角川食堂賞 『お二人様ではありません!』の感想
お二人様ではありません!
作者 藤咲 沙久
https://kakuyomu.jp/works/16816452219340233933
一人で食事をするのが好きな守谷と長谷川は、定食屋で偶然相席となり鯵フライ定食を食べ、これからも一緒に同席しながら一人食事を楽しむ約束をする物語。
本作は企画物で、『料理研究家リュウジ×角川食堂×カクヨム グルメ小説コンテスト 角川食堂賞』を取った作品。審査に際し、最も重要視した点は「いかに料理がおいしそうに描かれているか」「料理を注文した後、その料理の登場する小説を読みながら、いつ自分のもとへ届くのかとワクワクしてしまう物語を選んだ」とあります。
お二人様ではないということは、飲食店に入店したとき、一人できたのに並んでいた人と同じグループと思われてとっさに「一人です」と否定したのかしらん。そういう状況のお話なのだろうか。読んでみなければわからない。
二人ソロ飯。
コロナ禍の時代だからこそ、この発想が生まれたのだろう。
一人で食事しながら一緒に食べる相手がいれば、味も違うはず。
だから、二人が食べた定食は「鯵フライ定食」なのだ。
味と鯵をかけているに違いない。
主人公守谷の一人称の文体。現代ドラマである。ラジオドラマを彷彿させるような、人物描写や状況描写を最小限にし、主人公の心情や行動を自分語りしている。
女性神話の中心軌道で書かれている。自分が自身の本来の姿を認めることで何かへと変化する主人公。主人公が向き合うのは抑圧されている自分自身である。
守谷は昼休み、一人で食事することを信条としている。そこに長谷川さんと一緒に食事している噂が耳に入る。否定しつつ店に入ると長谷川さんと相席となってしまう。一人で食事する信条が崩れてしまうも、食べることに集中して意見の合う人に出会いことを互いに認めることで一人で食事するスタイルを失う。守谷は、長谷川と同席しながら一人食事するという新たな未来を手に入れる。
守谷は会社でデータの入力打ちをしている。その後、外食へと出かける。お弁当派ではないらしい。
彼女は、食事中の会話を良しとせず、食べることに集中したい考えの持ち主。(時代が私に追い付いた。世はお独り様時代、ソロ飯万歳)というのは、コロナ禍で黙食を推奨するようになったことを指していると思われる。
江戸時代、下働きの者たちは、間隔を開けて横に並び座り、食事中の私語は慎むよう言われていた。食事中に会話をしてはいけない時代もあったので、いままさに再ブレーク中なのかしらん。
「社員食堂は確かに安く済むものの、あそこは噂話と好奇心の坩堝るつぼ」とある。少なくとも、入社した頃は社員食堂を利用したことがあるのだろう。そこでの噂話についていけず、一人食事をするようになっていたのではと推測する。
ただ、いくら会社の周りに飲食店があるからといって、社員食堂は値段が手頃に押さえられている利点もある。コロナ禍で社員食堂も談笑できる場ではなくなったと思うので、その点を考慮して利用を検討してもいいのではと、考えてしまう。
それとも、コロナ禍は存在しない時代設定かもしれない。
「昭和風な定食屋の暖簾をふらりとくぐる」とある。
古い、昔ながらの、最近できたような小洒落た店やチェーン店ではない定食屋なのだろう。こういう店もコロナ禍の中で数々閉店したと聞く。
なので、こうした店が営業しているのはとても貴重だろう。
「ごめんなさいねぇ、今日はお客さん多くって。ちょうどお一人様同士、相席でもいいかい?」と店のおばちゃんが声をかけてきている。どんなおばちゃんなのかの描写はない。本作はそこに主題を置いていないからだ。
長谷川さんと相席になるも、そこで食べることになる。「だってもう、口が鯵フライになっているのだ」と彼女は胸の内でいっている。口そのものが鯵フライになっているという意味ではもちろんなくて、鯵フライを食べたいと口が欲していることを意味している。
こういう気持ちは、経験している人ならよく分かると思う。
カレーやラーメン、なんでもいいのだけれど、〇〇が食べたいと思うと、心も体も食べる準備に入る。
腸には脳に次ぐ多くの神経細胞が存在し、感情にも深くかかわっている。故に「第二の脳」といわれ、腸の不調は脳に反映され、脳に受けたストレスは腸に反映される。このネットワークを「腸脳相関」というのだけれども、それはともかく、彼女の体は鯵フライを求めているのだ。
それだけに、入店して違うものを食べるなど、断じてできるものではないのだ。
「じゅわり。歯が衣に沈み込む感触、少し後から遅れて染み出してくる鯵の旨味」と、鯵を口に入れた描写がされている。
なぜ一口目に、じゅわりが先にいているのか、もやっとした。
最初に歯に触れるのは、鯵フライの衣である。なので、「揚げたて特有の熱さを凌ごうと噛み方に強弱がつき、ざくっさくっと複数の音が鳴る」と、後から来るのが気になってしまう。
つまり、この定食の鯵フライは、揚げたてなのだけれども、カリッとしてないということ。揚げすぎると衣が固くなってしまうのだけれども、この鯵フライは揚げすぎてはいない。丁度いい具合の出来なのだ。
フライの油と鯵の脂が噛んだときに滲み出てきたのを「じゅわり」と表現しているのだろう。
熱と食感だけではなく「その度に油の香ばしさが鼻から抜けていった」とフライの香りまで表現している。なのに、鯵の旨味がどういうものだったのかが見当たらないので、書いていてほしかった。
梅ジソを間に挟んだ鯵フライもあるのだけれども、そういう描写はないので、普通の鯵フライなのだろう。
店のおばちゃんが「今日の鯵、すっごく美味しいからね」といっていたのは、売り言葉に買い言葉というものだったのかもしれない。すっごく美味しい理由はなにか気になってしまった。
「ここの鯵フライ定食は最高だ。味噌汁との相性も抜群。私はひたすら黙々と鯵を愛でた」
どう最高だったのだろう。通常の鯵より大きかったのか。衣にこだわりがあったのか。鯵に脂が乗っていたのか。
それとも、御飯と味噌汁、付け合せのほうれん草や漬物、定食としてのバランスが完璧に整った主役として鯵フライが存在している、そのことが最高なのかもしれない。
なぜなら、主人公は食べる前から「口が鯵フライになってい」たからだ。
体はもちろん心から食べたいと思ったものを食べることができたとき、人は初めて幸福を覚えるのではないだろうか。「食材への感謝から始まり、視覚嗅覚聴覚そして味覚すべてを使って味わい、食べる行為を堪能する」それこそ食事だと彼女は思って、これまで生きてきているのだ。私のような凡人にはわからない、食への情熱の裏打ちがあってこそ、「ここの鯵フライ定食は最高だ」の一言を引き出させたに違いない。
観光客らしきカップルが出ていくのをきっかけに後半、長谷川と守谷は語りだす。
「一瞬、私が口に出したのかと思った」この一言のおかげで、二人は対になっているのがよくわかる。これまで熱く一人食事の何たるかを力説していた主人公のおかげで、長谷川もそういう人間だと説明しなくても読者は理解できる。
短く書くのは簡単ではない。短編だからこそ枚数に限りがある。
そこの所を、作者はうまく書いていて素晴らしい。
守谷は、自分と同じ長谷川に「もし良ければまた一緒に……っ」と言葉をかけ、あれやこれやと考えた挙げ句、「ユニット活動というのはどうでしょう」と持ちかけているところが面白い。
一緒に仲良くご飯を食べるともちかければ、一人食事のスタイルを否定することになる。食卓を囲むのはいきなりすぎる。段階があるだろうし、そんなことをいったら相手が引く可能性がある。
そんなことを、数秒の間に彼女はあれこれ考えたに違いない。すばらしく、頭の回転が速い。
「ソロ活仲間ってなんだ」と読んだとき、『ふたりソロキャンプ』の漫画を思い出した。
守谷と長谷川は、ソロキャンプを楽しむ者同士並んで楽しむみたいに、一人食事を楽しむ者同士同席で食事を楽しむ約束をするのだ。 互いに要調整はないのに面白いと思える二人は、似た者同士である。
次回から食事をするとき、「お一人様二名でって言えばいいんでしょうか?」お店の人になんと告げるのかが話題になり、長谷川は吹き出し、守谷も笑っている。この会話がタイトルにつながっているのだ。
読み終わってタイトルを見る。お二人様ではないけど、相席でお願いしますというのかしらん。面倒くさいので、カウンター二席会いてますか、と尋ねればいいのではと思うのだけれども、それは彼女彼が決めることである。
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