第112話:心構え。
とりあえず『お姉さま』呼びは回避した馬車の中。太陽の位置はまだ真上。
終着場所まであと半分かあと、にこにこと笑っている聖女さま……アリアさまを見る。ただただ前へと進む幌馬車の中、目の前に座る彼女はニコニコ顔になったり、はっとしたり、眉根を寄せたりと忙しない。私はそろそろお尻が限界なので、休憩時間が早く来ないかなあと願っているのだけれども。
「あのっ! ナイお姉さまは今回の遠征にどうして参加されたのですか?」
「今回はヴァイセンベルク辺境伯さまからの指名依頼でしたので……――呼び捨てで構いませんよ。護衛の騎士の方がいらっしゃいますが、別の方が居るという訳ではありませんので」
なんでこの子は『お姉さま』にこだわるのだろう。しかも名前を名乗ったからか進化しているし……。どでかいため息を吐きたくなるのをぐっと堪え、彼女の言葉を待つ。
「凄い、凄いです! 指名依頼だなんてっ!」
討伐遠征への参加方法は教会からの要請と募集の二つの形がある。要請は更に細かく依頼主となる軍や騎士団に今回のように依頼主からの要請によって教会から声が掛かり、ほぼ拒否権がない。募集は文字通り参加者を募るもの。既定の人数に達しなければ、強制的に教会からお声掛けとなる。
私がよく討伐遠征に参加していた理由はお金の為と時間を持て余していたこと。ジークとリンもお金が稼げるからと、命の危険があるにも関わらず私と一緒に参加していた。
そんなことをしていたからか、軍や騎士の顔見知りの人が増えていった。もちろん全てを把握できるわけもないので、ほんの一部の人たちとである。
「いえ、今回はヴァイセンベルク辺境伯家のご令嬢さまと学友だったことが大きいのだと思います」
魔獣を倒したのは魔術師団副団長さまだけれど、その間は障壁を張っていたのでセレスティアさまから辺境伯さまへと報告されたのだろう。聖女として使える奴を見つけた、くらいで。
セレスティアさまの行動を恨んではいない。むしろお貴族さまとしては真っ当な行動だし、父親である辺境伯さまから私の後ろ盾になると約束を取り付けてくれたようだし。
平民である私ならば使い潰されてもおかしくはないというのに、ギブ&テイクの関係を構築しようとしてくれているのだから、文句は言えない。苦労は増えるかもしれないけれど、辺境伯さまの後ろ盾は魅力的。
「あ、お見かけしたことがあります。確か巻髪が素敵なお方でしたよね?」
あの特徴的なドリル髪だと一発で覚えられるよね。背も高く美人だし、セレスティアさま。しかしあの特徴的な髪を素敵と申すのかアリアさまは。あ、いや独特な巻髪とか言えないから、誤魔化した可能性もあるな。
「ええ」
「ナイお姉さま――」
「――呼び捨てで構いません」
「お姉さま……」
「呼び捨てで。きつい言い方になって申し訳ありませんが、貴族さまと平民では取り払えない壁があるのです。人目がある場所で貴族さまである貴女と平民である私の上下関係が覆っている発言ですから」
お貴族さまの籍に入っているのだ。彼女はもう少しこの辺りを意識すべきである。貴族制度を採用している国なのだ、どこでどんな横槍が入るかわからない。
ジークとリンは私の味方なのでその心配は必要ないが、彼女の護衛騎士が駄目だと判断した時、処分を受けるのは彼女とそれを許した私も処分を受けることになる。
「う……ナイ……はヴァイセンベルク辺境伯のご令嬢とお知り合いなのですね」
少し気圧された様子だったけれど、改めてくれたことに安堵する。
「はい。同じクラスで、運よくお話しできる機会がありましたから」
「あれ? 辺境伯家のご令嬢なら特進科クラス……」
気が付かなくても良いことを気が付いたなあ。まあ高位貴族はほぼ特進科へと編入されるし、彼女はお貴族さまなので学院のことに関しては詳しいのだろう。自分から喋ると墓穴を掘りそうなので、苦笑いをして誤魔化しながら考える様子を見せる彼女の言葉を待つ。
「凄いです、ナイ! 特進科へと入るのはかなり勉強をしなければならないのに!」
公爵さまから家庭教師を派遣され必死に頑張ったし、落ちたら後は怖い状況。公爵さまのご厚意を裏切ったと言われかねないんだもの、そりゃ必死になるってもんだ。
「ありがとうございます」
彼女はそんな事情は知らないだろうから、適当に相槌を返してしまう。私も学院へ通えたらなあと遠い目をするアリアさま。今回の遠征で結果を出せば教会が学費を出してくれるようなので、真面目に聖女として働けば大丈夫だろう。他のお貴族さま出身の聖女も今回は同行しているので、普通に動けば確実に差が出る。
「アリアさま、今回の遠征は通常より規模が大きいものになっております。魔物との遭遇機会も多くなることでしょう」
とはいえ命を失ってしまえば元も子もない。命大事、最優先事項は生き残ることである。
教会から召し上げられたのならば、魔力値は高いはずだ。あとは何処まで聖女として仕込まれ、才能があるのか。防御系の魔術やバフデバフ系の魔術が使えるならば、前線へと配置される可能性が高くなる。
「功を焦る必要はありません。やるべきことを成していれば必ず結果は出ます。まずは生き残ることを最優先にお考え下さい」
一応、聖女としてならば先任となる。私も初陣の時はビビッて満足に動けなかった記憶がある。怪我をした人を見て治癒を施そうとしても手も口も震えてまともに詠唱が出来なかったり、切られた魔物の死体を見て吐いたこともあった。おそらく聖女ならば通過儀礼のようなものだろう。そして騎士や軍人たちも。
お金が目的で遠征に参加したと言っていたし、無茶をしなければいいのだけれど。私の言葉に恐怖を抱くより、感心している様子でうんうんと頷いている彼女はちゃんと初陣を超えられるのだろうか。
「――着きましたぜ。聖女さま方」
御者の人の声が幌馬車の中に響いて、ようやく残りの移動日があと一日となるのだった。
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