米軍の狙い

「敵機左舷より襲来! 低空です!」

「取り舵一杯!」


 大和の艦橋で艦長である森下は命じた。

 上空から直衛機が消えたため敵機の襲来が多くなった。

 だが、今のところ大きな被害は確認されていない。

 元々、回避運動の専門家、指導者として艦隊の航海参謀を拝命していただけに、森下の回避運動は見事だ。

 実際、大和は一発も被弾していない。他の艦も一発か二発受けるか、至近弾を受けていたが無事だった。

 だが、回避以外にも大和達が無事である理由はあった。


「敵機、魚雷を投下せず上空を通過します」

「また攻撃してこないな」


 午後に入り、敵の攻撃機が爆弾魚雷を放ってくる回数が明らかに減った。

 時折、本物の魚雷や爆弾を放ってくることもあるが、攻撃後も再び攻撃態勢を見せる航空機が多い。


「連中、何をしたいんだ」

「回避行動を強要しているのだろう」


 森下の呟きに長官席に座っていた伊藤が答えた。


「我が艦隊に回避行動を取らせたいのですか?」

「そうだ。回避で燃料を消費させる気なのだろう」

「確かに、燃料が足りなくなりそうです」


 昨日の内に給油は済ませていたが、こうも回避が多いと日本までの帰還分の燃料が足りなくなりそうだ。

 大和は、設計段階で過大に燃料を搭載した結果、航続距離が異常に長くなってしまっている。

 とはいえ、他の艦、特に燃料タンクの小さく航続距離が短い駆逐艦に分けてやる必要がある。

 給油艦が健在とはいえ、燃料を無駄には出来ない。


「同時に回避を強いることで我々の陣形を乱すのが目的だろう」

「確かに我が部隊は酷い乱れようです」


 度重なる敵の航空隊の攻撃によって、第一部隊各艦の配置が乱れている。

 予め定めた位置にいる艦は皆無と言って良い。


「まともに防空弾幕を張ることも出来ません。個艦防御がせいぜいです」


 艦隊が定位置にいることで三式弾での遠距離弾幕射撃や、高角砲による弾幕で相互支援が行える。

 しかし、陣形が乱れては機能しない。


「このままでは空襲の被害が大きくなります」

「それもあるだろうが、敵はもう一つ狙っているだろう」


 伊藤は言葉を選びながら言った。

 知将と呼ばれるだけの知性を持っており、自分の考えを確かめるように、慎重に話していく。


「狙いでありますか?」

「ああ、間もなく日が沈み夜になる。敵艦隊は我々に近づいている」

「まさか」

「そうだ。米軍は夜戦を仕掛ける気だ」

「ですが、我々の方が夜戦では上です」


 ソロモン海の戦いで最終的に戦力差が大きくなり撤退したが、個々の戦いでは勝っている。

 森下も軽巡川内、次いで戦艦榛名を率いてソロモン、インド洋と戦ったが、夜戦に遅れを取ることはなかった。

 レーダーが登場したときは拙かったが、やがて逆探を装備し、戦術を改良すると、勝率は元に戻った。

 無理な戦いを強いられなかったことも大きいが、夜戦では無敵という思いが森下には強い。


「だが、これだけ陣形が乱れた状態では、敵味方識別も容易ではない」

「はい」


 伊藤の言葉に森下は渋々同意した。

 敵味方の識別が出来ない状態では碌に戦えない。

 下手をすれば同士討ちだ。


「敵は、此方の混乱に乗じてやってくるだろう」

「長官! 第一機動艦隊司令部より命令です。第二艦隊は敵の夜戦に警戒せよ。東経一四六度のラインを境に警戒線となし敵艦隊の接近を阻め。残存艦艇は東経一四六度以西へ撤退せよ。」

「司令部も同じ考えのようだな」


 東経を基準にラインを敷き、東側と西側で敵味方を判断するのは良いことだ。

 ただ、この混乱の中、伝達できるかどうか。

 また空襲が激しく度重なる転舵により、位置を見失った艦艇も多くいるはず。

 いくらかの艦が到達できず誤認され沈むだろう。

 それも織り込んで命じているのだ。

 苛烈な指揮はまさしく人殺し多聞丸と言えるが、最悪の状況だけに心強くも感じる。


「僚艦の位置を把握できているか」

「混乱が酷く無理です。第一戦隊の武蔵、長門も見失っています」

「そうか」


 伊藤はそれ以上の事は言わなかった。

 これだけの混乱では、味方の位置、最大の戦艦である大和型であっても位置さえ把握できないのは致し方のない事だ。


「指揮下の艦にはできる限り集合するよう伝えろ」

「はいっ」


 伊藤は、了解すると計算を始めた。今の指示でどれくらいの味方が助かるか。何隻の味方が失われるか、と。

 翌日の護衛の為に、船団を日本に帰すために必要な戦力が確保できるか艦隊司令官としての冷徹な計算を行った。

 西の空に日が消え去りつつあった。

 洋上の視界は急速に悪くなっていく。

 卓越した夜間見張り員でも敵味方を識別するのは難しいだろう。

 急速に東の空に闇が広がる。

 そこから魔物が出てきそうな気配に、伊藤は背筋が震えた。


「敵機接近!」

「もうすぐ日没だぞ! 空母に帰れなくてもいいのか」


 森下が敵機に向かって叫ぶが、敵機は構わず魚雷を投下した。

 慌てて回避する。

 日没前に陣形の再編、最低でも僚艦の位置を把握したいが、それすらアメリカ側は許す気は無いらしい。

 海上への不時着覚悟か、危険な夜間着艦が出来る位の腕を持っているのだろう。

 いや、必ずしも無事に着艦出来る保証はない。それを承知で出撃し雷撃まで果たすとは見上げたパイロットであり、兵士をよく戦わせる指揮官だ。


「全く、戦いにくい戦い方を強いてくるな、レイモンド」


 かつてワシントンで親交を深めた、敵の司令長官の名前を伊藤は呟いた。


 その時、一際大きな爆発音が響いた。

 何処かの艦が被弾したようだ。


「どの艦がやられた」


 珍しくはないが、当たった艦が悪すぎた。


「長官! 信濃が!」


 見張りの報告で伊藤が信濃に目を向けると信濃の船体中央部から煙が上がっていた。

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