豊穣祈願の祭り

 盛夏を過ぎて、海にクラゲが出るようになると、俺達は豊穣祈願の祭を執り行うことになった。


 これからの季節は魚や貝よりも木の実などが主な食べ物になってくるからな。


 まあ、もう少ししたら鮭の遡上が始まるから、其れが捕まえられるまでは魚も十分食べられるけど。


 豊穣祈願というと普通なら作物、稲作地帯なら米、麦作地帯なら麦がたくさん取れるように祈るわけだが、この時代ではこれから地に落ちて死にゆく森の葉などがふたたび春に戻ってこれるように、そして木の実などがたくさんなって取れるように祈りつつ、同じ大地の仲間である人間の子供が無事にうまれるように祈る祭でも在る。


 縄文時代というと土器とともに有名なのが土偶だ。


 この時代では人間は土から生まれ、死んだら一度土に戻ってからまたふたたび戻ってくると考えられている。


 つまり誰かが死ぬことで新たに命が生まれると考えられているわけだ。


 そうなると誰も死んでいない状態で新たに命が生まれてくることはないわけだから、そういう状態で妊娠した場合はこどもは無事に生まれないどころか母親の命すら危ないと考えられている。


 だから、その妊娠した母親の代わりに怪我をして死に土に埋められる土でできた女性が土偶というわけだ。


 ちなみに有名な遮光器土偶の遮光器は別に宇宙人をかたどったわけではなく、エスキモーやイヌイットなどの極北民族が雪上での狩猟などのときに用いる、雪からの反射光線によって視神経の損傷を防ぐためのを眼鏡もしくは穴の開いたアイマスクのようなもので、木や獣皮などを使って造り、中央に横に細い孔を開けることで雪上でも自由に行動できるようにしたもののことで、シベリアのバイカル湖周辺からやってきた狩猟民たちが使っていたものだな。


 其れはさておいてイアンパヌは熱心に土偶を作っている。


 俺は祭に使う地面に突き立てるための石柱を作ってるところだ。


 長野の諏訪神社の御柱祭というのは縄文時代に行われた祭をそのまま継承した祭と言われている、ミシャクジ様はもともとは石神様で柱を地面に突き立てるということは、男性器を女性器に挿入するということの隠喩で、当然子孫繁栄の意味合いを持つわけだ。


 ミシャクジ様は諏訪でだけで信仰されたわけではなく、長野より東の東日本では広く進行されている。


 石神井(しゃくじい)なんかはその名残の名前だな。


 祖神クナトは部族の大首長を表し、アラハバキは女首長を表す。


 そしてクナトとアラハバキは、一対であり、アイヌ古語で男根と女陰を指すらしい。


 何となくイザナギとイザナミの説話にも関係してそうな気がするがな。


「これで私たちにも子供がちゃんと授かれればいいね」


 土偶をこねながらイアンパヌが言う。


 この時妊娠しているものはお腹が膨らんだ土偶を作るが、イアンパヌはまだ妊娠していないのでお腹の膨らんでいない女性の姿の土偶を作っている。


「ああ、そうだな、早く子供ができてくれるといいんだが……」


 現代人はいろいろな理由で精子の活動が弱いらしいが、そのせいで子供ができないとかじゃないといいんだけどな。


 この時代には不妊治療というものは存在しないので、ほんとに最後は神頼みなのだ。


 さて、俺がもともと住んでいたアパートは何故か今や祭殿となって居るんだが、祭が始まれば、川や海から取れた水産物を中心にした料理が振る舞われ、酒が入り、太鼓が打ち鳴らされ、土笛や石笛を吹き鳴らし、縄文琴をかき鳴らしたりみんなで拍手をあわせたりしながら、輪になって踊るわけだ。


 このときにはアパートから持ち出した調味料を使って味付けした料理が振る舞われる。


 祭の日は特別だからな、まあそろそろ調味料はつきそうだが、味噌はのこしておくつもりだ。


 踊りはもともとは幼児の歩行訓練で大人と子供が手を繋いで一緒に動きを合わせて移動する訓練から始まったが、大勢の人間が手をつなぎ合って一体になって踊ることで、集団の結束を深める効果がでて祭では皆で踊るようになったらしい。


 狩猟で生活していた時代は獲物が取れないことも多かったから、獲物が取れた時に大地への感謝と喜びのため祭が開かれたんだろうが、狩猟採集をはじめ、採取により飢えの圧力が緩和されると、死の悲しみを克服するため、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が始まったようだ。


「どうか私たちにこどもが無事に生まれるように、たくさん子供が生まれますように。

 そして無事に育ちますように」


 イアンパヌは祈りながら意図的に壊した土偶を地面に埋めていく。


「どうか俺たちに子供ができますように。

 そして母子ともに健やかでありますように」


 俺は石柱を地面に突き刺しながら祈った。


 俺がアパートごとこの時代に来てしまったことから考えれば、神と呼ぶべき超常能力を持った存在は間違い無く居るのだろう。


 そこにどのような意図があるのか俺には分からないが、俺を送り込んだならアフターケアも是非お願いしたいところだ。


 ちなみにこの時代には天国とか地獄の概念はないので、死んでも割りとすぐに戻ってくると皆は信じてるぜ、現代で言うところの罪に関する概念もこの頃はまだ薄いしな。

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