神が出てきたら終わりなのだが──それこそ、遭遇確率は1パーセントを下回るだろう。


 「……うん、そうだね」


 実習が終わって、卒業してからも、きっとミナとエレナとは一緒にいる。一緒に、色々な冒険をするだろう。

 その終わりが不随意なもの、或いは上位意思の介在したものではなく、せめてフィリップが不満を垂れ流しながら貴族になるような、平穏なものであることを願おう。


──────────────────────────────────────


 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ13 『冒険実習』 ノーマルエンド


 技能成長:なし

 SAN値回復:通常1d6のSAN値を回復する。


 特記事項:最終シーンにおいて同行者『エレナ』の説得技能が一定値以下で成功した場合、人間性値を回復する。クリティカル時、状態異常『油断』を付与する。



 次回シナリオタイトルは『緑色の水底』です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る