1章裏 『4月26日』 ②


「――はぁ~い……!」



 そんなのんびりとした声と共に玄関のドアを開けて出てきたのは愛苗ちゃんママだ。



「どちら様でしょうかぁ?」


「…………」



 それを確認する前にドアを開けるべきではないと弥堂は思ったが、しかし他人様の家のことに口を挟むべきでもないので口を噤み、早速本題に入ることにする。



(――だから、“こういう”目に遭う)



 内心でそう考えながら――



「あの……?」


「失礼。こんにちは。ご注文の品をお届けしました」


「ちゅうもん……?」



 不思議そうに首を傾げる彼女の姿を視て、『そっくりな仕草だな』と感じた。



「あ、配達ね」



 少し遅れて弥堂の服装に気が付いた水無瀬母は、訪問者の正体と用件にようやく思い至る。


 これにもやはり、『似ているテンポ感』だなと弥堂は思った。



「えぇっとね、多分それを頼んだのはウチじゃないと思うの……」



 間違いなく彼女の認識が正しいのだが、それでも断言はせずに申し訳なさそうな顔で指摘をしてくる。



(あいつの人の好さも、こういったところからきているのだろうな……)



 そう考えながら、弥堂は仕事を開始した。



「いえ。そんなはずはありません。指定された住所はここで間違いないですし、ご確認ください」



 愛苗や彼女の母の人の好さに感心をしながら、未確認配達員は全くの嘘を断言する。



「う~ん……、でもねぇ? ウチでは“UMA”はお願いしたことないのよ」


「ということは初のご利用ですね。ありがとうございます」


「い、いえ、そうじゃなくって……」


「貴女ではなく、ご家族の方が注文された可能性は?」


「それもないわ。今日のお昼は旦那さんに『チャーハンが食べたい』ってお願いされて、ちょうどさっき済ませたところだし。だからウチで頼んだはずはないのよ」


「なるほど……。では、他の家族という線は――?」



 悟られぬよう瞳の奥を光らせた弥堂が踏み込む。


 ドア裏の死角の位置でメロが微かに息を呑んだ。



(な、なるほど……! そうやって聞き出すために“UMA”に……)



 ただの不審者ではなく、きちんと考えた不審者だったことに感心する。



「――う~ん……でもね? ウチには他には家族は居ないのよ……」



 しかし、続いて母の口から出てきたその答えに、メロの胸の奥がズキリと痛んだ。


 水無瀬母のこの様子からすると、やはり――



「――本当に? よく思い出してみてください」


「え?」



 だが、心を痛めるメロとは違い、弥堂にはまったく気にした様子はない。


 そして彼は何故かさらに踏み込んでいった。



(よく思い出さないとわからない家族なんているわけねーだろッス……!)



 直接的なモノを引き出そうとする弥堂に、メロは憤りと不安を覚え始めた。



「そう言われても……」


「そうか? 居るんじゃないのか? あともう一人」


「もう、一人……?」



 意味のわからない質問をしてくる配達員に対して、水無瀬母も今頃になって不審感を抱き始める。


 そんな迂闊で無防備な主婦へ、弥堂はギラリと鋭い眼光を向けた。



「例えば、そう……。娘とか――」



 その問いにメロの心臓が撥ねる。


 そして速まる鼓動の音が耳の奥で強く鳴った。



 その質問への答えは決定的なモノになる。


 それが返ってくることに、強い緊張を感じた。



 それから遅れて、自分が少し前に進み出ていたことに気付く。


 反射的に彼を止めようとしたのかもしれない。


 だが、それすらも逡巡して足を止めたのだ。



 答えを聞くことも、聞かないことも、自分では選べない。


 それが悪魔メロの本性だ。



 だが――



「――知らないわ。ウチに子供はいないし……」



 メロの緊張とは裏腹に、実に軽い調子で母の口から答えが出てくる。



 そのあまりの気軽さに、メロは酷い喪失感に見舞われた。



(やっぱり……、そうッスよね……)



 思っていたとおりのことではある。


 メロとて、本気でそう期待していたわけではない。


 逆に元通りになる理由の方が無いくらいだ。



 だけど、母の口から直接その言葉を聞かされると、堪えるものがある。


 やはり、期待が現実を上回ることなどないのだ。



 だが、それはそれとして――



(それにしても――コイツ……、手馴れてやがる……ッ!)



 メロは弥堂の背中へと向ける懐疑的な視線を強めた。



(いともたやすく一般家庭の個人情報を抜きやがって……!)



 加えて、彼の言動はその一つ一つがどうしてこうもいちいち不穏なのだろうと抗議もしたくなる。


 それを目にする度にメロは不安になるのだ。



(まさかコイツ、いつもこんな風にしてご近所さんの平穏を脅かしてるんじゃ……?)



 コミュ障のくせに対人犯罪に関して高い適性を見せる男に戦慄する。


 そんな風に憶病なネコさんがプルプルしていると――



「――あら?」


「にゃ――?」



 ドアの向こうから顔を覗かせた愛苗ちゃんママとパッチリと目が合った。


 どうも前に進んだせいでドアの死角から出てしまっていたようだ。



「メロちゃんじゃない! どこに行ってたの?」


「にゃにゃにゃッス……⁉」



 母から向けられた言葉にメロはハッとし、内心で頭を抱えた。



(ししし、しまったーーッス……ッ!)



 すっかりと忘れていた。


 というか、勘違いをしていた。



 たとえ人々が愛苗のことを忘れてしまったとしても、彼女に関連した人物のことまで忘れるわけではないのだ。


 なんにせよ、メロは迂闊だったのだ。



(こ、これはにゃべーッス……! どどどどどど、どうしよう……ッ⁉)



 ダラダラと顏と肉球から汗を流しながら思わず弥堂の方へ助けを求める視線を送る。



「……チッ、クソネコが」



 だから大人しく何もするなと言ったのだとばかりに、弥堂は露骨に悪態をついた。


 しかし――



「――あら……? そういえばあなたも……」


「あ?」



 何かを思い出したように、今度は帽子の鍔に隠れた弥堂の顔を愛苗ちゃんママがマジマジと覗きこんでくる。



「どこかで会ったような……、あっ! そういえば昨日港で――」


「――奥さん」


「――え……? あ、はい?」


「どうやら注文は間違いだったようです。なので、これで帰ります」


「はぁ……」



 どうも自分も下手を打ったようだったので弥堂は一瞬で全ての言動に関して掌を返し、即座に撤退を匂わせる。


 メロはそんな卑劣なニンゲンさんを胡乱な瞳で見た。



「ですがその前に――」



 弥堂は一歩水無瀬母に近づくと肩に下げていた配達バッグを手で持つ。



「――一応マニュアルで決まっているので、持って来た商品を目視で確認だけしてもらえますか? 違うなら違うで構わないので」


「えっと、わかりました」


「すいませんね。決まりなので」



 左手で抱えたバッグのチャックを右手で開ける。


 その右手でドアを掴んで、彼女が見やすいように少しだけドアを開いてやった。



「あら、どうもありがとう」



 律儀に礼を言いながら母はバッグの中を覗き込む。



 その様子を見て、メロは半分安堵の溜息を洩らした。


 もう半分は弥堂への呆れだ。



 どうも迂闊なのは自分も彼もお互い様だったようだ。


 これで“おあいこ”ということになるので、特に彼を詰ったりするつもりはない。


 それはいいとして。



 これで水無瀬母の記憶に関する確認は出来たが、もう一つの目的であった愛苗の私物の持ち出しの実行は難しそうだ。



(こっから一体どうするつもりッスか……?)



 それとも、彼の言葉どおりにこれで諦めて撤退するのだろうか。


 その場合、目的は半分しか達成できていないことにはなるものの、記憶の不全からくるお互いの認識の齟齬から色々バレてしまったり――



(――本格的に怪しまれて通報されたり、“UMA”に問い合わせされたりするよりはマシっスよね……)



 そう考えるとここいらが潮時なのかもしれない。



(まぁ、半分は出来たから上々ッスよね)



 弥堂の背後でメロは「うんうん」と頷く。



 しかし――




 悪魔メロはまだ甘く見ていた。



 弥堂 優輝という男を――




 彼が一度目的として定めたのなら、それを途中で諦めたり止めたりすることはない。


 そこには唯一つの例外も存在しない。



 どんな状況になろうとも、弥堂 優輝は目的を必ず達しようとする。


 その為の手段は問わない。





 バッグの中を覗くために水無瀬母の顔が俯いた瞬間を狙って、弥堂は開いたドア越しに玄関の中を覗く。


 家の中に誰も居ないことを確認した。



 そして、一定の満足感を得ているネコさんを尻目に、彼は動き出す。




「――あら?」


「にゃ?」



 バッグの中を見た水無瀬母が不審げな声を出す。



「――お料理が何もない……?」


「えっ?」



 見ろと言うからには何かしらカモフラージュを用意しているものだとメロも思っていた。


 それが無いとは一体どういうつもりだと――



 メロと母は揃って弥堂の顏を見上げようとした。



「ところで奥さん――」



 彼女らの姿勢が完全に変わる直前、弥堂は機先を制す。


 水無瀬母が顔を上げる寸前、彼女の眼下は一時的に死角となる。


 配達バッグから手を放した左手をそのスペースに潜り込ませた。



「は、い……、えっ――⁉」



 水無瀬母が驚きの声を上げる。



 それも無理はない。



 弥堂はクラスのお友達の愛苗ちゃんのお母さんのお胸を鷲掴みにしていた。



「――おいぃぃぃッ⁉ オマエなにやってんだァーッ⁉」



 それを目撃していたネコ妖精もビックリ仰天して、人前で喋ってはいけないことも忘れて叫ぶ。


 だが、この無法者の蛮行はこれで終わりではなかった。



 愛苗ちゃんママはあまりの出来事にフリーズしてしまっていた。


 そして遅れて――悲鳴を上げるためか――唇を動かそうとする。



 そのコンマ何秒かの直前――



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



――弥堂は『世界』から自分を引き剥がした。



 そのトリガーワードが放たれてからの何秒間かは、この『世界』に存在しない弥堂を誰も知覚することは出来ない。


 弥堂は素早く主婦の背後へと回った。



 そして約2秒後――



 再び『世界』へと戻る。



「――はぅっ……」


「――ママさァーーんッ⁉」



 弥堂が愛苗ちゃんママの首の裏を手刀でトンっとすると、彼女はカクっと気を失った。


 そのあんまりな光景に、ネコさんが肉球でほっぺを押さえながら絶叫する。



 弥堂は役立たずには構わず、地面に落ちる前に水無瀬母の身体を抱え、そして玄関の中に素早く引き摺り込んだ。



「ふぅ、危ないところだったな」



 昨日に港の戦場で出遭ったことに気付かれかけたが、どうにか事無きを得ることが出来たと、弥堂は額の汗を拭った。



 だが――



「――オマエが危ないわァッ! なにしてんだテメェ……ッ!」



 随分と憤った様子でネコさんが玄関内に踏み込んできた。



「うるさいぞ」


「うるさいじゃないッスよ! お前アレ、よくわかんねーけど、お前の必殺技っぽいのだろッ⁉ なに普通にセクハラに使ってんだ⁉ しかもマナのママさんに……!」



 ニャーニャーと声を荒らげる四足歩行動物に弥堂は眉を顰める。



「静かにしろ。家人に気付かれ――」


「――どうしたの⁉ なんか悲鳴が……」



 懸念したことは既に起こっていたようで、背後から聴こえた声に弥堂は反射的に振り向いた。



 すると、お店に居たはずの愛苗ちゃんパパとパチッと目が合う。



「…………」


「…………」



 男二人、しばし無言で見つめ合った。



 何秒かすると、水無瀬父がパチパチと瞬きをした。


 そして彼の目玉が動いて、その視線は見知らぬ若い男の腕の中で脱力する自らの伴侶へと向けられた。



「な、なにを――」


「チィ――」



 水無瀬父に悲鳴を上げられるよりも速く、弥堂は反射的に動き出す。


 手近にあった黒い物体を掴んで、愛苗ちゃんパパへと投げつけた。



「――にゃにゃにゃにゃーッ⁉」



 当然その物体はメロだ。



 一直線に飛んで行った黒い毛玉は、愛苗ちゃんパパの顔面にお腹からべチャッと張りつく。


 図らずも彼の口を塞いだ形となり、悲鳴を阻止することに成功した。



 弥堂はその隙にヌルリと愛苗ちゃんパパの背後へ回って、また首トンをする。



「はぅっ……」


「パパさァーーんッ⁉」



 ママさんと同じ要領でパパさんも無力化されてしまった。



 これまで大変にお世話になった人たちが、自分が連れてきた男に次々に倒されていく。


 当然こんなつもりではなかったのだが、メロは何が何だかわからなくなって涙が出てきた。



「ふぅ、間一髪だったな」



 だが、当の下手人は己の行動に一切の罪悪感も疑問もないようで、淀みの無い動作で玄関のドアを閉めた。



「オ、オマエ、マジでやりすぎ――」



 そして、厳重な抗議をしてくるメロを無視して、弥堂は配達バッグの中の二重底の下に忍ばせておいた荷造り用のビニールロープとガムテープを取り出す。


 それらを両手に、気絶させた二人を実に慣れた手つきで拘束していった。



「あ、あぁ……、パパさん、ママさん……っ。どうしてこんなことに……っ⁉」



 大好きな二人が犯罪に巻き込まれてしまったのが自分のせいのようにしか思えず、繊細なネコさんはクラっと気を遠のかせた。


 いっそのこと、そのまま二人と一緒に玄関の床に倒れてしまった方が楽なのではと――



 そんな風な考えが脳裡に過ったが――



「――行くぞ」



 どうやらそれすらも許してはもらえないようだ。



 メロの心境になど一切配慮せず、罪もない善良な夫婦に暴行を働いた卑劣な犯罪者は、土足のままでズカズカと家の中に上がりこんでいった。



「オ、オイ――」



 愛苗ちゃんママが毎日キレイに掃除していることをメロはよく知っていたので、思わず彼を呼び止めようとする。



「時間がない。急ぐぞ」


「オマエ……、まさかこのまま……⁉」


「さっさと必要な物をカッパラってズラかるぞ」


「そんなバカなァ……ッ⁉」



 ここに来て、メロは真に本日の目的に気が付いた。



 目元と口元をガムテープで塞がれ、身体はロープでグルグル巻きにされた状態で床に転がされる水無瀬夫妻へ、茫然としたままもう一度目を向けた。



 これは決して突発的な犯行などではない。


 それにしては色々と用意周到過ぎる。



 この男は最初からこのつもりで――


 最初から自分に犯罪の片棒を担がせる気でここに呼び出したのだ。



「早くしろ。グズグズするな」



 まるで当たり前のことのように、こんなことを仕出かしていてもいつも通りの冷淡な口調と湿度の低い瞳で彼は自分を見下ろしてくる。



 つい昨日、あれだけの大きな出来事の中で――


 愛苗だけでなく彼も何か一皮剥けたというか、何かを一つ乗り越えたような――


 そしてこれから頑張っていこうと――


 そんな雰囲気を昨日は醸し出していたというのに――



(――コ、コイツ……ッ! なんにも更生なんかしてねェッス……ッ!)



 あんなにも酷い地獄を、力を合わせて一緒に生き延びた女の子の両親に対して――


 いくら記憶がないとは言っても――



「――よ、よく、こんなヒドイこと出来るッスね……」



 悪魔は人間へ化け物を見るような目を向けた。



「意味がわからんな。殺してないだろ」



 しかし、その男には一切伝わらなかった。


 全く意に介さずに彼は仕事に取り掛かる。



「まずはあいつの身分証とかからだ」


「え?」


「病院に通ってたんだから保険証とか薬の記録とかあるだろ。何処だ?」


「え、えっと、それは多分ママさんの部屋に――」


「――わかった。行くぞ」


「あ、オイ――ッ!」



 今度は呼び止めに応じることなく、弥堂は家の中を進んでいく。


 まるで間取りがわかっているかのように迷いなく。



 その背中を見てメロは正確に理解をした。



「コ、コイツ……、マジか……ッ!」



 昨日で終わったと思っていた地獄は、まだ何も終わってなどいなかったのだと――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る