佐久田の出張

「今、出張ですか」


 緊急事態が迫っているのに司令部を離れようとする佐久田に若手参謀は驚いている。

 だが、佐久田はアッサリと答えた。


「ここにいても出来る事はもうない。何とか出来そうな所へ行く」

「大丈夫なんですか? 出張の理由はどうします。まさか奇襲を受けそう、作戦が失敗するかもしれないと言うわけにはいかないでしょう」


 海軍的な率直な物言いで若手参謀は尋ねた。


「鎮守府所属艦の様子を見に、補給の打ち合わせの為に行く、とすれば大丈夫だ」


 一寸した悪巧みだが、自分がそんな姑息な真似をすることになるとは、と思うと佐久田は溜息が出る。

 しかし、他に方法がないため、実行するしかない。


「もしも空襲があったら」


 参謀が不安そうに言うが、佐久田は簡潔に、あるいは開き直ったように言った。


「今書いた計画通りに動けば大丈夫だ。というかそれ以上の事など出来ない」

「空襲がなかったら?」

「その時は俺が笑われるだけだ。まあ、笑いものになるならいいよ」


 佐久田は肩を竦めながらいった。


「数十隻の艦船と数千の将兵が、数万の上陸部隊が死ぬことに比べれば、俺一人の面子などとるに足らない」


 佐久田は、参謀室を出ると、すぐに出張の許可を参謀長にもらいに行った。


「いいだろう、すぐに出張しろ」


 参謀長室に行き申請するとアッサリと許可が下りた。


「許して貰えるのですか」


 意外な事に佐久田は驚き思わず問い返した。

 止められる可能性が高いと思って色々と言い訳を考えていたのだが、こうもアッサリと認められたらむしろ驚く。

 その理由を参謀長は笑いながら、だが目は睨み付けるよう佐久田に理由を説明した。


「軍令部や連合艦隊から貴様への抗議の連絡が来ている。あんな演習結果を出して不安を煽るなと」

「演習の結果は事実です」

「まあ、それはまだ良い。だが参謀本部でも動いていたようだな。共同作戦を中止にするべきだと、マリアナから撤退するべきだと言っていたことに参謀本部から抗議が来ている。海軍は軟弱なのだなと」


 参謀本部での話を誰かに聞かれたのだろう。

 流石に時間が無くて廊下や会議室の一角で話すことになったが、どこからか洩れたのだ。

 佐久田も陸軍には多少、顔が利くし、前線で無茶、陸軍との作戦を破綻させた前科がある。

 共同作戦で無謀な進撃を行う陸軍を止めた事が中国戦線で多かった。

 結果人員の損害は少なかったが陸軍の恨みを買った。

 ソロモンでは、撤退作戦の調整を行ったため、逃げ帰ること、迅速に撤退する為に、なけなしの装備や物資を置いて帰るよう佐久田に言われて、恨んでいる者が多い。

 予算不足でようやく手に入れた物品を残して撤退など非常に不愉快だからだ。

 しかもせっかく手に入れた占領地を手放すなど、不愉快だった。

 そうした連中は陸軍中央部に多く、佐久田の動きを警戒していたし、言動を監視していた。


「非国民だとか、帝国軍人精神が足りないといって、抗議している人間は多い。軍令部や連合艦隊司令部の中にも貴様の排除に同調している人間がいる」

「馬鹿はどこにでもいますね」

「狙われているのは、お前なんだぞ。身の危険を感じろ」

「殺されますか?」

「実際、右翼や青年将校の中には佐久田を斬るべし、という声が上がっている。連中なら実際やりかねない」


 戦争前、血盟団という右翼のテロ組織が国のためにならないと判断した人間、政府高官や実業家を暗殺した事件が立て続けに起きている。

 戦争が始まってからはなりを潜めているが、また動き出さないとも限らない。


「私は事実を言ったまでですが」

「知っている。だがある種の馬鹿は、自分の理想、夢想と違うことを言う人間が害悪だと考え、殺意を抱くことがある」

「どうしようもありませんな」


 海大での論文のせいで左遷され、シナ事変で理解のない司令部から無理難題を押しつけられ、ソロモンで困難な撤退戦、日本軍に撤退はない、という馬鹿を相手にしただけに佐久田は理解できた。

 戦前の血盟団事件も知っており、非常に不味いことは分かっている。

 まさか、自分が標的になるとは思わなかったが。


「憲兵も動いているぞ。どうも怪しい人間達と会っているからな」


 ブレイントラストのメンバーと会合を重ねていることを憲兵にも気がつかれたようだ。

 これ以上は動きにくい、会合へ向かうのは困難だと佐久田は思った。


「ほとぼりが冷めるまで出張に行っていろ。好きなだけそこにいるんだ。こっちから呼び戻すまで帰ってくる必要はなし」

「剛毅ですね」

「長官がな、佐久田の好きにやらせろ、とおっしゃってな。この程度の事はしてやる。どうもあの人に貴様は好かれているようだな」

「ははは」


 佐久田は乾いた笑いを浮かべた。

 イマイチ、佐久田とノリが合わない人だが、こうして配慮して貰えると嬉しいが、戸惑う。


「まあ向こう、出張先から拒絶されるかもしれんがな。その時は硫黄島にでも行け。あそこも横須賀鎮守府の管轄だ。多少はやりやすいだろう。出張の目的は鎮守府所属艦艇の補給の打ち合わせという事にしておけ。何か言われたら鎮守府長官が言っていたといえ」

「良いのですか?」

「長官のご指示だ、命令と受け取っても構わない」

「ありがとうございます」


 長官からと聞いて微妙な笑みを佐久田は浮かべると敬礼して参謀長室をあとにした。

 ともあれ出張許可を得た佐久田は、海軍軍人らしく、予め用意しておいた最小限の荷物を持つと出張先へ飛び立った。

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