四式中戦車

「突入せよ!」


 戦車第二師団戦車第一〇連隊に所属する第一中隊中隊長内田大尉は、先頭の車両から身を乗り出して命じた。

 米軍の陣地へ突入するが幸い機関銃のみで対戦車兵器はない。


「一気に突破しろ!」


 四〇〇馬力のディーゼルエンジンを唸らせ重量三〇トンの車体を進ませる。

 時折反撃してくる陣地があるが、七五ミリ砲で撃退する。

 米軍は火力を集中させるが、装甲によって弾く。


「前進だ! 敵の陣地であろうと踏み越え乗り越え前進あるのみ!」


 第一中隊に配備された四式戦車一二両は、米軍の陣地を蹂躙し突破口を開く事に成功した。

 すぐに後続の歩兵が来て、陣地を制圧。

 確保に成功した。


「使えるな四式中戦車は」


 日本の戦車開発は、陸軍の支援能力と中国大陸のインフラ事情に左右されていた。

 戦車を何処で戦わせるかが問題だった。

 欧米は陸続きであり、戦車の輸送に使える道路や鉄道が整備されていた。

 しかし後進国である中国は道路事情が劣悪で、重車両が走れなかった。

 通れるように機材を用意するべきだったが、日本陸軍は熱心ではなく許容重量が一六トンまでの架橋資材しか持っていない。

 また港湾、特に荷揚げの為に使うクレーンの能力が低く一五トン以下に設定しなければならなかった。

 船に関しては戦標船で三〇トンのデリックが搭載されるようになったが、陸上のインフラと架橋機材が劣っていては戦闘どころか戦場に到達できない。

 また、周辺に日本に対抗できる戦車を開発し投入している国はなかった。

 事情が変わったのは、ノモンハン事件だった。

 ソ連軍との戦闘で自軍の戦車が劣っていることを理解した。

 戦いは初期こそ日本軍優勢だったが、戦線拡大を良しとしない日本がソ連国内への攻撃をためらいソ連軍の戦力増強を許し、競り負けた。

 特に戦車部隊で日本軍部隊が蹂躙され大損害を受けた。

 日本軍は善戦、弱点を攻撃したり対戦車地雷を使い粘り強く抵抗したが、負けた。

 ソ連軍の戦術と技量が稚拙であっても、戦車の性能は上だったし、数も多かった。

 手かせを嵌められて戦ったとは言え、いや制限があるからこそ手持ちの装備だけで戦闘を行い勝利しなければならない。

 下手に戦力を投入しすぎて戦線が拡大し、全面戦争になるのは阻止しなければならない。

 ノモンハン事件後、事態を重く見た日本陸軍はソ連戦車に対抗できる戦車の開発を始めた。

 紆余曲折あったが、日米開戦の頃には、まともな性能を持つ一式戦車が誕生した。

 生産は北山重工が行った事によって迅速に揃えられた。

 満州に生産拠点を置く北山にとって、満州の安定と防衛は重要であり、ソ連の侵攻から守る為にも戦車の大量配備は必要だった。

 その後も満州向け、関東軍と満州国軍への戦車の製造と配備は続けられた。

 満州国内の想定される戦場が戦車使用に適していたこともあって、開発及び配備は順調だった。

 その後も戦車開発は続けられ三式中戦車が開発され、大量生産と実戦配備が行われる。

 戦車開発は加速し、それまでの経験を生かして四四年初頭に四式中戦車が完成し六月頃より部隊配備が始まった。

 だが、太平洋戦線、ソロモンへの戦車配備は遅れた。

 密林では戦車が機動できないし、船での輸送、特に小島への輸送が困難だった。

 しかし、日本軍も手をこまねいてはいなかった。

 直接浜辺に乗り上げ戦車を降ろす二等輸送艦および機動艇――米軍の戦車揚陸艦と似たような艦を開発、配備して輸送を可能とした。

 歩兵一個連隊を中心に戦車と砲兵からなる海上機動旅団を編成し機動艇一五隻で迅速に逆上陸もしくは輸送出来るよう配備され、他の部隊も海上移動出来るようにした。

 これにより、戦車部隊が南方への配備が開始される。

 フィリピンは特に重視され、精鋭の戦車第二師団及び海上機動第二旅団が配備された。

 だが、米軍が上陸したのはレイテだった。

 フィリピン防衛を担当する第一四方面軍司令官山下大将はルソン決戦を計画しており、レイテを見捨てる予定だった。

 と言うよりレイテは飛行場の建設が困難で戦場にならないと判断していた。

 しかし、マッカーサーが主力をレイテに上陸させた事を知り、日本側が航空優勢を確保出来ると確信。

 レイテでの決戦へ変更した。

 幸いにも逆上陸部隊を輸送するため機動艇を中心とした海上機動第二旅団も配備されており迅速な上陸輸送を可能としていた。

 そして、大本営から派遣された堀参謀の助言に従い、米機動部隊の空襲のない時、米空母群が交代した瞬間を狙い陸上戦力のレイテへの渡海に成功した。

 さらにシブヤン海海戦と翌日のサマール沖、レイテ沖と立て続けに日本艦隊との戦闘、第三艦隊の誘因により米軍の空襲が無くなり、海上輸送を成功させた。

 壊滅状態だった第一六師団に代わる精強な師団がルソンより多数派遣され25日夕方より総反撃を開始した。

 その先陣が戦車第十連隊の第一中隊だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る