第07話 わー、となる

 その日の下校途中、歩いていると、ふと、なにかの鳴き声がきこえた。

 その場に立ち止まった瞬間、足もとを、黒いカゲが通りすぎた。

 おどろき、おののき、からだがかたまる。でも、目は、そのカゲの正体をとられていた。

 猫だった。

 壁の隙間に入り込むとき、猫らしき尻尾がみえた、まちがいない。

 むかしのじぶんならわからなかっただろう。たぶん、ここ最近の下校中の猫さがしのたまものといえた。一瞬で、それが猫だとわかるスキルを身につけている。

 まるで、じぶんが知らないうちに修行になってて、すごいチカラを得ていたような。

 それはそうと、いまの猫はなんだろう、急いでいた、走ってた。

 なにか急用のある猫か。

 猫にも猫の事情があるし、用事もあるだろう。

 だめだ、いつの間にか、彼女みたいな考え方をしている。

 いや、だめ、ってこともないのか。

 ああだこうだと、あたまのなかでやっていた。

 そのすぐあとだった、今度は、まるでワープして来たみたいに、いきなり人が視界に飛び込んでくる。

 現れたその女子生徒のことは知っている。

 同じ中学の、同じクラスの女の子。

彼女は、いつも目がはんぶん閉じぎみだけど、ねむいワケでもないらしい。むしろ、夜はよく眠れる方らしく、教室でどんなキビしい授業でも、あくびひとつしない。

 彼女は目の前で、ひた、っ止まった。みると、少し肩で息をしている。

 くっと、こっちを見てくる。身長の差があるので、向こうが少し見上げてくるかたちになる。

「みかけたか」

 と、やや荒々しく聞いて来た。

「みかけたか」

 と、そのまましゃべってしまう。

「みかけたのかい」

 と、彼女がふたたび聞いて来る。

「あ」

 二回目で、ようやくわかった。

 そうか、きっと、さっきの猫のことか。

 わかって、とりあえず、もう一度、彼女の顔を見て、その目を見て、やっぱりそうだ、さっきの猫のことだとかくしんした。

 あの猫を追いかけてるのか、そうか。

 いや、でも、彼女は猫を追いかけまわすような人じゃない。なのに、なにがあったんだろう。

 すごく気になりつつ、でも、急いでそうなので、猫が走って行った方向を指でさした。

「猫ならこの壁の間に入っていったよ、しっぽは黒」

彼女は「素敵だ」と、告げて、その方へかけてゆく。

 いまの、素敵だ。は、ありがとう、という意味なのか。

 素敵、素敵か。

 あまり言われたことのない言葉に、ちょっと、こころがそわそわした。

 素敵って、きみ、ちょっと、あの。

 うー。

 と、じぶんのなかで、てれて、てれて、ばたばたして、それから彼女を見る。

 にしても、ずいぶんと必死になって猫を追いかけている。やっぱり、そこがどうしても気になった。

 じゃあ、ワケを聞いてみようと、目を向ける。

すると、彼女は猫の消えた壁の隙間に、身体を押し込み、ぎゅうぎゅうと無理やり入ろうとしていた。頬がすでに、壁についていた。

 さすがに狭すぎるよ。

中学生だし、壁と壁の幅を目で見てわかる知性くらいあるだろうに。

それでも、とにかく入りこもうとしている。

どうしてそんなにそこに入りたいだろう。ふしぎな国へ続く、ふしぎなゲートでもあるのかな。かんがえている目の前で、まだ、彼女はぎゅうぎゅうと、壁と壁の隙間に入ろうとしている。

いよいよ、虫みたいな動きに見えて来た。

そこで、虫になるまえに、声をかけた。

「目測するに、そのサイズの隙間は猫か、液体みたいな妖怪しか通り抜けられないよ」

 教えると、彼女は「壁がにくい」といった。さらに「この壁が」と。

 きかされた方としても、そうなんだ、と思うことしかできない。

 いっぽう、彼女の方は壁からいったん抜け出そうと、身体を反対側へひっぱった。ところが、壁に挟まって、詰まって出れなくなっている。

 おもちゃみたいだな。

あたまのなかでそう唱えながら、とりあえず、手を掴んでひっぱってやる。

やあ、っという感じでひっぱると、彼女の体は、壁の隙間から、すぱぽん、と抜けた。

 やっぱり、おもちゃみたいな抜け方をする、期待をうらぎらない。

「ども」と、お礼を言い「でも、もう行かねば」と、続けた。

 彼女がなにを狙っているのかはいまだにわからない。そして、わからないとなると、やはり気になる。

 ここはひとつ、のってゆこう。決めて、彼女を見た。

「仲間になるよ」と申し出る。「事情は走り追いながら聞くよ」といった。

 彼女は「あっち」そう言って走り出す。壁を迂回して隙間の向こうへ移動した。

 すると、さっきの猫がいた。しかも、手の届く高さの塀の上に座っている。

 猫の写真でも撮りたいのか。なら、いまがチャンスだ。

 でも、彼女は、とつぜん「わー!」と、と大きく口をあけて叫んだ。真横にいて、犬歯も見えるくらい口を開けていた。

 猫は、びく、っなる。こっちも、びく、っなる

 どうしたの、発狂したのか。下校途中に、急に。

 それを疑っている間に、猫は、ぴょん、と逃げてしまった。

 猫も、これはいかん、やられる、仕留められてしまう、と判断したらしい、むりもない。

たとえ、人でも、いまの彼女の叫びには、そう思ってしまうはずだ。

 でも、彼女の方は「それでイイ」と、つぶやいた。それから、ふたたび猫を追いかけ始める。

 いいのか。ダメなような気しかしないけど。

 とにかく、発狂したかもしれない彼女を世間に野放しにもできず、こっちは彼女を追いかけるカタチになる。

 しばらく追っていると、猫はある家の庭へ入り込んでいった。

塀に張り付き、見ていると、裏口に空いていた猫専用出入り口らしき場所から、猫は家のなかへ逃げ込んでしまった。

 飼い猫だったのか。

 と、思っていると、彼女が「わかった」そう言い出す。次に「さあ、引き返すぞ」と、なぜか山賊の頭目みたいに指示して、また走り出す。

 いそがしい。しかも、まだ、このいそがしさの正体は、いまだにわかっていない。

 そのまま彼女を追って走る。どこへ行くのか、聞きたいけど、彼女のやはり足は早く、追いかけるのがやっとだった。

 そして、彼女は交番のまえで止まった。交番のなかでは、おまわりさんと、泣きかけの小さな男の子がいた。

「家、みつけた」と、彼女は言った。「猫ハウス、イコールその子の家」

 男の子も、おわまりさんは、虚をつかれた顔をした。

 そしてきけば、その男の子は飼っていた猫を追いかけて外に出て迷子になったらしい、しかも男の子はじぶんの家の住所がわからない。

 そういえば、さっき、何が鳴いている気がした。たぶん、この男の子の泣き声で、聞こえた場所は、ここらかも近い。

 その迷子をみつけて交番へ連れてきたのが彼女だった。しかも彼女は、男の子が飼っている猫にこころあたりがあった。毎日、下校途中に、町にいる猫を見ているので、いつもどこにどんな猫がいるかを知っている、おぼえがある。

 そこで彼女は、男の子の飼い猫をみつけると「心を鬼にして」かつ「野蛮を辞さず」と、言いその追い回した。猫を恐れおののきさせ、安全な家へ逃げ帰らせた。

 それを追いかけ、家を特定。

 と、いうことらしい。

 そこまで事情を聞き終えてから、彼女を見ると「そなわった社会性がそうさせた」と、言った。

 そうか、発狂じゃなかったのか。

 なら、なにより、と、思っていると、彼女は「いい猫の話となった」といいながら、ひとり、うなずく。それから「今日、猫は人類を救った」単位の大きなことを、迷わず言い放った。

 幸せそうなので、今日のところはその発言を野放ししておいた。

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