第40話 旅の憩い side アルフレート

晴れ渡る空の下、雄大にそびえ立つ北の山々。

その姿の半分以上はすっかり雪化粧をしており、これからやってくる寒い冬の訪れを予感させた。

北に近づくにつれ、頬にあたる風も冷たさを増していた。

ルゥナの身体が冷えないようにと、華奢な身体を後ろから優しく包み込む。


「うわぁ〜……すごい、山脈……」


僕の腕の中で、ルゥナは圧倒された様子で全面に広がる壮大な景色に見惚れていた。


「ふふふ。北の山々は王都からも薄ら見えるけど、やっぱり大きさが違うよね」

「はいっ! こんなになんて……それに、もうかなり雪に覆われていますね」

「うん。カルパティン山脈の頂は、年中雪で覆われているぐらいの高さがあるからね。北の砦からはもっと近いから、すごい迫力だよ」

「わぁ〜〜〜楽しみ〜」


無邪気にはしゃいでいる声を上げるルゥナが可愛くて、今はフード越しであのふわふわした髪を触れないのを少し残念に思いつつも、その上から頭を撫でた。


「今日これから宿に泊まったら、予定通り明日の夕方前には砦に着くと思う。まだ早い時間だけど街に入って早めに休もう」

「分かりました! とうとう北の砦まであと少しですね!」

「うん。よく頑張ったよルゥナ。それと、今日の宿はいつもとはちょっと違った楽しみがあるからね。ふふふ」

「? そうなんですか? 何だろう?」

「それは、宿についてからのお楽しみって事で」

「わ〜! 何だろう〜! ワクワクするな〜! ふふふ。あと少しだから頑張ってね」


ルゥナは僕を見上げて瞳をキラキラさせると、前を向いて労わるように一度鹿毛の馬の首筋を撫でた。

そうした姿を見ると本当に彼女の事が愛おしくて堪らなくなる。


エメットからカーティスの話を聞いて以来、ルゥナは益々その内面から出る輝きを強くさせた。

やむを得ず大回りしたからこその奇跡ともいえるあの出会いに、ずっと運命の不思議さというものを感じている。


北の結界修復が完了すれば、王命の旅も終わる。

いよいよこの旅路の終着点が見えてきたことに思いを馳せながら、目の前に座る愛しい人を抱き寄せた。

その温もりで満たされていく心を感じ、口元をほころばせながらルゥナの顔を覗き込むと、彼女もまた幸せそうな顔をしていた。





「んんんん〜!」


案内された部屋に通されローブを脱いだルゥナは、大きく伸びをした。

その様子がなんだか子猫を連想させて、あまりにもの可愛さにそのまま押し倒したくなってしまった。


「ふふふ。疲れた? でもルゥナもかなり旅慣れてきたよね。最初の頃はぐったりと動かなかったのに」

「そうなんです、アル兄様! 私も成長しましたよね」

「うん。本当、ルゥナはすごく成長した。益々綺麗になったしね」

「……そんな事……」


僕の言葉を聞いたルゥナは白い頬を一気に赤く染めると、恥ずかしいのか少しばかり俯いた。


「──さて。じゃあちょっと早いけど夕食を食べようか。部屋に運んでもらうようにお願いしたから」

「わ〜ご飯〜! ありがとうございます、アル! 今日は何だろう〜! お腹空いちゃったな〜」

「うん、夕食楽しみだね。ははは」


少しだけ飛び跳ねながらはしゃいでいる様子をみて、ついつい大声で笑ってしまった。

ルゥナは本当に食べる事が大好きだ。もちろん僕も好きなんだけど、こうした喜びに満ち溢れる笑顔を見ると、嬉しくて仕方がなくなってしまう。



「んん〜! 美味しい〜……!」


ポークソテーを一口食べたルゥナは、手を頬に当てながらうっとりとしていた。

身体を少しだけ震わせながら喜びを現しているその姿を、目を細めながら見つめる。

ルゥナが幸せそうに食べる姿を見ると僕まで幸せになってしまうぐらい、彼女は本当に何でも美味しそうに食べる。


「このポークソテー、本当美味しいね。肉がとっても柔らかいし。おまけに、マスタードソースがまた……絶品だな」

「でしょでしょ! アル兄様も思った? あとね、あとね、お肉の上に乗ってる角切りのトマト、バターで炒めててすっごく美味しいんです」

「わっ! これは、めちゃくちゃ美味しい……! 何か僕たちこの旅で結構食選び上手だったね。いっつも当たりの美味しい料理ばかり食べてる気がする」


美味しさに打ち震えながら少しだけ得意そうな顔を向けると、ルゥナはくすくすを笑みを溢した。


「ふふふ、そうですね! さすがアル兄様です。きっと何か感があるんですよ」

「でも、ルゥナも、ここがいいって入ったお店当たりばっかりだったでしょ」

「あはは。じゃあ、私も感があるのかな〜」

「ルゥナは、感覚だからねぇ、ふふふ」


この旅の思い出がまた一つ出来たと思いながら、きのこのソテーを口へと運び入れた。

ルゥナも同じ事を思っているのだろう、口元をほころばせてさつまいものポタージュを一口飲むと、僕に目を細めて微笑みかけてくれた。



食後に出されたデザートのアップルパイを一口食べたルゥナは、わなわなと身体を震わせながら僕の方を見つめた。


「あ、アル兄様……これは、もぅ、サイコーすぎます……」

「え? それは楽しみ……どれどれ……わっ! これは、やばい……」


サクサクとした生地に包まれたりんごは驚くほどに柔らかくて、たっぷりの蜂蜜とバターが絡み合ったアップルパイは本当に本当に美味しかった。


「すっっごく美味しい〜〜!!」

「これ絶対りんごが新鮮なんだと思う。にしても美味しいから、後でちょっとレシピ教えてもらおうか?」

「わーい! アル兄様ありがとう!」


僕の言葉で無邪気に喜ぶルゥナが幼い頃の彼女と重なって見えて、あの頃と変わっていないけど変わっている僕たちの関係性が心の底から大切に感じた。





「アル兄様……今日のお風呂、いつもと違います、よね?」


夕食の後、一緒に入浴するために浴室へと赴いたルゥナは、いつもと違って既にお湯が張ってある浴槽を見て首を傾げた。

木でできた大きな浴槽には、白く濁った湯が火魔法具ルーチェの光を反射させながら揺蕩たゆたっていた。


「これはね、温泉って言うんだよ」

「温泉……?」


北の山々の麓には、その地脈から暖かい湯が沸き上がる場所がある。

『神の恵み』とも言われるその湯は身体にも良く、人々は疲れを癒したり病の治癒のためにこの地方を訪れたりもする。

場所によっては大きな温泉街になっている所もあるのだが、残念ながら今回のルートではそこを通らなかった。そのため、規模が小さくなるものの、いつもよりは少しだけ広くて部屋に温泉がついているこの宿に今日は泊まることにしたのだ。


「そうなんですね〜。……これが、『神の恵み』……何か、白くて不思議ですね」

「ふふふ。じゃあ入ろうか」


目を見開いて驚いている様子のルゥナに微笑みかけると、身体を洗って湯へと入った。

温泉に浸かると、滑らかな湯からゆらゆらと立ち上がっている湯煙の匂いが鼻に抜けていった。

いつものお風呂とは明らかに違うその匂いと、湯の柔らかい感触に、身体の隅々までの疲れが流れ出ていくのを感じた。


「ふわぁ〜……アル兄様、凄いですね、温泉……」

「うん、気持ちいいね……」


うっとりとした様子で目を閉じて浸かっているルゥナの頬はすっかり上気していて、ほんのり朱く染まった白く滑らかな肌に湯が滑っていくのを見ると、少しだけぞくりとしてしまった。


「気に入った?」

「うん! すっごくいいです! お風呂好きだし、このお湯すごくいい!」

「ふふふ。良かった。せっかく北部まで来たから一緒に入りたくて。僕も初めてだけど、こんなに素晴らしいとは思わなかった」

「ありがとう、アル!」

「ルゥナに喜んでもらえて、僕も嬉しいよ」


濡れた髪をかき上げながら笑顔を向けると、彼女の顔が更に赤く色付き、照れたように少しだけ目を伏せた。

一緒に入浴することには大分慣れてきた様子だったけど、こうして恥ずかしそうにするルゥナもまた可愛いくて堪らなかった。


「おいで、ルゥナ」

「うん……」


僕の身体をあまり見ないようにしながらお湯を掻き分けてきたルゥナは、そっと腕の中に滑り込むと前を向いて小さく座った。

その耳が赤く染まっているのを見ると、ついつい喰んでしまいたくなった。

少しだけ固くしているその身体を抱きしめると、頬を指先で触れながらこちらを向くようにと優しく力を込める。


「……アル……」

「こっち向いて、ルゥナ」


僅かに揺れる黄金色の瞳を見つめると、ふっくらとした柔らかな唇にそっと口付けを落とした。


「ん……アル……」


少しだけ熱が孕んだ瞳にはらりと落ちた一房の金色の髪を、そっと梳くようにかき上げる。


「ちょっと落ちてきてしまったね。じっとしててね」

「うん……ありがとう、アル兄様……」


少しだけ俯いたまま素直にじっとしているルゥナの髪の毛を束ねて纏め上げていく。

ほっそりとした白いうなじが剥き出しになっているのを目にし、何とも言えない衝動に駆られて襲いそうになってしまった。

旅路のお風呂で無理をさせてはいけないと自分を抑えると、一度だけその首筋にキスを落としぎゅっと抱きしめた。ぱしゃりと跳ねる水飛沫の音が、静かにこだまする。


「温泉、とっても気持ちよかったですね〜」


お風呂上がりのルゥナは、火照った頬のままうっとりするように目を細めた。


「うん、すっごく良かった。ルゥナも疲れが取れた?」

「はい! 本当に『神の恵み』だなぁと思いました」

「ふふふ。明日の朝も入ろうか」

「うん! 今日はまだまだ早いから、明日早起き出来ると思います」


にこにこしながら元気よく返事をした彼女は、いつものように僕のシャツを夜着代わりに着ている。初めて見た時、僕が狼狽えるのを見越した母上が人の悪い笑みを浮かべている姿をありありと想像してしまった。

だけどきっとあの母上の事だから、僕の動揺を誘いつつも僕たちが仲良くするのは喜んでいるに違いない。


「……全く……」

「アル? どうしたのですか?」

「いや、母上には敵わないと思っただけだよ」

「そうですね! お母様はとっても素敵ですもんね」


金色の髪の毛を揺らしながら満面の笑みを浮かべているルゥナの頭を、そっと撫でた。

風魔法で乾かすといつもいつも尊敬の眼差しを送りながら感謝を述べてくれる。大した事でもないのに、僕の行動の一つ一つに彼女が想いを返してくれて心が満たされた思いになる。


「あ〜……ベッド気持ちいい〜」


ゴロンとベッドに転がって身体をのびのびとさせるルゥナに、くすりと笑みをこぼしてしまった。温泉の効果のせいなのか、いつもよりも艶やかな肌をした細くて白い脚を、優しく揉んでいく。


「どう? 疲れていない?」

「んん……大丈夫です……アル兄様、いつもありがとう」

「大した事じゃないから、いいんだよ。体力無いルゥナが本当によく頑張っているよ」

「ん……でも、私もアルを支えたいから……いつもいつも、してもらうばっかりじゃなくて、してあげたいの」

「……ありがとう、ルゥナ」


彼女の気持ちが嬉しくて、微笑みを浮かべる頬へと軽く口付けを落とした。


「ルゥナの肌、もちもちしてて凄く気持ち良くなってる」

「温泉効果なんですかね? アル兄様も、ツヤツヤしていますよ」


笑顔を浮かべたルゥナは、すっと身体を起こすと僕の頬を小さくて柔らかい掌で包み込んだ。


「わ……つるつるしてて、滑らかで、綺麗〜……」


僕の顔を覗き込むようにしながら頬を撫でていく感触に、ぞくりとしてしまった。

すぐそこに、黄金色の瞳が在った。


「……ルゥナ…キスして?」

「いいの?」


少しだけ首を傾げながら尋ねるその姿を見ると我慢出来なくなってしまい、華奢な身体を少しだけ激しく押し倒すと彼女の唇を喰んでいく。


「……アル……」

「ルゥナ……」


全てが柔らかな彼女の身体から発せられる温もりは、なんとも言えない喜びを僕に与えてくれた。腕の中のルゥナは、頭を撫でられると黄金色を隠した。彼女の寝顔をしばらく見つめた後、僕も目を瞑る。

こうして最愛の人を感じながら眠りにつく事が出来る幸せは、他にはない。


きっと凍えるような寒い冬が来たとしても、心に咲く温もりがあれば、巡ってきた春風の季節までずっと笑い合う事が出来る。


そうした強さを、僕たちは持つことが出来ているから……

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