第49話 輝きを受けながら
家に帰ると母親から電話が来た。
なにしろ生まれて初めての独り暮らしだ。いろいろと心配してくれた。もちろん、親には、
秋麺とパフェの両方とも
ほかにもメールとか
第一位美人の子からは「入社式だった。覚悟はしてたけど、つかれたー」という絵文字入りのメッセージが来ていた。そのメッセージが「灰色の社会人生活の始まりです」という書き込みに続いている。
でもな。
この子は、ネガティブで弱気なことを言っておいて、いざその場に立つとすごくポジティブにみんなを引っ張って行く子だった。だからだいじょうぶだろう。
塩パフェに打倒された第二位美人の子からは「いきなり研修でめっちゃ歩いた」、「なんで販売に就職したのに工場見学させられるの?」というメッセージだ。
あたりまえでしょ、そんなの?
ほかにも、入社式とか、なんかそういう儀式についての書き込みが多い。
そのかわり、ブラックバード事件とか、生徒会問題とか、上部先生が怒鳴ったとか、
八階の部屋のベランダから景子は
あのパフェを食べたにもかかわらず、喉からおなかにかけての「
今朝、ここを出るときには、帰って来たら自分でコーヒーを入れてベランダで飲む、ということを決めていた。自分で豆からコーヒーを入れるという経験は昨日が初めてで、今日はもうちょっとうまくやろうと思ったのだが。
この「灼ける」状態でコーヒーを飲んだらどうなるか予測がつかないので、やめた。
風が流れて行く。
四月の始まりの日というだけあって、まだ冷たい。
夜の箕部を眺めながら、思い出す。
東京の夜景がどんなのなのか、じつは景子は知らない。
景子が昨日の朝まで住んでいたのは都心の住宅街だった。
景子は「普通の街」だと思っていたけれど、そこが「高級住宅街」であることは高校のころに知った。高級さとは無縁の、木造の古い家だったけど。
そこの、二階建ての家で、二階に自分の部屋があった。
見えるのは、向かいの家と、隣の駐車場だけだ。景子の部屋の前で道が四五度に中途半端に曲がっていて、そのせいで、その両側の土地が台形になっていた。そこが駐車場になっていた。
その道を少し行くと坂で、その坂を上っていくと、それほど遠くもないところに超高層のビルがいくつも見えた。
超高層は夜になるとまばゆく輝いて見えたけれど。
そこは、とてもにぎやかな都会、夜になっても眠らない都会ではなかった。
夜になったらいっきに寂しくなってしまう街。いつも寂しさの感じが離れない街。それが景子の知っている東京だ。
では、ここはどうだろう?
ここは箕部の街の中心からすると少し離れたところらしい。しかも、景子の部屋は、ベランダも窓も、箕部の中心とは反対側だ。
近くの道路は車がひっきりなしに走っている。でも、その道路を外れると、あちこちにぽつんぽつんと白い明かりが見えるだけだ。歩いているひと、この夜の時間に犬の散歩をしているひとの姿も見える。家の窓に灯っている光は、白だけではなくて、もっと暖かい電球色もある。
ふしぎと寂しいとは感じなかった。
そのふしぎと寂しくない街のあちこちが白く浮き上がったように見えている。
「あ」
桜が咲いているんだ。
ここからもやはりかたまって咲いているところは見えない。いろいろなところに散らばっている。
あの、存在感はあるけど、何も語りかけてくれないきらびやかな超高層の群れと違って、この桜は、これからまた桜が咲くまでの一年間、大丈夫だよ、と景子を力づけてくれているようだ。
今日、自分の生まれたのと違う街での生活のスタートを切る景子を。
ここに住んで、東京と較べると圧倒的に本数の少ない電車で
セキュリティーを設計したICTの天才の
「とても怒りっぽい
生徒会の
制服のままハンドボールの練習をしていた生徒たちとか、あの高校北棟をざわめかせていた生徒たちとか、
そんなののまんなかに、毛受愛沙がいる。
これから三年間、愛沙がバトンの演技を見せてくれる。
生徒たちはみんな輝きを秘めているのだろう。まだ十代の少女なのだから。
なかでも、いちばん強い輝きを持っているのが、その毛受愛沙だ。
景子が十代だった時間は終わった。
自分ではない十代の少女の輝きを受けながら、景子は学校職員としての生活をスタートさせたのだ。
これからは、二十歳台の女として、その子たちの、十代後半を生きる少女たちの輝きを浴びて、景子の日常は続いて行くのだろう。
四月一日の夜風が景子の体を冷やさないうちに、景子はベランダから部屋のなかへと戻り、ベランダの戸を閉めた。
(おわり)
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