第32話 四月一日のラーメン

 愛沙あいさはもとの小声に戻る。

 「あの、知らないひとに何か店とメニューと勧められたら、まずスマホで確認しません?」

 景子けいこがこの店に来て勧められたとおりのメニューを注文してしまったことについて言っているのだろうか?

 スマホで確認したら、愛沙の言ったのがエイプリルフールだとわかり、この店に来て生姜しょうが醤油しょうゆラーメンなんか注文しなかったはずだ、ということだろうか?

 「それとも、景子さん、チャレンジメニューにチャレンジするのとか、好きなん……?」

 愛沙が途中で声を消え入らせる。

 景子は、愛沙には答えず、言われたとおりにスマホを出して

秋麺あきめん 生姜醤油ラーメン」

と検索のところに入れてみる。でも「秋麺」だけなら広い全国には同じ名まえの店があるかも知れないと思って、「泉ヶ原いずみがはら」のワードを追加した。

 「うわ」

 いろいろ出てきた。

 最初のほうはここのお店の公式ページとか、グルメサイトに載ったこのお店のページとかだが、その下を見ると。

「秋麺の生姜醤油ラーメンは究極のチャレンジメニュー」

とか

「一口でも口に入れれば異世界に逝ける衝撃の味」

とか

「世界の終わりに立ち会う勇気のある人限定!」

とか、

「これを征服できたらキミは勇者だ! いや、魔王だ!」

とか、

「試してみるなら、その前に次の日は休暇を申請しておくことをおすすめ」

とか、そんなのばっかり!

 「勇気のある人限定!」には

「私はやみつきになりました(ラーメンの絵文字)(幸福そうな絵文字)」

「万人向けとは言えんが、これはこれで良い」

「トッピングでしらがねぎ多めって言うと多めにくれるから(料金そのまま)、それで食べるとちょうど良い感じですよ」

とかいうコメントもついていたけど。

 あまり安易に注文するメニューではなかったらしい。

 でも、取り消すのもかっこうが悪い。逃げるようで体裁も悪い。それに、店のひとがもう調理にかかっていたら、迷惑をかけることになる。

 「チャレンジメニュー」は初めてではない。

 景子は、東京明珠めいしゅ女子実業専門学校の文化祭で「塩パフェ」というのを作って自分で食べたことがある。

 見た目は普通でもじつは塩味というパフェなのだが。

 まあ。

 ひどい味だった。

 この秋麺の生姜醤油ラーメンはそれを上回るかどうか。

 毛受愛沙は、この店のしくみは知っていたらしく、給水器のところまで行って水をコップに入れて戻って来た。

 椅子に座る。

 景子はスマホを手に持ったまま、できるだけ普通の声で

「いま見てみた」

と言う。愛沙は

「遅いです」

と反応した。普通の反応だ。

 そこでこんどは景子から愛沙にきいてみた。やっぱり小声で。

 「でも、愛沙ちゃんは、どうしてここに来て、そのメニューを注文したの?」

 「おんなじエイプリルフールを連発しましたから」

 こともなげに言う。

 つまり、この愛くるしい愛沙のまわりでは、たくさんの子がチャレンジメニュー「秋麺の生姜醤油ラーメン」を勧められた、ということだ。

 愛沙は続ける。

 「もし真に受けて引っかかってる子がいたら、わたしがしらばっくれるのもよくないと思ったから、その、連帯責任で」

 そういうのは「連帯責任」とは言わないと思うけど?

 「そしたら、わたしが引っかかってた、ってわけ?」

 「そういうことです……」

 愛沙はしょんぼりと言う。

 よくない。

 この愛くるしい子がしょんぼりするなんて、よくない。

 そこで、景子は

「だいじょうぶだから」

と笑って見せた。

 「もっとすごいチャレンジメニューも知ってるから」

 愛沙の声の表情が変わる。

 「景子さん、乗り切ったんですか? それ?」

 好奇心たっぷり、という感じだ。

 「うん」

 乗り切りはしたけど……。

 どうだろう? 自分でまたあの塩パフェを食べたいかというと。

 絶対にごめんだ。

 調理場の奥のほうから、鼻を刺す、でも、まろやかな生姜の香りが漂ってくる。

 生姜が「まろやか」ってあるのか、と自分で思うけど。

 それとともに、醤油の鋭い香りも来た。

 醤油がこんなに香るとはいままで思ったことがなかった。

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