第43話 予期せぬ事態

北に近づくにつれ冷たさを増した風が、頬を撫でていきます。

視界いっぱいに広がるカルパティンの山々にただただ圧倒されながら、その姿を目に映しました。


「今日中には北の砦に到着出来そうだ。ルゥナ、もう少しだから頑張って」

「はい! アル!……これで、私たちの旅も終わりますね」

「……そうだね。ここの結界が修復出来れば、僕たちはお役御免だ。屋敷で母上が首を長くしながら僕たちの帰りを待っているよ」

「ふふふ。そうですね。お父様と一緒に待っていますね」


ふと見上げた高く晴れ渡る空は、今まで歩んできた旅路のような、どこまでもどこまでも続いていく深さをしていました。

その合間に見える緩やかに流れゆく雲は、今から遥か遠い遠い場所へと移動していくに違いありません。


(エメットさんの所で見た雲も、流れていって、いつかどこかで一緒になるんだろうな……)


今後も風便でやり取りをしようと約束してお別れをした、カーティスを知る人との巡り合わせに思いを馳せます。

イントゥネリーお母様が導いてくれたに違いない、奇跡──


(旅に出て、本当に、良かった……)





「ルーナリア!!」

「っ! フェリシア!?」


藍白あいじろの隊服に身を包んだフェリシアが、馬を降りた私に向かって両手を広げて駆け寄ってきました。

フェリシアにぎゅうぎゅうに抱きしめられながらも、砦に到着したばかりなのに何で私がいる事を知っているのだろうと首を傾げてしまいます。


「よぉ、予定通りの到着だな。さっすがアルフレート。旅程までばっちりじゃん」


感心するように言ったルシアン様が、笑顔を浮かべながらこちらに向かって手を振っている姿を目にし、腕の中に包まれながら大きく頷いて納得します。


「ルシアン、アウルムとプラータはどこにいる? 何故お前1人なんだ?」

「あぁ、あいつらならアルフレートがそろそろ来るって聞いて王都へ戻した。東部に派遣したらやつらと交代させてやんないと、近衛隊回んないし。お前も抜けてるしな今」

「ルシアン、せめて僕が到着するまで待て。王族のくせに護衛なしはダメだろ」

「ははは、相変わらず真面目だなぁ。俺には絶対防壁魔法があるから、大丈夫大丈夫。ねーフェリシアちゃん」


眉をひそめているお兄様に向かって豪快に笑ったルシアン様は、フェリシアに爽やかな笑顔を向けました。

非常に整った顔立ちをしている第二王子の笑顔は、数多くの女性が魅了されてしまうであろうものでした。

ですが、フェリシアはちっとも動揺した様子もなく、少しばかり半目になっていました。


「……まぁ、ルシアン様の防壁魔法の理論展開はとても勉強になりました」

「だろだろ? また今度もしっかり教えてあげるよ。フェリシアちゃんも、なかなか真面目だよねぇ」

「……いえ……もう十分デス……ありがとうございます……てか、チャラいのは、勘弁……」


最後の言葉を小さく呟くと同時に抱きしめていた腕を離したフェリシアが、静かにルシアン様との距離を開けていきます。

そんな親友を目にして、ついつい口元に笑みを刻んでしまいました。


若干遠くに行ってしまったフェリシアが、私に向かって手招きをしています。

チラリと見たお兄様が小さく頷いているのを確認して、呼ばれる方へ静かに駆け寄りました。

お兄様はそのままルシアン様とお話をしているようで、何だか注意を引いてくれている感じがしました。


(東の砦もそうだったけど……いつも、ルシアン様から庇ってくれてる……今も、フェリシアとゆっくり話せるように、気を遣ってくれているんだ……)


彼の想いに胸を熱くさせながら、親友に向けて満面の笑みを浮かべます。


「フェリシアっ! 元気にしてた!? 砦の任務は大丈夫!?」

「ルーナリア〜! 久しぶり〜! ってか、結婚式で会ってまだ二ヶ月も経っていないのに、何か雰囲気めちゃ変わってない〜!?」

「そうかな……?」

「そうそう! それより、何で北の砦に来たの? ルシアン様も来られたし、一体何がどうなってるわけ?」

「えっと……実は──」


手と手を取り合いながら、『魔法局の魔物調査』の話と旅の経緯についてこれまでの出来事を簡単に説明しました。

本当はもっともっと色々と聞いて欲しかったのですが、結界の件もカーティスの件も漏らしてはいけない事なので、申し訳なく思いながらも話せる範囲の事を話しました。


「へ〜〜〜〜! なーーんか、結構大変な感じね〜。てか、何か結局、『お兄様』とのラブラブ旅行って感じになってない〜? そりゃ、益々綺麗になるわけだわ〜」

「え……そ、そうなの、かな……?」


ニヤリとしながらそんな事を言われ、頬が赤く染まってしまいました。


(どうなんだろう……あながち、間違いでは、ない……かも……?)


そんな私の様子を見て、フェリシアはますますニマニマとした笑みを深めました。


「そ、それより、フェリシアは、任務とか大丈夫? と言うか、オリエルも北の砦だよね? 確か、一緒の小隊じゃなかったっけ?」

「あ〜、実は、今私は第一大隊の第二中隊所属で、オリエルは第一大隊の第三中隊所属なのよ〜。一緒の小隊だったんだけど、この間怪我した私に砦の中で支援する第二中隊に異動しろって煩くってさ……」


オリエルの姿を探すように周囲を見渡していたのですが、フェリシアの彼の名前を呼ぶ時の雰囲気がいつもと違う気がしました。ふと視線を向けると、頬が僅かに染まっています。


「……ねぇ、フェリシア……もしかして……オリエルと……?」

「……っ! わ〜、すぐにバレちゃったか〜……えへへ……実は、3ヶ月後結婚することになってるの〜」


舌をぺろりと出しながら、溢れるような笑顔を浮かべたフェリシアを見つめます。

気が付くと、瞳に映していたはずの親友の顔が、ぼやけて見えなくなっていました。


「っ! わっ! ちょっと、ルーナリア! そんなに泣かなくてもっ……!」

「……フェリシアっ!!!! 良かった!!!!」


慌てふためいているフェリシアに向かって、止まる事なる溢れる涙のまま勢いよく飛びつきました。

びっくりした様子でぴたりと固まっていましたが、その腕を優しく私の背中に回すと、温かく包み込んでくれます。


「フェリシア……フェリシア……本当に、良かった……幸せになってね……オリエルと、幸せになってね……」

「……っ……ありがとう……ルーナリア……はは、オリエルってば、残念ね〜。こんな美味しい所、独り占め、しちゃった……ルーナリア、ありがとう……ルーナリアも、幸せになってよ。ってか、もう幸せだよね。ふふふ」

「うん、私、すっごく幸せだよ……でも、それもフェリシアとオリエルのお陰だよ……」


涙で濡れた声色の中には、とてもとても嬉しそうな響きが含まれていました。

固く抱きしめ合いながら、お互いの幸せを心から願います。



余韻を残しながらゆっくりと身体を離すと、お互いに涙で濡れたままの瞳でくすりと微笑み合いました。


「──ま、でも、結婚式が本当に出来るか分かんないのよ〜。何せ魔物の侵入があるんだから〜。休暇が貰えるのもいつの日になることやら〜」


フェリシアは少しだけ残念そうな表情を浮かべると、軽く肩をすくめながら苦笑しました。


「それなら、大丈夫だよ。ルシアン様が来てるでしょ? もう魔物の侵入は落ち着くはずだから、結婚式は絶対に出来るよ!」

「……そう、なの? う〜ん、ルーナリアが言うんだから、そんな感じしかしなくなった〜」

「うんうん、大丈夫だから、安心して」

「ふふふ、何だかルーナリアが言うと、何でもその通りになりそうだから、怖いんだよね〜。学園でもルーナリアの感ってよく当たってたし〜」

「あははは、そんな事ないってば」


一緒にくすくすと笑い合うと、懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになってきます。


(この世界を守る事が、出来るから……!)


自分の役目をはっきりと理解した今、決意を秘めた眼差しで結界のある方向を見据えました。



「ルゥナ、もう大丈夫? あ、フェリシア嬢、お久しぶりだね。元気してる? 式の時は来てくれて、どうもありがとう」

「……うーん。やっぱ、どう見ても『氷壁の冷徹』って感じじゃないわよね? あぁ、まぁ実地はゲロ怖だけど……」

「フェリシア嬢、それは……」


マジマジと見つめるフェリシアに対して、瞬時に笑顔を曇らせたお兄様は少しだけ咎めるような目を向けています。


(あ、何だか久しぶりに聞いた、その言葉……というか、結局何なんだろう……?)


2人を交互に見ながら何度も首を傾げていると、お兄様の肩を無理やり抱き寄せるような形でルシアン様が登場されました。


「はいはぁい! 感動の再会はこれぐらいにして、サクッと行っちゃうよルーナリアちゃん。行くぞアルフレート」


大きな笑顔を浮かべながら持っていたその肩を軽く叩くと、私に手招きをしながらそのままの勢いでさっきまで乗っていた鹿毛の馬に向かって歩いて行きます。


「ルシアン、痛いぞ……ルゥナ、もう夕暮れ近くだけど、今日このまま『魔物調査』する事になった。おいで」

「フェリシア! すぐに帰ってくるから、また後で!」

「ルーナリア、気を付けてね〜!」


フェリシアに一度大きく手を振ると、お兄様の差し出された手を取りながらやや足速にルシアン様を追いかけました。





3人で結界に向かって進んでいると、前方から何かこちらに向かって疾走してくるような影が見えました。


(あ……)


気が付いたら地面に立ってお兄様の腕の中に包まれていて、風魔法か何かを行使されたのだと遅れて理解します。

みるみる近づいてきた二つの影は、ふわりとした風と共に私たちの前で止まりました。


「オリエル!?」


その影のひとつが大切なもう1人の親友だった事に驚きながら声を上げると、名前を呼ばれたオリエルは一瞬私に対して目を見開いたものの、すぐさまお兄様へと真剣な眼差しを向けます。


「──魔物が、凄い勢いで侵入してきています」


酷く深刻そうな顔をしたまましらせたオリエルの藍白あいじろの隊服は土埃で所々汚れていて、指示を仰ぐかのようにお兄様とルシアン様を交互に見つめました。


「状況を報告しろ」


私の前へ一歩進み出たお兄様は雰囲気を一変させると、いつの間にか携えていた剣を片手にオリエルへと凍てついた視線を送りました。

周囲にひやりとした空気が漂い始めます。


「は…はいっ! 俺たち第三中隊はここから10時の方向で臨戦状態です。一気に襲ってきた魔物の群れで、パニックになってしまいました……」

「第一大隊長はどうした?」

「あ……じ、実は、さっきの闘いで、た、隊長は……怪我して……ど、どうすれば……?」


もう一つの影だった別の騎士隊の人は、顔色を悪くさせ身体を震わせながらお兄様に向かって縋るような目を向けました。

オリエルはその人に少しだけ気の毒そうな顔をすると、気持ちを切り替えるようにお兄様へ視線を戻します。


「分かった。なら、今から僕が全軍の指揮を取る。オリエル、補佐しろ。他の中隊の状況はどうなっている」

「っ! 第一中隊は12時の方向、第五中隊は2時の方向を哨戒しょうかい中でしたが、あっちも恐らく臨戦状態だと思われます。火魔法を打ち上げアラートされたのを確認しました」

「……1番最初に臨戦状態に突入したのは第三中隊だな? なら僕がそこへ向かう。第四中隊を二手に分けてすぐに第一と第五の支援に向かえ。第二は後方支援を強化して、怪我人の対応を迅速に行うようにしろ」


オリエルともう1人の騎士隊の人が、恐いほど瞳を凍らせたお兄様に向かって頷きました。


火魔法を打ち上げアラート出来るものを優先に、連絡隊として後方支援に回せ。各中隊で連携を取って、戦況を把握するように。お前は砦へ向かい指示を行え」


「「はっ、はいっ!」」


もう1人の騎士隊の人はお兄様に大きく頷くと、一瞬で砦の方向へと消えていきました。

お兄様は凍てついた眼差しを少しだけ緩めると、気遣わしげな顔を私に向けます。


「……ルゥナは、絶対に来ちゃダメだから。とりあえずは、この辺りの魔物を殲滅させるまでは、砦でフェリシアと待機しといて」

「じゃ、ルーナリアちゃん俺と砦に戻っとこうぜ。アルフレート、俺一応王族で護衛対象だし、いいだろ?」


その言葉を聞いて、一瞬私の心臓がドクンと大きく跳ね上がりました。

隣に移動してきたルシアン様の存在を感じ、僅かに冷や汗が流れます。


(……今、私がここにいたら、アル兄様の足手まといになるだけだ……それに、ルシアン様は、東の砦でも普通だった……)


ルシアン様は大丈夫だと自分に言い聞かせて、揺れる心を抑えながらお兄様に笑いかけました。


「アル、私はすぐにルシアン様と砦に戻りますね。すぐそこなんで大丈夫です。フェリシアもいるし、ちゃんといい子で待っています」


お兄様は酷く苦悩するように、眉をひそめながらぎゅっと固く目を閉じました。

僅かの間思案していた様子のお兄様は瞑った目を開けると、真剣な眼差しでルシアン様を見つめます。


「………………分かった。ルシアン、ルゥナを頼んだ」

「はいはぁい! 任せといて! 俺こう見えても王族だから、治癒魔法はめっちゃ得意だし。てか、防壁魔法超絶得意だし。ほら、行くよルーナリアちゃん」


急かされながらも愛しい人に目を向けると、一瞬、空色の瞳と黄金色の瞳がかち合います。

ふわりと微笑んだお兄様は、すぐに鋭い視線を結界の方向へと向けました。


「オリエル、行くぞ。ついてこれるか?」

「は! はいっ!!」


トンっと音がしたかと思ったら、ふわりとした風を巻き起こし、お兄様とオリエルの姿が見えなくなりました。

愛する人と親友の無事を祈って、まだ微かに舞っている風の跡を見つめました……

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