28 趣味とか
アイリからは「だらだら過ごしてしっかり休むのよ」と言われているが、鍛錬だけは欠かしたくないと頼み込んだ。
互いに主張を譲らず小一時間ほど話し合った結果、「十日休息、鍛錬は一日置き」が落とし所となった。
「正味五日じゃない。短いわ」
「やることなさすぎると暇で死にそうなんだよ」
冒険者を始めてから自分のことは自分でしてきたし、何なら仲間の世話もしてきた。
クエストのない日は何かすることはないかと自分で探していたくらいだ。
貧乏性とでも言うのだろうか。実家、貴族なのに。
「読書は如何ですか?」
リビングのソファーで所在なくぼんやりしていた僕に、ギロが提案してくれた。
「読書かぁ、いいかも。ありがとう、ギロ」
実家にいた頃は貴族教育の一環で書物を嗜んだが、娯楽小説はほとんど読んだことがない。
冒険者を始めてからは本を買う余裕がなかった。
今は十分な稼ぎもあるし、小物置き場と化している自室の本棚を、本棚として活用してもいいだろう。
「町の本屋さんへ行くくらいならいいよね?」
「私も行く」
アイリに尋ねたら、アイリも一緒に本屋へ行くことになった。
オルガノの町中を出歩くのは久しぶりだ。買い出しはギロが済ませてくれるから、僕が町に出るのは冒険者ギルドへ行くときくらいになっている。
本屋へ入るのも初めてだ。
到着するなり、アイリは慣れた様子で店内を進んだ。
「アイリ、ここ入ったことあるの?」
「何度かね。えっと、そうそう、こういう本なら私が持ってるわ」
アイリが指さしたのは、恋愛小説が並んだ棚だ。適当に一冊を手にとって冒頭を読んでみる。
『――彼は私の瞳を見つめて、そっと囁いた。「愛してる」』
歯が浮くとはきっとこういう気持ちの時に使う表現だ。僕はおそらく虚無の表情になっていたと思う。
そっと閉じて、アイリに表紙を見せる。
「アイリはこういうのが好きなの?」
「ああ、それはちょっと表現が陳腐なのよね。こっちは面白かったわよ」
アイリに手渡された本をぱらぱらめくってみる。先程のよりは表現や語彙が豊富でストーリー性もあるが、やはり男女が時にすれ違いながらも愛を囁き合い、最終的に幸せになるという話だ。
「このあたりの本は僕には向いてないかな」
「じゃあこっちはどうかしら」
次に勧めてくれたのは冒険小説だ。
まだ十歳の少年がドラゴンや巨人を倒し、最終的に姫を助けて結婚していた。
「わかりやすいけど、これもしかして子供向け?」
文字が大きく挿絵が多い。立ち読みは良くないのだが、その場で一冊読み終えてしまった。
「ラウト、こっちも読んでみて?」
アイリは僕が本を読む様子を、何故か驚いたような顔で見ながら本を手渡してくる。
「? うん」
今度は過去の出来事を元にした歴史小説だ。僕が貴族教育で習った史実が誇張されてはいるものの、元の話がわかるから作者の独自の解釈が面白い。
先程の冒険小説と違って読み応えがある。
「これ好きかも。十冊くらいあれば一日つぶせるかな」
「ラウト、本読むの速いわね。私がそれ読もうとしたら一冊で半日はかかるわ。さっきのだってまさか読み切ると思わなかった」
「え、そう?」
本を読む速さなんて誰かと比べたことがないからわからない。
僕とアイリで結論付けられるものでもない。
とりあえず読んでしまった冒険小説と長編歴史小説のシリーズ一揃いを購入し、本屋を後にした。
「勧めておいて何ですが、私はあまり本を読んだことがなくて」
「私は本好きよ。アイリ様のお部屋の本棚、後で見せていただいても宜しいですか?」
帰宅してギロとサラミヤに本について尋ねた所、こういう返答が得られた。
サラミヤに冒険小説を手渡すと、サラミヤは見開き二
「ラウトなら今の時間で三分の一は読み切ってたわ」
「ええっ!? すごいですね!」
「でもほら、文字が大きいから。挿絵も多いし」
「私もサラミヤと似たようなものよ。短時間でたくさん本が読めて羨ましいわ」
本はそんなに安いものではない。一冊で三日分の食費くらいになる。
一日に十冊は逆に勿体ないのでは。
「いいじゃない。そのくらいの趣味があったって」
「趣味……」
そういえば趣味なんて持ったことがない。実家にいた頃は貴族教育と村の子供に混じって遊ぶことが仕事で、村を出てからは冒険者としての仕事ばかりしていた。
僕が考え込んでいると、アイリが僕の肩に触れた。
「そうね、もっと趣味を持ちましょう。何か興味のあることはない?」
「すぐには思いつかないなぁ」
強いて言えば、体を動かすことだろうか。今日は鍛練のない日だったから、うずうずする。
しかし、本を読み始めたらこれはこれで止まらなくなった。
購入してきた本やアイリの本棚から持ってきた本をリビングに積み上げ、それぞれ思い思いの場所に座り、好みの本を読み始めた。
テーブルにはギロとサラミヤが時折お茶やお菓子を追加してくれる。
僕はほとんど無意識にそれを口にしながら、本にのめり込んだ。
「ラウト、ラウト」
肩を揺さぶられてようやく本から顔をあげた。
ずっと同じ姿勢で読んでいたせいで、身体中が強張っている。
窓の外はすっかり薄暗くなっていた。
「えっ、もうこんな時間?」
「夢中になってたわね。私は歴史小説って難しくてあまり読まないのだけど、面白い?」
「うん、すごく」
「よかった」
サート大陸の魔王を倒してから十二日が過ぎた。
完全休息の日を読書で過ごした結果、家に書庫を作ることになった。
書庫といっても、一番日陰な部屋に本棚をいくつか置いただけだ。
いずれはジャンルや作者別で棚を分けたい所だが、まだ本の数が少ないので、誰がどこに本を置くかということのみを決めておいた。
僕の趣味に『読書』が追加されたのはいいのだが。
精霊たちが未だに戻ってこない。
本屋さんで偶々『精霊と人との道標』という表題の本を見つけた。
思わず手にとってみたが、「人は誰しも『内なる自分』を抱えている。『内なる自分』すなわち精霊である。精霊と交信するには――」などと、理解できないことが書いてあった。
「アイリ、こういうのはどう思う?」
一緒に本屋巡りをしているアイリに見せてみると、アイリは僕から本を取り上げて棚に戻した。アイリは僕が恋愛小説を読んだ時のような、虚無の表情をしていた。
「強いて言うなら、胡散臭い自称占い師が書いた胡散臭い本よ」
「何のために?」
「そういうのが好きな人もいるの」
「へぇ……」
その本は二度と手にしなかったが、精霊について書いてある本があるかもしれないという気づきに至ったことは感謝したい。
オルガノ中の本屋を巡ったが、精霊のことがちゃんと書いてある本は見つからなかった。
よく考えれば、精霊の存在は勇者と王族しか知らないことだ。市井に出回っている本に書いてあるはずがない。
となると、本や情報がありそうなのは、王城だ。
早速手近なミューズ国に『王城の書庫にある本の閲覧許可をください』と手紙を書いて送ることにした。
送るといっても正規の手段を取ると何日も掛かるので、転移魔法で城へ直接届けに行った。
略式の正装で城門に向かえば、衛兵さんたちはすぐに僕に気づいた。
「ラウト殿、どうされました」
「この手紙を陛下……だと大袈裟ですね。えっと、どなたか書庫の閲覧について明るい方に読んでいただきたいのですが」
「でしたら司書長に渡しましょう。ご用件はそれだけですか?」
「はい。返事をお待ちしておりますと……」
「いえ、司書長でしたらすぐに返事を寄越すでしょう。客室でお待ち下さい」
話が早いのは有り難い。僕は衛兵さんについていった。
客室に着いたと思ったら、すぐに老齢の女性が廊下の角からこちらへ走ってきた。城内を走るのはマナー違反だが、誰も咎めないどころか、息を切らす女性に兵士さんがサッと水の入ったコップを渡していた。
女性は水をゆっくり飲み干すと、僕に向かってカーテシーをした。
「ラウト様、お話は、伺い、ました」
声はしゃんとしているが、カーテシーの間中足腰がぷるぷるしていたし、一言喋る度に大きく息を吸っている。
「あの、一旦休まれては……」
女性はしばらく膝に手を当てて息を整えると、僕に向き直った。
「いいえっ! 勇者様が我が国の蔵書をお求めとあらばっ! 例え稀覯本でも閲覧禁止本でも! ご案内差し上げますのが司書長たるわたくしの使命でございますっ!」
司書長さんは力強い御婦人だ。
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