9 ピンチからの猫

 すっかり打ち解けたパーティの仲間たちとの会話では、敬語はほぼなくなった。

 皆が、僕がやることなすこと全てにお礼を言い褒めてくれるので、僕は自己肯定感というものがかなり向上した。パーティリーダーとしての自信がつき、行動を指示することへの迷いも少なくなってきた。

 それとは別に、レベルもまたものすごく上がった。

 臨時パーティを組んでからの五日でプラス三十レベル。現在レベル五十七だ。

 今の僕ならアイリと組んで、難易度Cのクエストを請けることができる。

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』って異国の言葉があるんだけどさ」

 博識なブズーキが聞いたことのない格言を持ち出した。

「ラウトは間近で見ていても解るほど見違えたよ。谷側のパーティは驚くだろうな」

 レベルが上がったことは自分で解る。しかし皆は僕の雰囲気や見た目に言及するのだ。自分で確認できないから、よくわからない。

「それは知ってる人が僕を見ても僕だと解らない感じ?」

「いや、ラウトはラウトだ。見違えるだろうが、見間違えたりはしないよ」

 サウンはそう言ってカラカラと笑った。


 臨時パーティで荒野を旅して五日目。冒険者ギルドに持たされた魔道具に、連絡が入った。

「谷側のほうで拠点らしき建造物が見つかったって。予定通り、谷側と合流しよう。現在地点は……」

 合流地点まで、徒歩で二時間くらいだろうか。

 周囲の警戒を怠らず、魔物を倒しながら進んだ。


 一時間ほど歩いて、深い谷に行く手を阻まれてしまった。

 かなり深く、向こう岸は霞んで見えるほど遠い。

「ごめん、道を間違えた」

 地図をもう一度見直す。このルートで行けると思ったのに、どこかで間違えてしまったらしい。

「いや、こんなところに谷なんてなかったはずだ。合流地点はこの先か?」

 クレレの言葉に、地図を見直していた僕も気づいた。冒険者ギルドが最新の魔道具を使って作成した地図では、ここは荒野が続いていることになっている。

「うん。緩やかに下るはずだったんだ」

「流石にこの距離を飛び越えるのは難しいわね……」

 ヘーケが額に手を水平にあてて、谷の向こうを眺める。強化魔法を持ってしても、ここを超えるのは無理な距離だ。

 崖伝いに降りようにも、取っ掛かりが少ない上に縁のあたりは土台が脆く、命綱を張るのも難しい。降りたら今度は向こう側を登らなくてはならない。回り道を探したほうが手っ取り早いだろう。

「ギルドに連絡しておくよ。皆、休んでて」

 通信用の魔道具を手にすると、皆は思い思いにその場へ腰を下ろした。


 ギルドに連絡を取ると、すぐに誰かを調査に向かわせることと、僕たちの合流が遅れるという連絡がギルドともう一つのパーティに共有された。

 通信を終えて、僕も休憩に混ざろうとしたときだった。


 谷底から、黒い気配が登ってきた。


「魔物だ!」

 皆を背にする形で谷の前に立つ。剣は抜かず、盾を両手で構えた。


 谷から現れたのは、異形と化したバレスより更に大きな、人型の魔物だった。

 顔は瞳だけが赤く爛々と輝き、口や鼻といった他のパーツは無い。背中にコウモリのような黒い翼を生やしている。

 首から下は人に近い骨格をしているが、腕や足の太さと長さが、人の倍はある。


 危険だ。僕の気配察知が、警鐘をガンガン鳴らしている。


「ヘーケ、全員に! クレレは同時に!」

 ヘーケは全員に補助魔法、クレレは補助魔法発動と同時に攻撃。説明をかなり端折っても伝わる。指示を出していないブズーキとサウンも、自分のやるべきことを瞬時に見極めた。


 魔物が動いた。僕も動いて、力任せの打撃を盾で受け止める。

「っ!」

 ヘーケの補助魔法は、全員の防具にも掛かっている。僕の盾も同様だ。その盾がべこりと大きく凹み、両手が痺れた。

 僕自身は衝撃に耐えて、どうにかその場に留まった。だが、盾はもう使い物にならない。

「ふんっ!」

 クレレが僕へ二撃目を与えようとした魔物の腕を、横から斬りつける。

 ガン、と硬いもの同士がぶつかる音がして、クレレがたたらを踏んだ。魔物の腕は無傷だが、クレレは剣を取り落してしまった。

「貫け!」

 今度はブズーキの攻撃魔法が飛ぶ。頭を狙った赤い閃光は、魔物がもう片方の手で小蝿でも払いのけるかのように振ると、呆気なく消滅してしまった。


 盾を捨て、痺れる手を無理やり動かして、剣を抜く。

「ラウトっ!」

 僕が何をするつもりか、クレレは気づいてしまったようだ。


 僕はパーティの盾だ。皆を守る役目がある。

 染み付いた習性だとか、強要されていた癖が抜けないとか、そんなのじゃない。


 僕を認めてくれた皆を、守りたい。


「はあああっ!!」

 思い切り地を蹴って、剣を振りかぶる。

 自分でも驚くほどの速度と力が出た。

「グガァアアア!」

 僕の渾身の一撃を頭に食らわせたのに、魔物はギリギリ死ななかった。そのまま、魔物が僕の身体にすがるように抱きついた。

 魔物は宙に浮く力を無くし、僕を巻き込んだまま、谷底へ――。


「ラウトー!!」


 皆の叫び声。

 しばらくして、全身への衝撃。

 魔物の命が絶えた気配だけ感じ取って、後は、真っ暗になった。




『――呼んで』

 全身が痛い。どこも動かない。

『お願い、呼んでネナ』

 誰かが変な語尾で僕に語りかけてくる。

 これが噂に聞く、脳内に直接、というやつか。

 死にかけているというのに、僕は冗談を考える余裕があるようだ。

「なんて呼べばいいのさ」

 半ばやけくそになりながら、脳内で声に返事してみる。

 死ぬ前の幻聴だろうと思ったのだ。ところが、ちゃんとした返事があった。

『わたしたちは精霊ネナ。私を、治癒を司る精霊である私の名を呼んでネナ。私の名前は――』


「癒やしてくれ、ナーイアス」

 水に溶けた薬草の匂いがふわりと全身を包んだ。

 その瞬間、痛みが消えた。

「……治った?」

 体を動かしてみる。さっきまで指一本動かせなかったのに、手が動く。足も動く。上半身を起こして、座ることもできた。

 水を浴びた気がしたのに、乾いていた。全身血まみれではあるけれど。

「いっそ本当に水を……ああ、そうか。水をくれ、ウンディーヌ」

 頭上から柔らかい雨のように、水が降ってきた。水を撒いているのは、全身をしっとりとした青い毛に覆われた、猫のような生き物だ。いや、生き物じゃなくて……。

「精霊?」

『そう、やっと気づいてくれたネナ』

 目の前に、金に近い薄茶色の毛色をした猫がふよふよと漂っていた。傷を治してくれたナーイアスだ。

「えーっと……」

 座って、ウンディーヌのシャワーを浴びながら頭を働かせる。


 傷の治療を願ったら、ナーイアスの名前が口からするっと出た。水が欲しいのならウンディーヌに頼めばいいと、どういうわけか理解していた。

 他にも、サラマンダ、ノーム、シルフ、スプリガン、レプラコーン、ドモヴォーイ……。名前と使うべき場面を遠い昔に教わって、急に全部思い出したような感覚だ。

 全身の血痕や汚れが流れ去ると、ウンディーヌは水を降らせるのをやめた。

「乾かしてくれ、サラマンダ、シルフ」

 サラマンダは炎を、シルフは風を司る精霊だ。僕の呼びかけに、赤と緑の猫が姿を現し、協力して温風を送ってくれた。

「ありがとう」

 お礼を言うと、猫たちは毛と同じ色の瞳を人の笑顔みたいに細めて、すっと消えた。

「……いや、なんで? 誰か、説明を」

 僕が頼むと、焦げ茶色の猫が足元に現れた。土を司る精霊、ノームだ。

「我々は貴方が生まれたときから、貴方と共にありましたノム。勇者としての力を自覚した時に全てを識ることになっておりましたが……貴方の命の危機に、黙っていられませんでしたノム」

 ますますわからない。

「僕が、勇者?」

 猫の姿をしているノームは人間みたいに頷いた。

「魔王が発生すると、人の中にも勇者が現れるノム」

「どうして僕が、って意味で」

「貴方の魂はとても澄んでおりますノム。精霊が棲めるほどノム」

 魂が澄んでるって……どうなんだろう。自分の雰囲気や外見以上に、自分ではよくわからない。

 納得はいかないが、とりあえず、現状をなんとかしよう。

「勇者とか精霊が棲めるとかは一旦そういうものだってことにしておくよ。とりあえず……上への道を作ってくれないか、ノーム」

「承知したノム」

 ノームに頼むと、ノームは谷の絶壁にぼこぼこと階段を作ってくれた。僕はそれを一段ずつ上がりながら、アイリの言葉を思い出していた。

「向こう側にも階段を作ってくれ。……うん、ありがとう、ノーム」

 帰ったら、あのときの言葉の真意を、アイリに聞こう。今なら答えてくれる気がする。

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