イアンパヌの懐妊とセミクジラの捕鯨

 さて、春から夏に季節が移り変わろうとしていた頃のことだ。


 その頃イアンパヌが微熱で、動けなくなっていた。


 しかも、食べ物の匂いに敏感になって時々吐き戻すことも有った。


「ねえ、ユキヤ。

 私、赤ちゃんができたみたい」


 俺はその言葉に驚きながら嬉しかった。


「え、本当に?!」


「嘘をついても意味ないでしょ?


「そっか、やった、子供ができたんだな」


 俺がイアンパヌと結婚してから1年半、待望の子供ができたらしいぞ。


 それから暫くの間、イアンパヌはつわりがひどくてなかなか食べ物を食べられない状態だった。


 この時代のこの季節は魚介がメインなのだが……。


「大丈夫かい?」


「だめ、魚は臭いが……」


「そうか……」


 確かに魚は生臭いしな。


 なんとか彼女が普通に食べられるものを探さないとな。


 確か妊娠したときはビタミンの多いものが体に良かったはずだけど……。


 ビタミンが豊富な肉というと……クジラ肉か。


 俺は集落の男たちに協力してもらおうと声をかけた。


「というわけでクジラ肉を獲りに行きたい。

 みんな手伝ってくれないか」


「おお、いいぜ」


 一番やる気なのは以前嫁さんを隣の村に連れ去られて、嫁さんをみんなで取り返した男だ。


 俺は集落の男と一緒にクジラを獲りに行くことにした。


 捕鯨も南方から伝わった文化で現代でも銛だけでセミクジラを捕鯨する民族も居る。


 そして縄文時代でもクジラやイルカは食べていたが、イルカはともかく殆どの種類のクジラをこの時代の丸木舟に載せて運んでくるのは無理だ。


 クジラは死ぬと沈んでしまうからな。


 しかし、クジラはシャチなどにおいたてられて湾の中に追い立てられた後、海岸に座礁することは決して少なくない。


 そういった鯨の肉は海の恵みとしてありがたくいただくのがこの時代における習わしだ。


 この時代には釣り竿や釣り針を使った漁や網を使った漁猟はもちろんあるが、突き取り式の漁はもっと古い時代からあり、銛やヤスなどを使って獲物を突いて取る方法は縄文時代どころか石器時代から行われていた可能性が高い、しかし丈夫な縄を使った離頭式の銛ができることによりマグロやサメなどの大きな魚が取ることが可能になりこれによってイルカや小型のクジラ類も取ることができるようになったわけだ。


 とは言えもちろんクジラを捕るのは簡単ではない。


 しかし、比較的捕鯨しやすいセミクジラは肥えた体形で動きが遅く、沿岸部に接近する事が多い上に好奇心も強く人間にも積極的に近づいてきて、クジラとしては珍しく脂肪分が多く、死んでも沈まないなどの理由から比較的捕獲が容易だ。


 しかも鯨油や鯨肉の採取効率に優れ、工芸材料として便利な長い鯨ひげを有しているなどとても利用価値が高く、肉と軟骨は食用に、ヒゲは櫛などの手工芸品に、毛は綱に、皮は膠に、血は薬に、脂肪は鯨油として捨てるところがないくらいだ。


 しかもクジラ肉は魚肉よりも自己消化が遅いので、ある程度日にちが経ったほうが美味いというメリットも有る。



 まあ、うまくクジラが取れるかどうかは運次第だがな。


 また、クジラを見つけても親子連れの場合は見逃すのが習わしだ。


 大人のセミクジラは体長13mから18m、体重約60から80tまで成長する。


 これはマンモスよりも大きい。


 沿岸性のクジラであるコククジラやザトウクジラ、カツオクジラ等よりもかなり大型で、標準的なザトウクジラの倍ほどの体重がある。


 そして哺乳類であるクジラは母性本能が強く子供が襲われたら、母親は必死になって子供を守るため、子供を攻撃するものを攻撃する。


 白鯨の話じゃないが丸木舟ぐらいじゃ木っ端微塵だし、基本狩猟では母親と子供は見逃すのが縄文のやり方だ。


「ちょうどよくオスのクジラがいればいいんだがな……」


 荷物を沢山乗せられるダブルカヌーに村の男達が総出で乗って俺達は夏の東京湾を漂っている。


 この時代の海鳥や魚は比較的警戒心が薄い。


 必要以上に縄文人は狩猟を行わないからな。


 やがてセミクジラがそのきれいな背中をだしてのんびり泳いでいるのが見えた。


 セミクジラは「背美鯨」で、このクジラは長時間にわたって背部を海面上に出してのんびり遊泳し続ける性質がある。


 でかくなればシャチにもそうそう襲われないしな。


 近くに子供が居ないことを確認した俺はこいつを狩ることに決めた。


「よし、頼むぞみんな」


「おう任せろ!」


 獲物は黒曜石の銛、柄は竹製で、長さは5メートル前後。


 これを構えて船からクジラめがけて飛び込んで、全体重をかけてクジラの急所を銛で突き刺す。


 のんびり泳いでいたセミクジラに次々に銛を突き立てる俺達。


 銛を打ち込まれたクジラは、当然必死で抵抗する。


 銛は次々に打ち込まれ、俺達とクジラの死闘は数時間にも及ぶ、クジラが弱ってきたところで、大きな骨製のフック鉤をクジラの鼻に引っ掛けて、まず潜水を封じる。


 そして最後に、刃渡り20センチほどの長柄のナイフで腹を切り裂き、出血させて止めを刺す。


 残酷だと言われそうだが、捕鯨は原始時代から近代まですっと続けられたんだぜ。


 このように、驚くほど原始的な船や道具のみでも、巨大生物であるクジラを狩ることはできる。


 サメやマグロも同じような方法で狩るしな。


 無論、毎回命がけであることは間違いない。


 俺達はプカプカ浮かぶセミクジラを縄でくくりつけたまま櫂を漕いで戻る。


「これだけあれば、当分の間食べるものに困らないな」


「ああ、海の神に感謝だ」


 多摩川河口についたら皆でクジラを引き上げて、解体していく。


 一日で全部解体するのは無理なので、気長に取りに来るとしよう。


 今日の料理はクジラ肉をひき肉にして焼いたものに葉生姜を添えたものだ。


「どうかな?」


「うん、美味しい。

 ありがとうね」


 生姜には体を温め吐き気を収める効果もあるらしい。


 鯨の肉は村全体で分けてもしばらくの間は無くならない程度には在るだろう。


 しかし腐らないように燻製にしたり干したりした方はいいだろうな。


 後、鯨油から石鹸を作っておきたいところだ。


 赤ん坊が生まれてきたときのためにもな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る