第16話 毎日の洗濯のときは
雲一つないという大袈裟だろうけど空はほぼ全部青色で埋まっている。絵の具を惜しみなく出したみたいな真っすぐな青は見る者の背筋を伸ばす。庭に出るときに老女はまず縁側に座り込み、そこにあるサンダルを履いて立ち上がる。その立ち上がる前の一瞬にその青空が目に入る。たったの一瞬だから意識はしていないかもしれないけれど、心のどこかにその存在は影響を及ぼしていて丸まった背中が心なしか伸びたように思われる。
昔、庭に渡してあった物干し竿は、老女の背では届かなくなっていた。だから十数年前に息子夫婦が来て新しいのに取り替えようと提案したが老女はそれを頑なに拒んだ。息子がじゃあいいよ、好きにしろと声を荒げたあと嫁が夫に耳打ちした。夫はその一言で冷静になり、母親になぜ取り替えたくないのか理由を訊いた。
あれが悪くなったわけではないし、捨てるのは惜しい。たしかにもう私には届かないけれど、とぼそぼそと話す老女。息子はその言いづらそうな口ぶりからあることを察した。あの、物干し竿は父が自分が小学生くらいのころに拵えたものだったと思い出した。あのときは日曜大工をやりたがる気持ちが分からなかったが今では人のことも言えなかった。
じゃあ、あれをちょっとリフォームしよう、作り替えて使い続ければいいんだよ。息子の急な提案に驚いた老女も悪くはないと思ったらしく、それでもいい、と応じた。
こういう理由でいまも老女にピッタリな背丈の物干し竿は老女といっしょに毎日洗濯物を干している。さおだけ屋から買った竿を木材で受けただけの物干し竿はシンプルだったがその分、長持ちした。もちろん彼女の息子によるリフォームもその意匠を生かしたもので同じように長持ちした。十数年経った今もしっかりと現役である。
しかしながら、物干し竿が老女の背丈と同じくらいになったにも関わらず、未だに老女は少し上を見上げながら洗濯物を干していく。その姿はいつも変わらない。晴れでも曇りでもその姿は変わらない。
それに加えて彼女は洗濯物を干すために庭に出るときいつも笑っている。そしてその微笑みをたたえたまま目線を上げて、シャツをかけたハンガーをかけたり、タオルを干したりする。
そんな恰好の老女を見守っている者もいる。
さっきから黙って聞いておれば明子さんのことを老女、老女と失礼極まりないなあ。淑女と呼びなさい。淑女と。いいな。分かったか。
こちらは老——淑女とは違っていささか怒り気味である。
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