第七一機甲旅団
第七一機甲旅団。
日本唯一の現役機甲師団である第七師団指揮下にある部隊だ。
正式採用されたばかりの九〇式戦車二〇〇両を装備する第七一戦車連隊を中心に編成されている。
採用されたばかりの九〇式が二〇〇両も揃えられたのは、日本の立場、アジアの武器工場という日本の役割が大きく役に立っていた。
アメリカ製の武器は高性能だが複雑だったり、整備がしにくい、運用コストがかかる等の問題があった。
また根本的にアメリカ本土とアジアが遠く緊急時は勿論、平時でも不具合に対応するのに時間と距離がありすぎる。
そのため比較的安価で運用しやすく距離的に近い上、アフターサービスが豊富な日本の武器が好まれた。
日本の商社も売り込んでいたし、アジアへの輸出を前提にしていた。
平和国家として武器輸出に反対する声も勿論ある。
だが、極東戦争で経済復興を果たし、輸出産業の一つになり、多くの雇用を生み出している現状では輸出禁止など出来ない。
かくして多くの兵器が日本から輸出された。
それに伴い防衛産業の生産規模も大きくなった。
八九式小銃など良い例で自衛隊及び国防軍の総兵力に相当する六〇万挺を一年で製造しその年の内に全部隊が更新に成功。
そして予備役用の保管兵器の更新が始まると共に、生産前から商社が営業活動を行いアジア各国へ売り込んだ。
いくつかの国で販売契約を結び、国内調達分製造後も生産規模を維持し、アジアへ輸出していた。
九〇式戦車も同様で中華民国、台湾、タイへの輸出が決まっており、他数カ国と契約が結ばれつつある。
以上の状況から年間三〇〇両が生産される予定だった。
だが湾岸戦争の勃発により日本の派兵が急遽決定。
まとまった九〇式が急いで、最低でも連隊用に二〇〇両が必要になった。
富士教導団、恵庭機甲教導団の訓練車両はもちろん、輸出用の車両さえ、違約金を払ってかき集め、七一戦車連隊が七四式戦車から九〇式戦車に更新された。
他にも他の部隊、自走砲や機械化歩兵、後方部隊が主に御殿場の教導団、恵庭の機甲教導団から編入されて機甲旅団を編成していた。
彼らは、旅団指揮官である須加が眺めている知多型大型高速輸送艦で運ばれてきた。
知多型大型高速輸送艦について
https://kakuyomu.jp/works/16816927862107243640/episodes/16818093092226838557
彼女は戦車などの重車両を含め七百両以上の車両を搭載して三〇ノットのスピードで運んでくれる。
もしこの船がいなければ、部隊は作戦に間に合わなかった。
いや、そもそも日本が派兵できたかも怪しい。
それだけ重要な船だ。
下ろされたスロープから続々と下ろされる車両を見て須加はその思いを強める。
即応のために大型輸送機ルスランをロシアからレンタルしてきて運び込んでいた。
ソ連崩壊で外貨を獲得しなければならないロシアが半ば強引にねじ込んできたものだ。
日本は半ば援助のつもりで受け入れた。
だがルスラーンとそれを上回るムリヤの性能、九〇式を空輸できる能力に驚いた日本はロシアからレンタル、あるいは購入するべきだという声が上がっており、後に実現する。
さすがに速度は速くても輸送コストが高すぎるので船の代用は出来ない。
だが、船では不可能な速度で重装備を輸送できる点で、必要な装備であり最大限に活用していた。
以上の理由により、日本の部隊は急速に装備を調えつつあった。
須賀の部隊も集結予定地への移動も順調だった。
問題だったのは実弾訓練だった。
実は、自衛隊のほとんどの者が実弾を、最大射程で撃っていない。
交戦距離が長くなった結果、日本の演習場では安全な距離を確保することが不可能になってしまったからだ。
最大射程による訓練はアメリカの演習場で行われていた。
だが九〇式は配備されたばかりで、導入試験に参加した者を除いて、大半の者は最大射程での射撃を行っている余裕はなかった。
幸い砂漠地帯が多く、演習地が確保できるサウジ現地で、現地気候順応もかねて行うことが出来、練度を確保する事が出来た。
「問題は無いな」
一ヶ月後の地上戦まで時間があると須加は安堵していた。
しかし、伝令が駆け込んできて予定変更を知らされた。
「各指揮官を呼び出してくれ。直ちに北上する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます