第54話 ビッグスケールな人

「…………」


 菫は一人、自室にこもって後悔していた。

 もちろん後悔しているのは今日自分がしでかしてしまったこと。

 綾乃に対して言ってしまったこと。嘘は言っていない。だがそれでも直接言うべきことでは無かったとも思っている。

 菫が零斗に対して抱えている想い。それは決して外に出してはいけないもので。菫自身もずっと己のうちに秘めておくつもりのものだった。

 それでも言わずにはいれなかった。綾乃を前にしたその時、感情が爆発してしまったのだ。

 これまで自分の感情を律し続けてきた菫にとってそれはある意味で衝撃でもあった。初対面の人に対してあそこまで感情をあらわにしたのは生まれて初めてのことだったからだ。

 不思議な感覚だった。頑なであろうとした心が自然と解きほぐれてしまったような、そんな感覚。


「それであんなこと言ってたら世話ないけど」


 そんなことを呟いていたその時だった。着信音が鳴り、ベッドに横になっていた菫は体を起こす。


「こんな時間にいったい誰が」


 友達と電話して夜更かし、などということをしたことが無い菫は誰が電話をかけてきたのかと疑問を浮かべる。

 

「あ……」


 表示された名前を見て少しだけ目を見開いた菫は一拍置いてから電話に出た。


「もしもし」

『あ、やっと出た。ごめん、もしかして何かしてた?』

「ううん、大丈夫。それでどうしたの蘭」


 電話をかけて来たのは菫の友人である蘭だった。

 菫と蘭は友人同士ではあるが、菫の経験上夜に電話をかけてきたのは初めてだった。


『うーん、どうってことは無いんだけど。その、ちょっと気になって……もしかして、そのお姉さまと何かあったんじゃないかって思って』


 蘭が菫に電話したのは学園ですれ違った菫の様子がおかしかったからだ。

 そしてその後に会った零斗、あの姿を見て蘭は何かあったのだということを悟った。

 蘭は菫から放課後に綾乃と会う予定があることを聞かされている。それが原因なのではないかと心配したのだ。


「それは……」


 蘭のそんな心配は的中していた。だが菫は蘭が綾乃を慕っていることを知っている。そんな蘭に対して正直に話してしまっていいものかと悩んでしまった。

 その沈黙をどう受け取ったのか、蘭は慌てたように言う。


『も、もし言いたくないなら無理には聞かないから! 踏み込んじゃいけないプライベートな部分もあるだろうし。うぅ、だけど気になる。あぁでもぉ……』


 蘭にとって菫は大事な友人で、綾乃は心から尊敬する先輩。どちらも蘭にとって大事な人であるのは間違いなかった。だからこそ気になる、けれど無理矢理踏み込むわけにもいかないという蘭の良識のせめぎ合い。

 電話越しにもそんな蘭の葛藤が伝わってきて、菫は小さく笑みを浮かべる。


「ねぇ蘭。少しだけわたしの話を聞いてくれる?」

『? うん、いいけど』

「こんなこと言うと蘭は怒るかもしれないけど……実はね、綾乃先輩と喧嘩したの」

『ふんふん……って、えぇ!? す、菫が喧嘩!? しかもお姉さまと!?』

「喧嘩って言ってもわたしが一方的に怒っただけなんだけど」

『ホントに怒ったの? 菫が?』

「うん」


 感情が希薄な菫が怒っている姿を想像できずに蘭は戸惑う。しかもその相手は蘭の尊敬する綾乃だ。何がどうなればそうなるのか。まるで想像ができなかった。


『えっと、えっとぉ……う、うん。とりあえずいったん呑み込んだ。えっと、原因は聞いてもいいの?』

「原因……」


 蘭に問いかけられて考える。でも原因らしい原因など思いつくはずもない。強いて言うならばそれは菫がずっと心の内に抱えてきた想い、そしてあまりにも完璧に見えた綾乃に対する劣等感。それらが合わさった結果だ。綾乃に何かされたのかと言えば、そんなことは全くない。


「わたしのせい……かも」

『その……お姉さまに何か言われたとか、そういうわけでもなく?』

「うん。違う。何か嫌なことを言われたりしたわけじゃない。ただ単純に、わたしが勝手に怒って、わめいて、飛び出した……」

『菫が怒った理由は?』

「…………」

『それは言いたくないんだ。まぁそうだよね。大丈夫、無理には聞かないから。とりあえず話を整理すると、今日の放課後お姉さまと会って、そこで何かしらあって菫が怒って、飛び出しちゃったと』

「うん」

『うーん……で、菫はどうしたいの?』

「どうしたい……わからない。わたし、どうしたいんだろ。でも……謝りたいとは思ってる。許してもらえるかどうかはわからないけど」


 自分のしたことを考えれば、それはあまりにも自分勝手で。謝ったとしても素直に許してもらえるとは思えなかった。

 だが、そんな菫の言葉を蘭はばっさり切り捨てた。


『甘いよ菫! お姉さまがそんなに心が狭いわけないでしょ!』

「え?」

『あのお姉さまが、少し菫が癇癪を起こしたくらいで気を悪くするわけないじゃない!』

「いや、それはわからないんじゃ」

『ううん、絶対に気にしてない。だってお姉さまの心は海のように、いやもっと、宇宙よりも広いんだから!』

「すごいスケール……」


 もしこの場に綾乃がいれば全力で否定しただろうが、少なくともそれが蘭の中の綾乃像だった。


『そう、お姉さまはビッグスケールな人なの! だから……そんなに心配しなくても大丈夫だよ。菫がちゃんと気持ちを伝えればお姉さまはわかってくれるから。菫はどうしたいの?』

「わたしは……わたしは……」


 悩んだ末に、菫は素直な思い口にした。



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