撤退不能
「ご苦労」
戻ってきた佐久田の報告を聞いて、山口はねぎらった。
指揮系統が違うし権限もない。
だが牟田口一人ならともかく、三個師団、十万の兵力を無為に残していく訳にはいかなかった。
「我々だけで撤退するか?」
「ダメです。兵力の分散になります」
第一機動艦隊がマリアナから離れれば、マリアナ各島に残された部隊が米軍の攻撃を受けることになる。
沖合にいる彼らを運んできた船団も撃滅されてしまい、撤退どころではなくなる。
「それに、残った兵士を収容する船も失ってしまいます。戻るなら、全ての船がひとかたまりになって撤退するべきです」
「だな」
山口は溜息を吐くしか無かった。
「その撤退も危うい」
「どういうことですか?」
「日吉が何が何でもマリアナを必ず落とせと言ってきた」
去年六月のマリアナ失陥と今年三月の帝都空襲で連合艦隊は面目を失っており、なんとしても奪回する必要があっった。
だから豊田は無理を承知で、いや、攻撃を続行し、奪回しなければならなかった。
「撤退は無理だ。余程の事が起きない限り、退くことは出来ない」
「敵機動部隊はどうするのですか」
マリアナに執着して敵の反撃を受けたらどうするのだろうか。
本土を空襲した敵機動部隊ならば、補給を終えたら数日の内にマリアナへ来襲することも可能。マリアナを支援するどころではない。
連合艦隊は、どのように対処すべきか訓令を出すべきだ。
実際に訓令を出しているが、佐久田の予想通り、現実と戦理を無視した訓令だった。
「第一機動艦隊は直ちに反転して敵機動部隊を攻撃し、マリアナへ上陸した部隊がマリアナを落とせ、それが連合艦隊の作戦だ」
「兵力の分散ですね」
呆れるように佐久田は言った。
熱海と横須賀で行った兵棋演習と同じ経過をたどっている。
反転北上して、敵機動部隊を取り逃がし、マリアナの船団を攻撃されかねない。
一応、演習の結果は山口にも連合艦隊にも伝えていたが、正面から受け止めていたのは山口だけだ。
「分かっている。それに連合艦隊も敵の空襲とやって来た敵艦隊迎撃で忙しいようだ。反撃部隊を編成している」
「そんな兵力があるのですか? 空襲でやられているのでは?」
「海軍の部隊、正確には横須賀鎮守府の部隊は何故か被害が少なかったようだしな。昨夜の内に、富士や関東山地を越えて退避して攻撃機が無事だそうだ。関東北部を中心に戦闘機隊も健在だ」
昨夜の内に佐久田が鎮守府指揮下の各航空隊に命じて稼働可能な機体には、で一時退避を命じていた。
関東周辺の静浜や鈴鹿、小松、三沢などに遠距離飛行訓練および整備完了後のテスト飛行名目で攻撃機、爆撃機は勿論、偵察機や練習機も飛ばし、避難させた。
お陰で機体自体に損害は少ない。
だが、戦力が温存された分、反撃できると喜んだ日吉を血気盛んにしてしまったようだ
「日吉は一戦しようという意気込みだが、横須賀の塚原大将は下手に攻撃しない方が損害が少ない、関東周辺の航空基地が壊滅しており、支援能力なし、と反対していて日吉と怒鳴り合っているようだ」
せっかく温存した部下を連合艦隊に差し出す、それも自分たちの警告を無視して大損害を出した連中に渡して犬死にさせる気など無いだろう。
「さぞかし、激しい舌戦を繰り広げているでしょうね」
連合艦隊の豊田長官も、横須賀鎮守府の塚原長官も互いに我の強い者同士だ。
豊田大将の方が期も上だし昇進も早かったが、塚原大将もこれまで航空部隊を引っ張ってきた豪傑であり一歩も退かないだろう。
鎮守府は海軍の地方組織だが、組織的には連合艦隊に並ぶ組織だ。
そして本土防衛の任を鎮守府は担っている。
だが、敵の迎撃は連合艦隊の任務であり、敵艦隊の本土攻撃を受けた場合、任務がかち合ってしまい、このように互いにいがみ合ってしまう。
このような場合、軍令部の指揮、調整を受けることになっているが、空襲の混乱で暫くは統制がとれないだろう。
間近で観戦しなくて済んだことに、その後の板挟みにされずに済んだことを佐久田は感謝した。
「暫くは、我々が独自に動くことになるだろう」
上の指揮命令が届かない艦隊は独自に判断、行動する事を求められる。
今の第一機動艦隊は、その状況だった。
しかし山口は既に腹を決めていた。
「我々は上陸部隊を含め撤退準備を進める」
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