29 おばあちゃんと本

 司書長さんと僕は兵士さん三名に護衛されながら、王城の書庫へ向かった。

「どのような書物をご所望ですか?」

 その道すがら司書長さんに問われて、僕は言葉に詰まった。

 精霊の話は歴代の勇者と王族以外にはあまり広まっていない。精霊たちが広めたがらないのだ。

 だから町の本屋にも詳しい本がなかったわけで。

「ええと、過去の勇者の話が書いてある書物が読みたいのですが」

 考えた挙げ句、僕は迂遠な言い方をした。

「勇者の伝記ですか、物語ですか」

「伝記の、できるだけ本人に近い人が書いたものがあれば」

 護衛の兵士さんは、書庫の入口前で「我々はここで待機しております」と立ち止まった。

 司書長さんは広い書庫を迷いなく進み、一番奥にある扉の前で、僕に振り返った。

 僕に何の本を読むのか聞く前から、ここを目指していた。

「ラウト様、わたくしはこう見えましても王族に連なるものです」

 司書長さんの背後の扉には赤い文字で「許可証無き者の立入を禁ずる」と書いてある。

「でなければ、国が秘すべき書物を扱えませんからね」

「確かにそのとおりですね。あの……」

「王族と言っても、先々代王の腹違いの妹の娘。末端も末端なのですよ。ですから、勇者様が何かを気にされる必要はありません。私のことは『書物に関しては色々と融通の利く便利なおばあちゃん』とでも思っていただければ」

 そんなことを堂々とした態度で言い出すものだから、僕は思わず噴き出してしまった。

「失礼しました」

「いえ、先程も申し上げた通り、お気になさらず」

「ありがとうございます。では、改めてお願いがあります。勇者と精霊に関する書物はありませんか」

「ございます。しかし、こちらにあるのは写しです。どうしても原本をご希望でしたらユジカル国へ問い合わせますので、お申し付けください」

 精霊の書物を探すなら、ユジカル国を当たるべきだったなと今更気づいた。勇者の記憶が封印してあるくらいだから、勇者と精霊に関する書物の原本があるのも頷ける。

 ともあれ今すぐ写しが読めるだけでも有り難い。


 長いこと油を差していないであろう蝶番が、嫌な音を立てる。

 扉の向こうは古い紙の匂いが充満していた。

 思ったよりも広い、真四角の部屋だ。部屋の四隅にある温湿度調整用の魔道具の効果で、空気はひんやりとしている。

 扉がある一面を除く壁には棚が天井まで作りつけてあり、本がびっしり詰まっている。

 棚の手前にはそれぞれ書見台が三つに椅子が数脚置いてあるだけの、本当に書物を閲覧するためだけの部屋だ。

「この場でお待ち下さい」

 部屋に一歩、二歩と足を踏み入れたところで司書長さんに止められた。

 司書長さんはまず左手側の本棚で何冊かの本を出し入れし、正面、右手側でも同じことをした。

 すると、何もなかった部屋の中央に、鉄格子に囲まれた小さめの箱がせり上がってきた。

「写しが許される本の写しをこんなに厳重にすることもないのですがね。精霊に関わるものは出来る限り多くの人の目から遠ざけよということで」

 司書長さんが腰の鍵束から鍵をひとつ選び取り、鉄格子の鍵を開けた。更に別の鍵を取り出すと、箱に付いていた鍵も取り払った。

「見てもいいですか?」

 好奇心を堪えきれなかった。不躾なお願いだったのに、司書長さんはいい笑顔で「どうぞ」と場所を譲ってくれた。


 箱には二十冊ほどの本が入っていた。背表紙が読めたのは「建国史」「真王国歴」「神の不在」の三つだ。

「大げさな表題のものもありますが、本の形になっているものなのですから、誰かが読んでやらねば可哀想です」

 司書長さんは箱をごそごそと漁り、一冊の本を取り出した。

 手渡された本には保護魔法が掛けてあり、状態は良好だ。

 表題は『精霊:困った時は』。

 随分と直接的な表題だ。

「申し訳ありませんが、持ち出しは不可、閲覧はわたくしの目の届く範囲で、という規則になっております」

「わかりました」

 僕が手近な書見台に本を置くと、司書長さんは僕の斜め後ろに椅子を持ってきて座った。

 監視されながらの読書は落ち着かないが、仕方ない。


 早速表紙をめくると、途端に意識が遠のく感覚がした。


 気がつけば、どこまでも広がる草原に立っていた。

 空は雲ひとつない快晴で、暑くも寒くもない、穏やかな気候だ。

 これが幻でないことを証明するように、気持ちのいい風が時折頬を撫でる。

 ていうか、書庫は? 本は? 司書長は?

 僕が慌て始めた頃、目の前に人と、白い猫が現れた。

 この空間は幻ではなさそうなのに、人と猫は半透明で、向こうが透けて見える。

 人は僕と同じような体格で、黒髪に紫の瞳。色の特徴はわかるのに、顔は靄がかかったようによく見えない。

 白い猫は精霊だろうか。僕が知っている精霊の誰でもない。

「――魔王を倒したのだから、君たちも――」

「――精霊はいつでも自由気ままニャ。だから――」

「――ならば――」

「――言われなくても、そうするニャ――」

 会話は途切れ途切れにしか聞こえず、要領も得ない。

 人と白猫はしばらく会話すると、白猫が不意にこちらを見た。

「心配いらないニャ。そのうち帰ってくるニャ。ただ、ちょっと時間がかかるかもしれないニャ。そして、その時は――」

 白猫は明らかに僕に話しかけている。

 人は黙って白猫を見つめているが、特に不思議に感じていない様子だ。

「帰ってくるっていうのは精霊のことでいいの?」

 僕からの問いかけは応えてもらえなかった。

 白猫は目を細めて人に向き直り……。


「待って! ……あれ?」

 ひんやりとした空気に古い紙の匂い。思わず叫んだ僕に司書長さんがびくりと反応した。

「どうなさいました、ラウト様?」

「いえ……なんでもないです。すみません」

「そうですか? 心ここにあらずというお顔をされていましたが」

 僕は本の表紙を開いただけで、五分以上固まっていたらしい。

 迷ったが、司書長さんに今見てきた光景のことを話した。

「ああ、そういうことでしたか。本当の話だったのですね」

 司書長さんは納得したとばかりに頷いた。

「精霊に縁あるものがこの本を見ると、幻を見る、と言い伝えられておりまして」

「他の方がどんな幻をみたのかは、わかりますか?」

「詳しい内容までは……。共通点は、精霊が出てくるということくらいしか」

「黒髪に紫の瞳の、僕に似た背格好の男が出てきたのですが」

「人がでてきたという記録には覚えがありませんね」

 司書長さんは記憶をたどるように首を傾げる。

 改めて『精霊:困った時は』の頁をめくる。

 内容は、精霊の特徴や属性、気性や相性についての羅列に、何故か人の姿をした精霊の絵が書いてあった。

 そういえば本屋さんで見た精霊本も、表紙は裸の女性の絵だった。

「司書長さん」

「おばあちゃんで結構ですよ」

「……おばあちゃん、精霊はどんな姿をしていると思いますか?」

「人に似た姿で、背に羽根が生えていると聞いたことがありますね」

 実際と全く違う。そう言いたいのが顔に出てしまった。

「ラウト様は精霊を……いえ、聞かないほうが良いでしょうね。失礼しました」

 本は二回読み返したが、すぐに終わってしまった。

 あの光景以上のものは得られなかった。それどころか、レプラコーンの記述が一切なかった。

 他の本も気になるが、老齢の司書長さんを長時間付き合わせるのも悪い気がする。

「読み終わりました。ありがとうございました」

「そうですか。他に気になる本があればまたいつでもお気軽にお越し下さいね」


 写しであの光景を見せる力のある本なのだから、原本を見たらまた別の光景を見ることができるかもしれない。

 ユジカル国に連絡して、原本を見せてもらえるようお願いしようか。

 そんな事を考えながら王城を歩いていたら、廊下の角の向こうで不審な動きをする人の気配に気がついた。

 僕は角を大きく迂回するように歩いたが、横から突進された。

 このままだと、突進者は壁に結構な勢いで激突してしまう。止む無く突進者を受け止めた。

「きゃあっ」

 わざとらしい声を上げて僕に抱きついたのは、菫色のドレスを着た、貴族令嬢のような女性だ。

 年齢は僕より下だろうか。

「大丈夫ですか?」

「はい……申し訳ありません。はっ、貴方はもしや、勇者ラウト様では!?」

 プラチナブロンドに蒼い瞳。王城でドレスを着ていて、そこかしこから彼女を見守る人の気配を感じる。

 多分この人、この国の第二王女様だ。

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