第86話:治癒後。
治癒を終えたことを告げると、いそいそと伯爵さまやジークに護衛の男性陣が来賓室へと戻ってきた。
「聖女さま、この度は妻の持病を治して頂き感謝申し上げます」
お礼はいらないので、教会から後日申請される費用をきっちり払って頂ければそれで良い。後払いにしているからか、時折ゴネてケチをつけ値段を下げようとしたり、そのままバックレようとする人が居る。
その時はヤクザ並に強面な騎士の皆さまが取り立てに伺うことになっている。
ちなみにコレをやられるとお貴族さまには悪評が立つ。
治して貰ったというのにお金が払えない、もしくはケチろうとしたのだと。お貴族さまって他人の追い落としに必死だよね。
「いえ、お気になさらず。――まだ完治したと言い切れませんので、申し訳ないのですが何度か治癒を施します」
「おや、一度での快癒は無理でしたか……」
侍女の人がティーワゴンを押し、少し離れた場所で紅茶を用意し始めた。いい香りが漂っているので、上物を使用しているのだろう。猫舌だから味はあまり分からないが。
「はい。高度な魔術を使用すると、術者が放った魔力に酔ってしまう可能性もあり、どんな影響を及ぼすのかがわかりませんので」
施術をされた人の魔力量にもよるのだけれど、上級の治癒魔術を使用して怪我を治すと、時折魔力酔いを起こす患者がいる。
そういう人は大抵、自身が所持する魔力量の低い人だった。膨大な魔力量を所持する私が、上級魔術に分類されている治癒を使うと、結構な頻度で魔力酔いを起こす人が多数居る。
なので教会からは、ゆっくりと何度かに分けて治療するようにと仰せつかった。緊急時は致し方ないが、切羽詰まっていない案件はこうして何度か足を運ぶ。
「それは、それは。――して寄付は増えてしまうので……?」
侍女から差し出された紅茶を受け取った伯爵さまは、ソーサーからティーカップを持ち上げて一口紅茶を啜った。
「いえ、完治までがお約束ですから、寄付に関しては教会が定めているもので構いません」
私が特殊といえば特殊なので、こうして何度か足を運ぶにあたって料金の増額はされない。伯爵さまが気にしたのは教会が定めた馬鹿高い寄付金の心配だろう。
いわゆる西洋医学は発展していないし、外科的治療も遅々として進んでいないのだから。治癒の魔術を使える人間が居るばかりに、本来進歩するはずの医学発展が滞っているのは如何なものか。とはいえ施術行為でお仕事をさせて頂いている身だから、文句は言えない。
「そうでしたか、失礼を」
にんまりと笑う伯爵さま。この家、金銭的に困窮しているのだろうか。歴代の当主は近衛騎士団長に任命されるから、そんなことはないはず。
まあ気にしても仕方ないと、伯爵に笑い返して口を開く。
「仕方ありません。馬鹿にならないものとなりますから」
繰り返しになるが教会の定めた寄付額設定は高い。私なら絶対に利用しない、と言い切るくらいには。
一応、お貴族さまと平民とで値段を分けて設定しているそうだが、ぼったくり価格には間違いない。
「ええ、ええ。教会も、もう少し国民に寄り添って頂けると良いのですが」
「教会に伝えておきますね」
マルクスさまの言葉使いは乱暴だというのに父親である伯爵さまはかなり丁寧である。
社会に出て揉まれてから身に着けたのかもしれないし、マルクスさまも変わる可能性は十分あるだろう。
「親父、お袋、なにやってんだ……というかお前らもなんで居るんだ。学院、サボったのか?」
いきなり来賓室の扉を開いて、顔を出したマルクスさま。噂をすれば影というのはこういうことだろうかと首をひねりつつ、どうして彼が顔を出したのだろうか。来客中にその家の子息であろうとも、失礼に当たる気がするけれど。
ここ何度か彼と接しているけれど、言葉遣いは乱暴ではあるが礼儀に欠けているとは思えない。なら、教会の馬車を見て従者から来客が居ると聞き、こうして顔を出したのだろう。
黒髪黒目の聖女が来たと聞けば、王都では確実に私のことを指すのだから。
「マルクス、お客人に失礼な態度を取るんじゃない」
「確かに親父たちの客かも知れんが、学院で同じクラスだからなソイツ。ジークフリードとジークリンデは顔合わせしてるから問題ないだろ」
どうやら随分と時間が経っていたようで、学院から戻ってすぐこちらに顔を出したようだ。
「ソイツ呼びも止めなさい。彼女は聖女さまだよ」
「知ってる」
「なら、尚更ではないか」
「……学院生じゃねえか。今はいいだろ……」
確かに彼の言う通りまだ学生なので問題は……――いや、ある。今回は聖女として訪れているので、それなりの態度が必要なのだけれど。
本当、この辺りの感覚は社会に出てからでないと身に付きにくいのだろう。ガシガシと頭を掻いているマルクスさまが特殊とも言えるが。
ぶっきらぼうな彼の態度に苦笑いしつつ動向を見守っていると、どうやら伯爵さまが先に折れた様子。
「聖女さま、息子が失礼な態度を取って申し訳ない。後で言い聞かせておきますので、お許しください」
椅子に座ったまま黙礼する伯爵さまに、ゆっくりと首を左右に振る。
「いえ、お気になさらず」
お貴族さまに謝罪されると受け入れなければならないのが辛い所で。とはいえもう慣れてしまっているというのが現状。そしてマルクスさまの言葉使いにも。
「で、治ったのか?」
どうやら母である夫人の持病が気になっていたようだ。どかりとソファーに座って私に視線を寄越してくるマルクスさま。
「いえ、完治はまだですね。もう何度か施術を行うので、こちらに訪れることになります」
「でも鈍い痛みは引いたし、随分と具合はいいわ」
「そうか。――治るようで安心した」
それを聞いたマルクスさまはもう用はないとばかりに立ち上がって、部屋を出ていくのだった。
「本当に息子が失礼を」
「母親思いの良い息子さんではありませんか」
なんだか伯爵さまから寄付をふんだくるのは気が引けてきた。家族なんてものを持ったことは一度もないから、こういう感情は理解し辛いけれど。一般常識と照らし合わせれば、そういうことになるのだろう。
私の言葉に、後ろで控えていたジークとリンが目を細めていたことなど露知らず、何度か伯爵さまとやり取りをして屋敷から去るのだった。
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